ブログを長期にわたって安定的に継続するためには、曜日ごとに予めテーマを決めておくというのも一つのやり方かも知れません。このブログを始めてこの六月一日で丸十年になりますが、これまでそういうやり方は採用してきませんでした。
そのことに特にはっきりとした理由があるわけではないのですが、自分で自分を拘束することなく、その日その日の気分で書いていくというのが、ブログを始めた当初の精神状態にとっては適当だったというのがその主な理由であろうと今になって思います。
このブログを続けることそれ自体は私にとって目的ではありません。ですが、ここまで続けてきて思うことは、毎日投稿することが、ちょうど毎日ジョギングすることが日々のリスタートになっているのと同じように、気分の調整装置になっているということです。
しかし、これは諸刃の刃です。なぜなら、ある意味でこれは「依存症」ですから。一日でも書かないと、何かやるべきことをしなかったという、本来的には謂れのない「負い目」を感じてしまうのです。これって、ほとんど倒錯的ですよね。
というわけで、というのもおかしいのですが、土日に関しては、一応お題を予め決めておくことにしました。こうすれば、その日になって、さて何について書こうかという漠然とした思案はしなくて済みます。
でも、この枠付けが逆にプレッシャーになってしまうこともありえますよね。ああ、考え過ぎると何も始められませんね。今後、基本、臨機応変といえば格好良すぎますので、テキトーに対処していきましょうかね。
土曜日は、「読游摘録」という既存のカテゴリーの枠の中で、書斎を取り巻く書架の棚で読まれることをずっと待っている本を一冊ずつ話題にしていきます(ゴメンね、今まで待たせて)。
日曜日は、「私の好きな曲」について書くことにします。ただ、このカテゴリーには厳密には当てはまらない記事もここに入れます。「思い出の曲」「好きな演奏」「忘れられない曲」「耳について離れない曲」「あの時代流行っていた曲」とか、ね。
前置きがえらく長くなりましたが、今日は日曜日ですので、「私の好きな曲」について話します。
といっても、たいした話ができるわけではありません。今日は、ワーグナーの『タンホイザー序曲』について、実にくだらない話をしてお茶を濁すことにします。
毎日クラッシク音楽を聴いていますが、歌劇はまず聴きません。嫌いというのではないのです。喩えていうと、そんな大ご馳走はもう胃が受け付けないということです。ワーグナーは、だからまともに聴いたことがありません(例外は「ジークフリート牧歌」です。この曲については「私の好きな曲」というカテゴリーの中で記事を書くこともあろうかと思います)。
にもかかわらず、一時期、『タンホイザー序曲』がいつも耳の中で鳴っていたのです。それは、その音楽そのものとは別の理由です。2003年版『白い巨塔』(唐沢寿明主演)の第一回冒頭で、唐沢寿明演じる財前五郎が術前の試技を自室でしつつ、『タンホイザー序曲』冒頭のメロディーを鼻歌で歌うシーンがあるのです。
その後、このドラマの展開の中で盛り上がるシーンの度毎に同曲が流れるのですね。ドラマで使われていたのは、カラヤン指揮・ベルリン・フィルの1974年録音の演奏でした。これがまた痺れるほかないほどスタイリッシュな演奏なのです(今は、滔々たる大河のように雄大で且つ各パートが実にきめ細かく歌われた、カラヤン指揮・ウィーン・フィル演奏の1987年ライブ録音のほうが個人的には好きですが)。
この『白い巨塔』の初回を観てからしばらくの間、唐沢寿明の『タンホイザー序曲』の鼻歌が耳鳴りのように毎日聴こえてきて、御本人には何の責任もないのですが、往生しました。この『白い巨塔』の全回を観たのは、日本で放映された数年後でしたが、それ以来、『タンホイザー序曲』がこっちの許可なしにときどき頭の中で突然鳴るのです。
だから、これは「私の好きな曲」というよりも、「耳について離れない曲」というタイトルのほうが相応しいですね。
ちなみに、カラヤンの両演奏以上に好きなのは、オットー・クレンペラー指揮・フィルハーモニア管弦楽団の1960年録音の演奏です。