内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「当たり年」を言祝ぐ

2023-09-29 23:59:59 | 講義の余白から

 今年度の授業が始まって今日で三週目が終わったところだ。全体としてほぼ順調だ。学部二年の日本古代史の授業は特に楽しい。去年とほぼ同じことを話しているのに、教室の雰囲気が去年とまるで違う。毎回、最後までよく集中して聴いてくれるし、質問もよく出るし、私の問いかけに対する反応も概してよい。
 出席者数は五十数名。去年も同じくらいだったが、二百五十名収容の窓のない階段教室だった。今年は七十名収容の平らな教室で、ちょうどよいサイズだ。それに、その側面の一方にはキャンパス中央に向かって大きな窓が並んでおり、電気を付けなくても十分に明るい。今月は暑い日が続き、窓を開けて授業をしていると(あっ、フランスの大学をご存知ない方のために一言申し上げますが、一般の教室に冷房装置はありません)、キャンパスのメインストーリートからのざわめきが聞こえてくるが、授業の妨げになるほどではない。
 前期の前半の六回しか担当しないから、もう半分は終わったことになる。六回目の授業の翌週に中間試験を行えば、この授業に関してはお役御免となる。その気楽さも手伝っているのかも知れないが、こちらの舌も滑らかだ。
 先週、授業のはじめのほうで、一瞬、教室の中も外も静まり返ったとき、メインストーリートから、意外なことに、「パパ、パパ、どこにいるの?」と小さな男の子の半泣きの声が聞こえてきて、私が「お父さん、見失っちゃたんだね。かわいそうだねぇ」と一言反応したら、教室がどっと笑いに包まれた。
 毎年、年度初めに思う。同じ学年なのに、どうしてこう年によって雰囲気が違うのだろうか、と。授業内容そのものは、それに左右されることはないが、話しているこちらの気分はまるで違う。こっちが気持ちよく話していれば、それは学生たちにも伝わり、彼らの方も活気づく。いわば相乗効果があるわけで、今年のようにプラスに働くときはいいが、マイナスに働きだすと修正は簡単ではない。去年の二年生の後期は実に陰惨だった。
 去年の三年生もとても雰囲気のよいクラスだった。それが学年を通じて変わることなく、最後まで出席者数が落ちることもなかった。そのクラスの半数近くの十八名が今年のマスター一年に進学していて(うち三名は文科省の奨学金で一年間日本に留学中)、去年のいい雰囲気がこのマスター一年のクラスにも保たれている。
 それぞれの学年全体の雰囲気は簡単に変えられるものではない。今年は私にとっていわば「当たり年」で、その幸いを言祝ぎたい。