今年度後期のメディア・リテラシーの授業は今日が最後の講義だった。来週は期末の筆記試験。今年度の後期は、日本学科と応用言語学科という二つの異なったコースの学生たちを一クラスにまとめての授業だった。後者の学生たちは四月から企業研修に入るので履修週が少ない。試験も一回だけ。
その試験は三月二十五日に行われた。試験問題は両学科共通。キーワードは次の三つ。集合知、ジャーナリズム、同調圧力。授業で読んだ三書、西垣通『ネットとリアルのあいだ』、望月衣塑子『新聞記者』、太田肇『同調圧力の正体』からの抜粋に明示的に言及しつつ、同調圧力に抗して集合知を構築するためにジャーナリズムが果たすべき役割は何か、というのが試験問題であった。
読み応えのある答案もあったが、集合知が皆よく理解できていなかった。これは無理もない。授業で西垣通の『集合知とは何か』(中公新書)を読む時間が足りなくて、私の説明が不十分だったからだ。学生たちの答案はそれを如実に反映していた。これは私の落ち度だから、それを考慮して採点した。
来週の期末試験は日本学科の学生たちだけが受ける。四月中の四回の授業では、堀川惠子の『死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの』(講談社文庫 2016年 初版 日本評論社 2009年)と宇野重規の『民主主義とは何か』(講談社新書 2020年)とをそれぞれ二回ずつ読んだ。読んだといっても、両書からの抜粋を私自身が訳しながら解説してくというスタイルだったが。
来週の試験では、授業で読んだこの両書それぞれから取った一節と『民主主義』(角川ソフィア文庫 2018年 初版 文部省 1948‐1949年)から取った言論の自由に関する一節を読み、それらのテキストに明示的に言及しつつ、死刑の「合法性」についての公開討論の場を開くことを読者に提案する雑誌記事を書くことを求める。
1981年に死刑が廃止されたフランスでは、今日、この問題について語ることはほとんどタブー視されているが、フランス人法学者の中にも死刑合法論を唱える人たちが今もいる。答案準備のための参考文献として、Robert Badinter の Contre la peine de mort (Fayard, 2006) と Jean-Louis Larouel の Libres réflexions sur la peine de mort (Desclée de Brouwer, 2019) を挙げておいた。