内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

レヴィ・ブリュール『原始的心性』を読む(15)― 反植民地主義のマニフェスト

2015-06-20 08:14:50 | 読游摘録

 『未開社会の思惟』(1910年)と『原始的心性』(1922年)との間にある問題関心の差異は、それぞれの最後の数章に見られる探究の方向性の違いによく見て取ることができる。
 『未開社会の思惟』の第四部第九章では、「心性の上級型への過渡」という問題が提起されている。この過渡は、「感じられた」分有(融即)から「表象された」分有(融即)への移行、あるいは漠然とした霊性から個別化された神性への移行として考えられている。この移行は神話を媒介としている。
 このような分析は、一種の進化論を前提としている。同書のそれまでの部分ではそのような進化論を批判しているにもかかわらずである。この分析は、原始的心性における「神秘的」要素の還元不可能性をその結論としているとしても、当時なおヨーロッパ社会で支配的であった進化論的世界像からやはり完全に自由ではなかったのである。
 ところが、『原始的心性』の最後の三章は、未開社会がヨーロッパの植民者の到来をどのように見ていたかという問題、つまり、閉じた社会への未知なる他者の到来の知覚の問題に割かれている。レヴィ・ブリュールは、そこに「自然な実験」を見ており、それによって、原始的心性における新しい出来事の解釈についてのそれまでの観察が確証されるだろうと考えたのである。他方、後に人類学が「異文化受容」(« acculturation »、「文化変容」とも訳される)と呼ぶようになる現象の研究の必要性を訴えてもいる。
 これらの章は、他方で、実践的な狙いも持っている。というのは、「新しいもの嫌い」(« misonéisme »)の名の下に、原住民がヨーロッパ人によってもたらされた技術に対して抵抗する理由を説明しようとしてもいるからである。「その衝撃は、一般に彼らは閉じた世界に生きていただけにより一層激しいものだったはずである。彼らはその世界の仕切りが踏み越えられることがあるなどとは想像したこともなかったのである」(« La secousse a dû être d’autant plus violente qu’en général ils vivaient dans un monde clos, dont ils n’imaginaient pas que les parois pussent être franchies », La mentalité primitive, op. cit., p. 510)。
 とはいえ、このような「閉じた世界」は、その内部に動性を欠いているわけではない。なぜなら、そのような世界を構成している社会的義務は、あらゆる個人を直ちにその義務の中に取り込むからである。例えば、ヨーロッパから来た医師たちが原住民たちの体に施した処置に対して、彼らは医師たちに賠償を求める。つまり彼らの閉じた世界のルールは、外から来た者たちにも直ちに適用されるということである。
 『原始的心性』は、今日からすればすでに時代遅れと見なされるそのタイトルにもかかわらず、当時としては驚くべき反植民地主義のマニフェストになっている。ヨーロッパ人たちの到来と、その到来に意味を与えるために被植民社会が講ぜざるを得なかった策略とは、それら社会にとって大災厄であった。その大災厄を内側から記述することによって、レヴィ・ブリュールは植民地主義を告発しているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(14)― 現代社会の予見術

