内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

多元的行動論序説

2022-04-25 00:00:00 | 哲学

 老生は、動植物の権利擁護を声高に訴える運動家でもないし、肉食を悪魔的行為として異端審問官のように糾弾する完全菜食主義者でもないし、ラディカルなだけが取り柄の乱暴な反種差別主義者でもない。すべての生物種は平等であるとする哲学的根拠を見出せてはいない(多分無理だろう)。一切の殺生を罪とする徹底的に非暴力的な宗教観にも到達できていない(これも自分にはありえなさそう)。
 日常の食事では、野菜料理中心とはいえ、肉食もするし、チーズは好きだし、卵はほぼ毎日一個食べる。ヨーグルトも、いっとき遠ざかったが、また「レギュラーメンバー」に復帰した。要するに、なんでもいただく一匹の雑食動物である。ただ、いただく以上は、どのような食材も無駄にすることなく、環境破壊に積極的に加担することなく、適量を美味しくいただきたい、ただそう願っているだけである。
 他方、食をめぐる(いや、食だけではないか)過剰と欠乏との間で均衡を失っている現代の巨大な生産・消費社会を現状のまま放置しておいてよいとも思ってはいない。個人としてできることを自己満足的にするだけでよいとも思わない。言論の世界で御託を並べるだけでよいはずもない。常に利害を巡る対立に左右される政治的活動は、それだけでは持続に自立した行動にはなりえない。
 行動は多元的であるべきだと思っている。具体的には言えば、その多元的行動を〈個人-社会-普遍〉の三次元で考えている。個人的次元においては、〈食べること〉が万有とのコミュニオンであることを自覚しつつ〈食べられるもの〉をいただくこと。社会的次元においては、現実の行動における漸進性と柔軟性とプラグマティズムを原則とした社会的・政治的運動への参加あるいは協力。普遍的次元においては、科学的知識に基づいたコスモロジー的省察。これら三次元は相互に有機的に媒介し合っており、単独では成立しない。