今日も辞書の話。
『三省堂国語辞典』と『明鏡国語辞典』とには「させていただく」が立項してある。
前者には語釈として三つ挙げてある。①許しをもらってするときの、けんそんした言い方。②許しをもらってするかのように、自分の行為をけんそんする言い方。③思いどおりにするとき、うわべだけ礼儀を示した言い方。
この三つの用法のすべてに当てはまることとして、「戦後、関西から東京にはいって広まり、二十世紀末に使用が増えた〔ただし、昭和初期の東京の例もある〕」という注記がある。なぜ二十世紀末から使用が増えたのだろうか。
①の用法は、他者の許しを明示的に前提する。例えば、(先生の許可を得て)「出席させていただきます」。②は、自分がこうするのは、他者の許しがあってのことだということをちゃんと自覚していますよ、決して自分勝手にしているのではないのですよ、という気持ちを伝えたいときの用法だ。例えば、「本日、司会を務めさせいただく〇〇です」。この二つの用法には違和感を覚えないし、自分でも使う。
ところが、いつからとははっきり言えないが、「~させていただきます」と聞いて、あまりいい感じがしないことが多くなった。その理由は上記の③の用法が増えたということなのだと思う。つまり、他者からの許しを得ることなしに、一方的に自分で自分に許しを与えている場合が増えたということなのだと思う。
この点を『明鏡国語辞典』は次のようにずばりと指摘している。
「(1)許可を得なければならない相手がいない、またそのような相手が漠然としていて特定されない場合に使うのは、慇懃無礼な表現となって不適切。『☓今日は感動させていただきました(◯感動いたしました)』『〔自己紹介で〕☓俳優をさせていただいています(◯俳優をしております)』』(2)『…ていただく』は、〈相手のことは考えず、自分の都合でそうする〉という含みを持つため、お願いの意を示す場合には『…ください』を使うほうが適切。『〔上司に向かって〕☓帰らせていただきます/◯帰らせてください』」
「させていただく」のかくのごとき「不適切」な用法が氾濫する世界は住みにくい。