一昨日、谷川俊太郎の逝去をネットのニュースで知った。今月13日に老衰のため都内の病院で亡くなられたとのこと。享年92歳。1931年12月15日生まれだから93歳の誕生日まであと一ヶ月ほどだった。
特に熱心な読者ではなかったけれど、必ずしも彼の手になるものだとは最初は知らずに触れてきた童謡や翻訳やアニメの主題歌も含めれば、彼の作品は子供の頃から今日までずっと身近にあったことに訃報に接してあらためて気づく。
「追悼」という言葉は彼にはふさわしくないように思う。「悼む」よりも、詩人としてまっとうされたその生涯をただ讃えたい。しかし、それは彼を崇拝の祭壇に祭り上げるためではない。しばらく仕事の手を休めて、いくつかの作品を味わうように口ずさみながら、彼が紡ぎ出した自在で多彩で無辺の言葉の宇宙のなかでしばらく時を過ごしたい
手元には文庫版の谷川俊太郎詩集が二冊ある。ハルキ文庫版(角川春樹事務所、1998年)と岩波文庫の『自選 谷川俊太郎詩集』(2013年)である。
両者に収められている作品のひとつ「帰郷」をここに書き写す。『谷川俊太郎詩集・続』(1979年)所収だが、1950年代の初期作品のひとつだと思われる。
私が生まれた時
私の重さだけ地が泣いた
私は少量の天と地でつくられた
別に息をふきかけないでもよかった
天も地も生きていたから
私が生まれた時
庭の栗の木が一寸ふり向いた
私は一瞬泣きやんだ
別に天使が木をゆすぶった訳でもない
私と木とは兄弟だったのだから
私が生まれた時
世界(コスモス)は忙しい中を微笑んだ
私は直ちに幸せを知った
別に人に愛されたからでもない
私は只世界(コスモス)の中に生きるすばらしさに気づいたのだ
やがて死が私を古い秩序にくり入れる
それが帰ることなのだ……
括弧内の「コスモス」はテキストでは「世界」に振られたルビなのだが、このブログにはルビをそのまま再現できないので、上掲ように後置した。「一寸」にも「ちょっと」とルビが振られているが、こちらはなくてもそう読めるだろうから省略した。
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