内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

モンテーニュによるタキトゥス『年代記』の読み方への一つの疑義

2023-04-29 11:55:29 | 読游摘録

 何の前置きもなく出し抜けのお願いで大変恐縮なのですが、以下のようなシチュエーションを想像してみてください。
 春日の陽気の中、街中を気分よく散歩しているとき、突然、「あなたは自分のことを寛大だと思いますか」と、どこかのテレビ局か何かの見知らぬインタビュアーにマイクを突きつけられて質問されたら、どう答えますか。ちょっと返答に窮しませんか。
 「こういう無礼な質問を何の前置きもなくするあなたをいきなり殴りつけないくらいには私は寛大な人間です」とでも私なら答えるでしょう。
 すみません。こんな話がしたいのではありませんでした。
 モンテーニュの『エセー』第三巻第五章「ウェルギリウスの詩句について」に、タキトゥスの『年代記』第十一巻26‐27節、35‐38節に依拠しつつ、クラウディウス帝の妻メッサリナがその不貞の極みとして情夫シリウスとの二重結婚を夫の留守中に盛大に祝った後に夫の命で処刑されるまでの経緯が綴られている箇所があります。その中にモンテーニュは  « J’ai vu par expérience que cette extrême souffrance, quand elle vient à se dénouer, produit des vengeances plus âpres. » と自分の見解を挿入しています。
 『年代記』の叙述によれば、クラウディウス帝は、とても賢帝とはいえず、優柔不断で、側近の思惑に左右されやすく、妻の最後の情夫シリウスからは「元首は腹をたてるのが早いかわりに、穽に気づくのはのろい質だ」と蔑まれ、側近からは「鈍感で、妻の尻に敷かれっぱなし」と見くびられています。ですから、このモンテーニュの見解は、極端な我慢の末にかくも鈍感な人間の堪忍袋の緒が切れると、とんでもない復讐劇を引き起こす、ということでしょう。
 フランス語原文は、私が所有している六つの版で一致しています。すべて cette extrême souffrance  となっています。脚注や巻末用語集に patience や tolérance を同意語として挙げている版もあります。現代フランス語訳では、tolérance、patience、endurance などに置き換えられています。いずれの場合も、原文の souffrance は、忍耐及びそれにともなう苦しみを意味していると読んでいる点で一致しています。
 『年代記』の叙述をどう読んでも、クラウディウス帝は「寛大」な人物ではありません。そもそももし帝が寛大だったとすれば、メッサリナの過去の情夫の多くを彼女とシリウスと同時に殺させはしなかったでしょう。寛大を寛容に置き換えても同じことです。
 ところが、宮下志朗訳は上掲の一文を「こうした極端な寛大さなるものは、ひとたびその緒が切れると、とても激しい復讐となって現れるのを、私は経験から見てきている」と訳しています。これにはちょっと驚かされました。どういう解釈から souffrance に「寛大さ」という訳語を当てたのでしょうか。注がないのでその根拠がわかりません。原文を離れて翻訳だけを読めば、「寛大さ」を皮肉な意味を込めて使っているとも取れなくはありません。しかし、souffrance という語を使っているモンテーニュ自身にそのような意図があったとは考えられません。
 ここからはモンテーニュによる『年代記』の当該箇所の解釈への疑義です。『年代記』の叙述に拠るかぎり、クラウディウスが妻メッサリナの度重なり次第にエスカレートしていく不貞に対して我慢に我慢を重ねていたとは思えません。なにしろ鈍感で、そのときの感情に支配されやすく、側近たちの言動に左右されやすい人物として描かれています。側近たちから妻の不貞の数々を密告された後でさえ、妻への未練を吐露したりして、メッサリナを一刻も早く処刑したい側近たちを慌てさせています。つまり、妻の不貞の相手だった情夫たちに対してクラウディウスが命じた処刑の数々は、側近たちが帝の一時の感情の激発を捉えてそれに油を注ぎ、その激情の嵐が静まって気が変わる前にと処刑を急いだ結果だと見るのが妥当だと私は考えます。