2015-06-19 11:45:13 | 読游摘録

 レヴィ・ブリュールは、『原始的心性』において、「感情の論理」という問題を取り上げ直す。それは、感情の論理が「記号の論理」をその内側からいかにして活性化するのかということを理解するためであった。しかも、この問題が考察されるのは、記号が安定的な仕方で事物を指示するのではなく、危惧あるいは期待される出来事へと動的な仕方で導くという、限定された、しかし人間の社会生活により大きな影響を及ぼしうる場面でのことである。
 例えば、夕焼け空が明日の好天の指標としてではなく、ある予見しがたい幸福なあるいは不幸な出来事の「前触れ」として解釈されるような場合を考えてみよう。前者の場合、多かれ少なかれ経験的にかあるいは気象学的にか根拠づけられた一つの論理にしたがった推論の帰結であるが、後者の場合、夕焼けという自然現象と人間にとって幸福あるいは不幸な出来事との間には、一定の論理にしたがった安定的な関係はない。それにもかかわらず、前者は後者の前駆的徴表であるという認識がもたらされるためには、それを可能にする別の論理を前提し、かつそれがある共同体の成員に共有されていなくてはならない。
 ここで、レヴィ・ブリュールは、1884年の博士号取得の際に「責任の概念」についての主論文と同時に当時の規則に従って提出されたラテン語の副論文の中でセネカについて取り上げた問題に立ち戻ることになる。その問題とは、(神の)摂理(providence)に導かれた世界観、つまり、自然現象を道徳的意図の指標として「読む」ことによって形成される世界観は、如何にして構成されるのか、という問題である。
 しかし、戦争経験は、「摂理」を一国家の安定的な枠組みの中で考えることをもはやレヴィ・ブリュールに許さなかった。それを社会的諸活動のより「原始的」レベルで考え直すことを戦争経験そのものが彼に要求したのである。
 目に見える「諸記号・指標」の解釈に基づいた、未来とのこの新しい関係を記述するために、レヴィ・ブリュールは、「警戒・用心」(vigilance)という概念を導入する。それは、単に学問研究の枠内だけでのことではない。一九三〇年代、レヴィ・ブリュールは、物理学者ポール・ランジュヴァン(Paul Langevin, 1872-1946)の呼びかけによって組織された、反ファシスト監視委員会(Comité de vigilance antifasciste)に積極的に参加し、ますます不確実な未来の方向づけのために努力している。
 卜占術が、自然が社会とアナロジカルに知覚されていた世界における「古拙」で「原始的」な慣習であるとすれば、「警戒・用心」は、自然の変容が来るべき大災厄の徴表である世界における「予見術」の現代的な形態であると言えるだろう。
 地球環境の劇的な変化に現在直面している人類の未来は、科学的に根拠づけられた「警戒・用心」によって方向づけられた「予見術」を社会的に共有できる「感情の論理」を新たに構築できるかどうかにかかっているのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(13)― 占い術の社会的機能

2015-06-18 12:48:08 | 読游摘録

 レヴィ・ブリュールが第一次世界大戦の戦中とその直後に戦争ついて書いた諸論説は、1922年に出版された『原始的心性』の分析の前提となっている基本的テーゼをよりよく理解させてくれる。
 1910年刊の『未開社会の思惟』では、二つの異なった心性が前提され、その一方が他方へと向かい接近することで、一方から他方へいかに進化しうるかを理解しようとしていた。ところが、『原始的心性』では、もはやそのような価値的に差異をもった二つの心性は前提されていない。ただ一つの心性があるだけである。その心性が「原始的」と形容されるのは、戦争がすべての国家をそこへと立ち戻らせる社会組織化の原初的状態こそが最終的なほんとうの問題だと考えてのことである。つまり、「原始的心性」は、最終的には、「未開人」の心的世界を指すためでも、有史以前の「原始人」のそれを指すためでもなく、戦争によって露呈された、現在の人類の「原始性」を分析するために導入された概念なのである。
 この現代社会における「原始的心性」は、諸個人間の経済的諸関係を基盤とした諸個人間の知的な交流の中で形成されるものだが、この心性の世界においては、それを分有する個人は各々、将来社会を襲うであろう大災厄を予見しようとする。そこでは、したがって、その共同生活を襲う諸々の不幸の責任を全員が負わなければならない(レヴィ・ブリュールが二十七歳のときに提出した博士論文は、「責任の概念」をテーマとしており、この「責任」がそれ以後のすべての著作の導きの糸となる)。
 ここで、今回の連載「レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む」の第一回目に引用した文章をもう一度引用しよう。

Les sociétés européennes se trouveraient en 1918 dans une situation comparable aux sociétés « primitives » : confrontées à une catastrophe imprévisible dont elles cherchent à atténuer les effets en les rendant visibles (Présentation par F. Keck pour La mentalité primitive, Paris, Flammarionn, « Champs classiques », 2010, p. 29).

