カタカナ言葉(多くの場合英語に由来し、和製英語も含まれる)の氾濫(今、一番上の変換候補が「反乱」だった)など、いまさら話題にもならないほどの日常茶飯事だ。ただ、新しいカタカナ言葉の登場がある社会現象の広まりに対応していることもしばしばあり、それはそれで興味深い。が、興味深いとだけ言って済ませていられない深刻な事態も発生している。
「アウティング」という言葉を『ジャパンナレッジ』で検索してみると、『現代用語の基礎知識』の2019年版に初登場している。語義は「性に関する思考や同一性問題を本人の了承なく第三者に暴露すること」となっている。以後各年度版に項目として収載されているが、2021年版には以下のような格段に詳しい記述が見られる。
性的指向や性自認など、信頼できる他者以外には知られたくない個人のプライバシーを、本人の同意なく第三者に開示すること。重大なプライバシー侵害であり、望まない情報開示の被害者に、さらに差別や暴力に晒される可能性を負わせる、きわめて暴力的な行為である。
日本では、2015年に一橋大学法科大学院の学生がアウティングを苦に自殺した事件を一つの大きな契機として、この語が広まった。
なお、多様な性的指向や性自認はいずれも差別の理由となってはならない点を逆手に取り、恥ずべきことでないならば開示されても問題ないはずだ、とアウティングを正当化することはできない。暴力が不当だからといって、他者がその暴力の被害者になる可能性を高めてよい理由にはならないからである。
一橋大学の位置する国立市では、18年にアウティングを禁止する条例が制定された。
ところが、2022年版と2023年版では上掲の2021年版に示された具体例が消去されている。この両年度版の記述はまったく同一である。
性的指向や性自認など、信頼できる他者以外には知られたくない個人のプライバシーを、本人の同意なく第三者に開示すること。重大なプライバシー侵害であり、望まない情報開示の被害者に、さらに差別や暴力にさらされる可能性を負わせる、きわめて暴力的な行為である。
なお、多様な性的指向や性自認はいずれも差別の理由となってはならない点を逆手に取り、恥ずべきことでないならば開示されても問題ないはずだ、とアウティングを正当化することはできない。暴力が不当だからといって、他者がその暴力の被害者になる可能性を高めてよい理由にはならないからである。
具体例が消去されたのは、それだけアウティングがSNS等によって社会現象として一般化していることと対応しているのだろうか。ちなみに『三省堂国語辞典』(第八版、2022年)には立項されており、「〔outing〕 ほかの人の性的指向を暴露すること」と定義されている。
なんでこの言葉を話題にしたかというと、つい一昨日、日本学科の今年度の新入生間でこの問題をめぐっていざこざがあったからである。当事者の一人から学科長宛に Discord 上での新入生間の激しい言葉の応酬のスクリーンショットが送られてきて、それが学科長から学科の専任教員にも転送されてきた。そのときの学科長のメッセージの中に « outé » とあって、最初は「?」だったのだが、すぐに outing から仏語の動詞として造語された outer の過去分詞形だとわかった。おそらく「アウテ」と発音されるのだろうが、このいかにも感じの悪い言葉がフランス語として一般化すれば、「ウテ」とフランス語風に発音されるようにもなるだろう。
SNSが世界的なアウティングの拡散に多大な「貢献」をしていることは明らかである。その勢いには抗し難い。せめてその時流には乗らないという消極的な抵抗しか私にはできない。ただ、自分が書く文章の「品位」は、これを常に保つように心がけたい。