モンテーニュ『エセー』の入門書、モンテーニュの評伝、モンテーニュ辞典などには、モンテーニュの思想の特質を示す言葉として、寛容の精神、寛容の思想、宗教的寛容などの言葉が必ずと言っていいほど出てくる。この寛容を、信教・思想の自由そしてその多様性の積極的肯定という、十八世紀の啓蒙思想以降に広まった意味で捉えるならば、モンテーニュを寛容思想の先駆者と見なすこともできなくはない。実際、そのような評価は今日でもかなり広く行われている。
しかし、そもそも寛容とはどういうことなのか。それはフランス語の tolérance の同意語であり、したがって、フランス語での説明を読めばわかることなのか。確かに Le Grand Robert のような大きな仏語辞典を見れば、語義の歴史的変遷や多義性について概略がわかるし、用例を読むことでさらに理解を深めることができる。
だが、モンテーニュにおける寛容の精神とはどのようなものなのか。当然のことながら、『エセー』の中にその答えの手掛かりを探さなくてはならないし、モンテーニュが生きた時代の歴史的文脈を抜きにしてはこの問いに答えることはできない。この問題については、先学たち・今日の研究者たちの優れた研究がいくつもあるから、それらを読めば十分に納得のいく答えが得られるだろう。
それらはもちろん参照させていただくとして、自分自身でモンテーニュの思想に近づいてみたい。そう思ったのがこの寛容再論の一つのきっかけである。そこで、手始めに『エセー』のなかで tolérance(モンテーニュの時代の綴りでは tolerance / tollerance)あるいはそれと語根を共有する語がどのように使われているか調べてみた。
この調べはあっさりと片付いた。なぜなら、tolérance という語は『エセー』のなかで二回しか使われていないからである。 動詞 tolérer、形容詞 tolérant、tolérable は皆無である。しかも、どちらの箇所でも「寛容」という意味では使われていない。当該の二箇所、第二巻第一七章「うぬぼれについて」でも、同巻第三七章「子どもが父親と似ることについて」でも、「苦痛に耐えること、あるいはその力」という意味で使われている。どちらの場合も、モンテーニュは tolérance を肯定しているのではない。それどころか、危険を回避するために必要とされるつらさや気苦労に耐える忍耐力を自分は持ってはいないと言い、病気や苦痛を前にして外見上それに泰然自若として耐えることを称揚するような哲学には疑義を示している。しかも、後者については、 二〇〇七に刊行されたプレイヤード版新版が依拠する一五九五年版では « un maintien desdaigneux, et posé, à la souffrance des maux » と、souffrance に置き換えられている。
この置き換えがモンテーニュ自身によるものなのか、グルネー嬢あるいは別人によるものなのかはわからないが、私にはとても示唆的だと思われる。モンテーニュが生きた十六世紀後半のフランスでは、カトリック陣営とユグノー派との間の激しい武力衝突を回避するための緊張緩和政策として「寛容王令」(« édits de tolérance »)が繰り返し発布されていた。そのことが tolérance をそのもともとの意味「苦痛に耐えること」から遠ざからせ、上記のような置き換えを引き起こしたのではないかと推測される。
モンテーニュは、この寛容政策に現実路線として一定の理解は示しているが、それが逆効果をもたらす危険性に懸念を示しており、けっして全面的に肯定しているわけではない。
いずれにせよ、モンテーニュが tolérance の精神を称揚する思想家でなかったことは確かである。