 ヨーロッパ社会は、1918年、「原始的」社会に比すことができる状況に置かれていたとも言えよう。未曾有の大災厄を目の当たりにして、その影響を目に見える形にすることで弱めようとしているからである。これがレヴィ・ブリュールの当時の状況認識であった。
 『未開社会の思惟』では重視されていなかった占い術(予見術)が『原始的心性』では中心的な考察対象になっていることも、そこから理解できるだろう。古代の占い術と未開社会でのその諸形態とを比較することによってデュルケーム社会学派が明らかにしたことは、占い術の実践が社会契約の原初的形態を確立したということである。卜占術は、かくして「神明裁判」(« ordalie »「神の裁きの名のもとに、火、熱湯、決闘などの試練を無事に切り抜けた被告人を無罪とした」『小学館ロベール仏和大辞典』)という形を取ることとなった。つまり、社会がその成員たらんとする諸個人について、その諸個人がその社会の中に入るに値するかどうか知るための判断という機能を卜占術は有つようになったのである。
 その社会的機能という観点からより厳密に言えば、あらゆる卜占術は、それによって自然現象が人間各個人の道徳的価値の指標として解釈される認証テストなのである。卜占術が荒唐無稽に見え、さらには矛盾しているとも見えるのは、それが未来の予見困難な偶発的出来事・現象の領域に踏み込みながら、それらの出来事・現象を社会生活の秩序の中に取り込み、未来への手掛かりにしようとしているからである。しかし、ここで重要なのは、外から見ればどんなに馬鹿げている卜占であっても、それがある社会の成員全員によって共有されるとき、その社会生活の秩序形成要素として機能しうるということである。
 かくして、この「非科学的」で「非論理的」な共同心理のメカニズムを明らかにすることがレヴィ・ブリュールの目指すところとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(12)― 東西対立図式の崩壊

2015-06-17 17:23:16 | 読游摘録

 戦争が世界的規模になったのだから、ヨーロッパの争乱の原因であった経済的諸関係は、「正義」という普遍的な鏡に照らして、これからその向かうべき方向が見定められなければならない。
 レヴィ・ブリュールは、第一次世界大戦直後の1920年に発表した記事の結論でこのように述べている。この記事には、« L’ébranlement du monde jaune »(「黄色い世界の震撼」)という、中身を読まなければ、今日の目からすると、たちどころに人種差別的と誤解されかねないタイトルが付けられているが、実際には、戦後最も早く出版された反植民地主義のマニフェストの一つなのである。
 1919年、レヴィ・ブリュールは、ジョン・デューイやバートランド・ラッセルのように、中国で一連の講演を行っている(因みに、岩波文庫『未開社会の思惟』下巻の訳者山田吉彦の「あとがき」によると、1917年に、アメリカで近世哲学史を講じた後に、東京のアテネ・フランセで何回かの講演を行ったという)。その中国講演旅行の際に、レヴィ・ブリュールは、おそらく五四運動を目撃しているはずである。旧帝国から解放された自分たちの国を西洋的理想に従って作りなおそうという中国人学生たちの叫びが耳朶に響いたはずである。
 その講演旅行での経験と見聞から引き出された教訓を、レヴィ・ブリュールは、植民地世界全体へと敷衍する。それまでのレヴィ・ブリュールの人類学的・民族学的研究は、心性の二元論を前提としていたが、その心性の二元論は、西洋と東洋との対立という図式をその礎としていた。その基礎的図式が根本から揺るがされるのを、レヴィ・ブリュールは、まさに自らの出来事として経験したのである。
 もちろん、今日の私たちの目から見れば、「黄色い世界の震撼」という衝撃は、西欧に優位を置いた対立的図式を脱構築させるには程遠いし、レヴィ・ブリュールの当時の世界状況の認識はもはや完全に過去のものであることは認めざるをえない。特に、当時の東アジアの中で日本の占める位置について、正確かつ充分な知識を欠いていたことは否定できないであろう。しかし、少なくとも、レヴィ・ブリュールは、東西世界の接近という新しい世界図式の到来を、大戦の戦火の傷跡がまだ生々しくいたるところに残っているフランスにあって、感動と期待とをもって受け入れようとしているとは言うことができるだろう。

Jusqu’à notre siècle, ces deux grandes portions de l’humanité ont vécu d’une vie séparée. Plus exactement, l’une des deux seulement se portait vers l’autre : le rapprochement demeurait, si l’on peut dire, unilatéral, dû surtout à l’esprit d’entreprise des Européens. [...] Leur mentalité, leurs croyances, leur manière de vivre différaient profondément de celle des Blancs. Dans toute la force du terme, l’Occident, même présent, leur demeurait étranger. Aujourd’hui, en plus d’un point, cette attitude se modifie. À l’indifférence succède un intérêt croissant. Pour la première fois, l’Extrême-Orient se sent attiré vers l’Occident ou du moins désireux de ne plus l’ignorer. Pour la première fois, une pénétration mutuelle des deux mentalités, des deux civilisations va devenir possible (« L’ébranlement du monde jaune », Revue de Paris, XXVII, n° 5, 1920, p. 873).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(11)― 戦争の複合的原因

