『淀みに浮かぶ泡沫語辞典』(凡庸書房)の編著者である鴨短冥先生は、外つ国の地方都市に独り隠棲する知る人ぞなき貧しい国語学者である。凡庸書房社主(本人の希望により匿名とする)は、ほとんど引きこもりに近い生活をしている鴨先生の唯一人の友人であり、書房を独りで経営している。といっても、自分が気に入った作品を年に一冊、一部だけ印刷するだけであるから、これを経営とは言い難いし、凡庸書房を出版社とは認め難い。
社主のところに先生が上掲の辞典の企画を持ち込んだのはつい先日のことである。社主は、印刷・製本その他辞書作成に必要な費用は全部先生持ちという条件でこの企画を快諾した。先生大喜びで「編著者のことば」を推敲に推敲を重ねて書き上げた。先生と社主の許可を得て、その全文をここに転載する。
編著者のことば
淀みに浮かぶ泡沫のごとくかつ消えかつ結びて久しくとどまらないのは、世の中にある人と栖ばかりではない。言葉もまたそうである。いっとき盛んに人の口の端にのぼった言葉も翌年には耳にしなくなることも珍しいことではない。産声を上げたと思ったら、産湯とともにすぐに流されてしまう痛ましい言葉もある。産まれぬ前に母の胎内で命を終えてしまう誠に儚い言の葉、とも言えぬその欠片も無数にある。ただ、多くの人たちはそれを耳にすることがないから知らないだけである。そのようにいともかそけき言葉の胎動を聞き逃すのは、それらの言葉に対して水子供養を怠ったかのような心痛と悔恨を我が心に引き起こす。それらの言葉たちの墓標にでもなればと、この辞典の編纂を決意した次第である。泡沫のごとく消えてはまた現れる言葉に独り耳を傾け、蜉蝣のごとく儚く消え去る言葉たちを辛うじて掬いとめる作業を続けていると、切なさに胸を締めつけられることも一再ならずある。この辞典を通じてその切なさを読者と分かち合うことができれば、これに過ぎる喜びは編著者にはない。
令和四年年四月一九日
鴨短冥