月曜日の「日本思想史」の授業後ほぼ毎回質問に来る女子学生がいる。成績は断然トップ、知的レベルが他の学生とは違うとさえ言ってもよい。ときどきこちらの虚をつくような質問で私を戸惑わせる。
一昨日は、「先生、良い詩と良くない詩を見分けるにはどうしたらよいのでしょうか」と真顔で聞いてきた。「まずは自分が好きかどうかが大事で、一般的な評価は気にしなくていいよ。ただ、古典となると、何世紀にもわたって読みつがれてきたわけだから、おのずと名歌・秀歌と評価が定まっている歌はある。それらに親しむことで自分のセンスも養われてくるものです。そのためには名歌・秀歌を集めたアンソロジーを読むといいですよ」と言って、丸谷才一、大岡信、塚本邦雄の名を挙げておいた。彼らが編んだアンソロジーのなかには電子書籍版で入手できるものもあり、その分アクセスしやすく、何よりも、この三人が名歌・秀歌として挙げる歌なら、まず間違いはないからである。
ここまでは即座に答えられたのだが、その次の質問は想定外。「先生、良い詩人になるには才能以外に何が必要なのでしょうか」。これにはまいった。「何の才能さえない私にはそもそも答えようがないよ」と笑って済ませた。彼女もさすがにこれは無茶な質問だったと思ったようだ。
昨日の記事で清原深養父の歌を取り上げた際、塚本邦雄の『新撰 小倉百人一首』(講談社文芸文庫、2016年)を開いてみた。塚本が撰んでいるのは「滿つ潮のながれひる間を逢ひがたみみるめの浦に夜をこそ待て」なのだが、その評釈を読めばなるほど納得はできるものの、私には技巧的に過ぎるように感じられ、むしろ塚本が深養父の他の秀歌として挙げている他の歌の中に気に入る歌があった。
冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ (古今和歌集・巻第六・三三〇)
塚本はこの歌について「「雲のあなた」の抒情はみづみづしい」と一言評している。
角川ソフィア文庫版『古今和歌集』の高田祐彦氏の注解は、ごく短い表現のなかに豊かな詩想がこもっている。読んでいて楽しい。「見立てによる冬の花という矛盾を、天上の春という美しい想像によって解消する。と同時に、天上の春の落花は、地上の冬へと時間を遡って訪れる、という不思議さ。」
この歌、大岡信も『名句 歌ごよみ〔冬・新年〕』(角川文庫、2000年)で採っている。
丸谷才一の『新々百人一首』(新潮社、1999年)では、清原深養父もその孫元輔(清少納言の父)も百人から外されている。彼のなかでは二人とも評価が低いということであろうか。
C’est l’hiver, pourtant
Du ciel tombent des fleurs ;
Serait-ce que là-bas
Par-delà les nuages
Le printemps est arrivé ?
Kokin Waka Shû. Recueil de poèmes japonais d’hier et d’aujourd’hui,
traduit par Michel Vieillard-Baron, Les Belles Lettres, « Collection Japon », 2022.
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