2015-06-16 14:14:19 | 哲学

 ジャン・ジョレスの社会主義は、人類的レベルでの精神的原理の擁護を含意しているとしても、そのことは、フランスが、「人類のエリート」として、その理想を体現しているという自負を持つことを妨げるものではなかった。当時のフランス知識人たちの多くに共有されていたこの祖国への自負は、ジョレスとレヴィ・ブリュールの École Normale Supérieure の同窓であるデュルケームやベルクソンを、「ドイツ的心性と私たちの心性」あるいは「消耗する力と消耗しない力」とを対立的に見るヨーロッパ観へと導いた。
 この点において、レヴィ・ブリュールは、それら同時代を代表するフランス知識人たちと一線を画する論説を展開している。その立場は、1915年に或る国際雑誌に発表された « Les causes économiques et politiques de la conflagration européenne »(「ヨーロッパの争乱の経済的・政治的諸原因」)という記事によく見て取ることができる。その同時代的考察は、単にドイツ側の戦争の首謀者たちの言説のみを対象とするものではなかった。レヴィ・ブリュールによれば、それらの言説は、戦争の「象徴」でしかなかった。
 レヴィ・ブリュールがそこで試みていることは、ヨーロッパを未曾有の規模の争乱に至らせた構造的かつ心理的諸原因間の相互作用を「理解する」ことである。それは、単に「それぞれの国民の責任を確定する」ためばかりではなく、「事実からはっきりとした教訓を引き出し、将来再発するかもしれない同様な大災厄に備える」ためでもあった。レヴィ・ブリュールは、相互にますます依存性を強める国家間の対立を激化させる経済的・政治的諸関係の複雑な相互作用を喚起する。痛ましいアルザス・ロレーヌ問題、一触即発状態のバルカン半島、植民地問題処理をめぐるドイツの嫉妬、フランスの自己過信、オーストリア・ハンガリー帝国がかかえる内的緊張等々。
 同時代の多くのフランス知識人たちが、フランスの参戦を正当化するために、敵国ドイツについての教条的なイメージを提示していたとき、レヴィ・ブリュールは、フランスとドイツが相互に争いの責任を擦り付け合う構造的な原因の作用を分析している。
 「戦争を勃発させた国の中に戦争の諸原因を探すのは理にかなったことだと人々は考えている。しかし、それらをドイツの中にばかり探すのは公平とは言えないであろう。現在におけるヨーロッパ全諸国の経済的・政治的状態を考慮しなくてはならない」と、レヴィ・ブリュールは、同記事の中で訴えている。そして、「経済界は、通常は平和を何よりも望む」が、自分たちの商売に不利になるような緊張関係を解消するために、政府を戦争に駆り立てることがあるのだと説明する。
 もし戦争の原因がとどのつまり経済的な性格のものであるのならば、戦争の解決も、武力によってではなく、経済によってなされなくてはならない。このような確信から、レヴィ・ブリュールは、積極的に軍部に働きかけ、前線から工場労働者たちを引き上げさせ、他方では、国内の女性労働力を活かし、フランス国内の産業強化を図る計画を献策する。このような政策は、国内で論議を呼んだが、労働者たちの意識を改革した。
 このような戦争経験を通じて、レヴィ・ブリュールは、国民意識が国家組織から社会の底辺に至るまでの活動へと拡大するのを目の当たりにした。言い換えれば、「社会全体の可視性」(« la visibilité du corps social »)の変容を内側から観察することになったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(10)― 戦争と機会原因論

2015-06-15 15:47:15 | 読游摘録

 第一次世界大戦は、レヴィ・ブリュールの思想にいかなる衝撃を与えたのか。
 それは、なによりもまず、共に政治的参加を分かち合った友の一人をその戦争が奪ったことである。その友とは、ジャン・ジョレスである。ドレフュス事件で共にドレフュス大尉を擁護した後、レヴィ・ブリュールは、L’Humanité 紙の創刊に参加する。1914年のジョレス暗殺事件は、École Normale Supérieure 時代以来親しく付き合ったきた友ジョレスの政治・社会思想にレヴィ・ブリュールを立ち戻らせた。
 友の思想を語る、知性の率直さと喪の悲しみとが混ざり合ったその文章を読むとき、人類の多様性の問題をいかに考えたらよいのかという問いを、なぜレヴィ・ブリュールが己の人類学的・民族学的研究を通じて問わなければならなかったのか、私たちはより痛切に理解することができるだろう。

