幕末から明治初期にかけて来日した欧米人たちの多くの眼に強い印象を与えたのは、当時の日本の子どもたちの生き生きとして幸福感に満ちた元気な姿であった。その印象を初代英国公使オールコックの言葉を借りて一言で言えば、「子どもの楽園」(a very paradise of babies)であった(The Capital of the Tycoon: A Narrative of a Three Years’ Residence in Japan, 2 vols. New York: The Bradley Co., 1863, vol 1, p ; 94.)。
この言葉は、渡辺京二『逝きし世の面影』第十章のタイトルにもなっており、同章の冒頭に引かれてもいる。渡辺京二よれば、以後、この表現は来日した欧米人たちに愛用されるようになる。
他章と同様、同章には来日欧米人たちの多数の証言が引用されている。イザベラ・バードもその一人だが、それ以上に頻繁に引用あるいは言及されているのは、動物学者で大塚貝塚の発見者として有名なエドワード・モース(1838‐1925)である。その子供礼賛は、他の証言同様、どこか異国のおとぎ話かと思われるほどに私を驚かせる。
モースはその日本滞在記『日本その日その日』(Japan Day by Day, Boston, Houghton Mifflin, 1917)のなかでくりかえし日本の子どもたちに言及しているが、『逝きし世の面影』に引用されている次の箇所に私は特に心を打たれた。
私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。
Again I must repeat that Japan is the paradise for children. There is no other country in the world where they are so kindly treated or where so much attention is devoted to them. From the appearance of their smiling faces, they must be happy from morning till night.
これはモースの一般的な印象であって、特別な事例についての感想ではないのはもちろんのこと、恵まれた階級の子どもたちだけに当てはまる観察でもない。当時東京の市街に溢れんばかりに多くいた子どもたちから受けた印象なのだ。
当時、多くの欧米人たちが日本の子どもたちについて同様の印象を語っているのは、彼らがすべて日本社会の良い面だけを理想化して幻想を作り上げるためではない。そんなことをしても彼らには何の利益もない。もちろん、社会には負の面があり、すべての子供が幸福であったはずはないし、子供に対する虐待も犯罪もあった。
しかし、欧米人たちが「楽園」とか「天国」とかそれに類した言葉を使いたくなるほどに、子どもたちはいたるところで元気に遊び回り、大人たちはそれを受け入れていたことは事実として認めてよいのではないかと思われる。
それから一世紀半ほど後の現在、日本はすっかり年老いた国となり、「異次元」という大げさなだけで空疎な言葉で虚飾された少子化対策も焼け石に水であろう。子どもが減り続け、日本がますます小さな国になっていくのは仕方ないとして、子どもたちが幸福であるためにはどうすればよいのだろうか。そのためには政策も技術革新も無駄ではないと思う。しかし、ほんとうの問題はそこにはないことだけは確かだ。