内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

真の心の貧しさから遠く離れて

2023-09-19 22:05:55 | 雑感

 九月末締め切りの原稿、量的には指定枚数の三〇枚に達した。今日は、最後の論点について必要な引用等、資料的な部分で増補しただけだったが、それだけで指定枚数いっぱいになってしまった。まだ書き足したいこともある。残された十一日は推敲に当てる。少しでもよいものにしたい。
 今日は一日、マイスター・エックハルト「三昧」だった。ドイツ語説教集とその関連文献を読み漁った。久しく遠ざかっていた故郷でひとときを過ごせたかのように、それはそれで嬉しかった。と同時に、悲しくもあった。なぜか。婉曲的な言い方になるが、肺腑を抉るようなノスタルジーに苛まれたからである。
 贅言は虚しい。今日一日繰り返し読んだエックハルトのドイツ語説教五二の一部を引く。

神が魂の内で働こうとする場合、神自身がその働きの場となるほどに、[…]人が神と神のわざのすべてとにとらわれていないとき、それを精神における貧しさというのである。なぜならば、人がそれほどに貧しくなったのを神が見出すとき、そのときに(はじめて)神は神自身のわざをなすのであって、人はそのような神を自分の内に受け、かくして、神が働くのは神自身のうちであるという事実から、神は神のわざの固有の場となるのである。ここに至り、つまりこのような貧しさにおいてこそ、人は、彼がかつてあったし、今もあり、そしてこれからも永遠にそうでありつづけるような、永遠なる有を再び取り戻すのである。

田島照久編訳『エックハルト説教集』、岩波文庫、一九九〇年、一七一頁。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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