内的自己対話-川の畔のささめごと

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寛容再論(四)『エセー』のなかの寛容な態度の例 ― アウグストゥスとカエサル

2023-04-26 14:15:39 | 哲学

 モンテーニュ『エセー』日本語全訳の紙版が手元には一つもなく、電子書籍版で入手できる唯一の全訳である白水社版宮下志朗訳全七巻しか今のところ参照できない。しかし、電子書籍版には検索機能を活用できるという利点がある。この機能は、ただ楽しんで読むためだけならば必ずしも必要ではないが、語の用例を網羅的に調べたいときなどにとても便利だ。
 「寛容」と「寛大」は日本語としてまったく同義ではなく、用法にも異なる点があるから、両語を一緒くたにはできないが、宮下訳で「寛容」「寛大」という訳語が使われている箇所を検索してみた。全部で四〇箇所ほどある。そのそれぞれが原文ではどの語に対応しているか調べ、エクセルで表にしてみた。
 原語をアルファベット順に挙げると、clémence / clément, bénignité, douceur / doux, généreux, gracieux, indulgence / indulgent, libéralité / libéral, magnanimité, mansuétudeと、かなり多様な語が「寛容」あるいは「寛大」と訳されていることがわかる。これらの語のうち、libéralité は「気前のよさ」と訳されている箇所もある。関根秀雄訳や原二郎訳ではどうなっているかも知りたいが、それは後日を待つことにする。 
 使用頻度では、clémence / clément が最も多く十二回、次いで libéralité / libéral が八回、douceur /doux が六回と続く。その他は三回以下である。
 これらの語が使用されている箇所だけにモンテーニュの寛容の思想が表現されているわけではもちろんないが、それに近づくための一つの手懸りにはなるだろう。
 Le dictionnaire des Essais de Montaigne, sou la direction de Bénédicte Boudou, Éditions Léo Scheer, 2011 には、Clémence が項目として立てられていて、そこに『エセー』から二箇所引用されている。一つは、第一巻第二三章「同じ意図から異なる結果になること」のなかの皇帝アウグストゥスの例である。妻リウィアの忠告を聴いて皇帝は自分を暗殺しようと企んでいたキンナを douceur と clémence によって許す。結果として、キンナはアウグストゥスの無二の親友となり、そのすべての遺産を相続することになる。
 この例を詳細に語った後、モンテーニュはこう感想を述べている。

これは、アウグストゥスが四〇歳のときのできごとであったが、これ以後、彼に対して陰謀や暗殺の企てられたことはなかったのだから、彼はこのときの寛大さ(clémence)の正当なる報酬を受けたのである。

 もう一つの例は、第二巻第三三章「スプリナの物語」に語られているカエサルの例である。「自分に害を加えた者に対して、カエサルが優しく、寛容であった例(les exemples de sa douceur et sa clémence)はいくらでも見つかる」として、実際いくつもの例を挙げている。その中に次のような印象的な一文が出てくる。「武力で占領した町には、好きな側に付く自由を与えたし、優しさと寛大さ(douceur et clémence)という思い出以外の、守備隊を残していくこともなかった。」
 どちらの例も、寛容あるいは寛大であることが双方にとってよりよい結果と関係をもたらしていることを示しており、寛容あるいは寛大であることそのことが最終目的なのではないことがわかる。