ここ二年の日本学科の学生たちに対する私の感情を一言でまとめるならば、「悲哀」の一語に尽きる。私が授業で話したことの多くに関して、無関心、無理解、軽視、誤解など、どうしてここまで否定的な反応(というよりも、無反応)なのかと、ほとんど絶望的な思いに気持ちが沈むことが多かった。
このような物言いにはいささか誇張があることは認めるがが、現実を歪曲してはいない。
そんな鬱陶しい気分から私をいくらかでも解放してくれたのが昨日の記事で話題にした一通のメールであった。
そして、今日、まったく思いがけないことに、また一通の嬉しいメールが届いた。
数年前、ハイデガーと京都学派との対話についての博士論文の共同指導者としての指導を私に依頼してきた学生からのメールだった。曲折あり、彼女が現在所属している大学では、博士論文に関して学外の共同指導者は認められないことが昨年の今頃わかり、そこでやりとりは途絶えていた。その彼女からのメールだった。幸いなことに、博士論文の執筆は順調に進んでいるという。
そのメールの末尾に、同大学のもうひとりの博士論文課程の学生と、現象学についての研究集会を来年に向けて準備しているが、それに参加してくれないかという打診が添えられていた。
今年に入って、フランス国立図書館(来年五月)とカナダのラヴァル大学(来月)とでの講演、現象学と日本哲学について京都大学で開催予定のシンポジウム(来年三月)への参加、ロレーヌ大学のアンリ・ポアンカレ研究所主導の「数学と京都学派」研究チームへの参加の依頼に次いで、これが五つ目の依頼である。
所属する当の日本学科ではもはやほとんど無用者に過ぎないが(もうすぐいなくなるから、今しばらくのご辛抱を願う)、まさにそれだけに、こうした外からの依頼や打診は嬉しいし、いささか慰められる。