ほぼ一日、明日の授業の準備に費やす。その合間に雑用の処理。論文の推敲はまったく進まず。
一昨日の記事で引いたエックハルトの説教の別訳をここに書き写しておく。ただし、こちらの訳の方がいいと思っているわけではない。なにか訳者の「色」が付着してしまっていると感じる。もちろん、無色透明な訳など、そもそもあり得ない。が、この訳を読む度に感じる、なにか押しつけがましい、と。でも、そう感じるのは、こちらの狭隘な精神の歪んだ受け止めた方に過ぎないのだろう。
神が魂のうちで働こうと欲し給う場合は神自身がその働きの場所である[…]というほどに、人が神と神のあらゆる働きから脱却し切っているのが精神の貧だからである。人はそれほどに貧であるのを神が見出し給うならば、神は神自身の働きをなし、そして人はそのように働き給う神を自分の内に受け、かくして神は、神自身のうちで働き給う故に、自らその働きの固有の場所であり給うのである。ここに至って、すなわちこのような貧において、人は、彼が嘗てそれであったところの、今それであるところの、そしていつまでも恒にそれであるだろうところの、永遠なる存在を再び取り戻すのである。