ジョレスは生きた ― そして、死んだ ― 社会的正義と解放された人類という理想のために。彼は、多くの人々の境遇は今のまま変わらぬであろうということを、動かしがたい事実、自然な必然性として受け入れることはなかった。彼は、今日ただ今からでもそれは改善されなければならず、時間とともに変容させられなければならないと信じていた。[...]ジョレスにとって、十全に人間的な生活とは、どのようなものなのか。貧窮とそれが生み出す諸悪を免れ、明日、食べられるかどうか、身に纏うものがあるかどうか、この身を暖めることができるかどうか、我が身そして家族が屋根の下に眠ることができるかどうかという日々の思い煩いから解放されること。しかし、それらはまだ人間にとって十全な生活の物理的基盤でしかない。その本質は精神的部分にこそある。過去の全世紀が生み出した最も美しいものと親しく交わること、科学と哲学によって世界を理解するために人間の思想の努力を分有すること、自然を瞑想することによって諸事物の神秘的な原理と交流すること、つまり、人種、階級、国籍、宗教にまつわる憎悪から解放された人間的な連帯の感情を持つこと。

Jaurès a vécu – et il est mort – pour un idéal de justice sociale et d’humanité affranchie. Il n’acceptait pas comme un fait immuable, comme une nécessité naturelle, que la condition de la plupart des hommes restât ce qu’elle est présentement. Il croyait qu’elle devait être dès aujourd’hui améliorée et, avec le temps, transformée. [...] En quoi consiste, selon lui, cette vie pleinement humaine ? Échapper à la misère et à tous les maux qu’elle engendre, au souci quotidien de savoir si l’on pourra demain se nourrir, se vêtir, se chauffer, dormir sous un toit, soi et le siens : ce n’est encore là que la base physique de cette vie. L’essentiel en est la partie spirituelle : le commerce intime avec ce que les siècles passés ont produit de plus beau ; la participation à l’effort de la pensée de l’homme pour comprendre le monde par la science et la philosophie ; la communion avec le principe mystérieux des choses par la contemplation de la nature ; enfin, le sentiment de la solidarité humaine dégagée des haines de race, de classe, de nationalité, de religion » (Quelques pages sur Jean Jaurès, Paris, Librairie de L’Humanité, 1916, p. 40-41, cité dans la Présentation de F. Keck pour La mentalité primitive, op. cit., p. 20-21).

 この文章は、今から約一世紀前に書かれたものである。世界がこの百年間に成就した物質的進歩は、長く人類の歴史に記され続けるに値する驚嘆すべきものであろう。しかし、その記述の脇に、「しかし、この間、人類は、精神的には、ほとんど見るべき進歩を実現できなかった」と記されることはないと誰が断言することができるであろうか。
 この文章の中で注目すべきなのは、レヴィ・ブリュールが、『未開社会の思惟』の中の中心概念の一つであった « participation » (「分有」あるいは「融即」)を、ここでは、自らがそこに生きる現代社会における物質的なものと精神的なものとの関係を記述するために使っていることである。レヴィ・ブリュールがこの語をマルブランシュから借りていることをここでもう一度思い出すことは無駄ではない。レヴィ・ブリュールは、物質的生活における偶発事・事故は、精神的な連帯の原理が顕現する機会だと考えるのである。「未開人の心性」の社会学者も、狂信的国家主義者の凶弾に倒れたその無二の親友も、戦争に断固反対しつつ、その危機が迫る状況の中にこそ、精神的次元における「普遍的理想」が実現する機会を見ようとしていたのである。
 この歴史の機会原因論は、安全な書斎から歴史を傍観する学者の歴史観ではない。それは、歴史の中に生きる者の精神的次元における倫理的責任の表現なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(9)― 予見不可能性

2015-06-14 15:41:51 | 読游摘録

 『未開社会の思惟』における分析は、客観的な空間的組織よりも主観的な共同的行動がより大きな社会的機能を果たしている様々な社会における知覚の諸形態をその対象としている。その分析は、共同的行動に際してそれらの社会が依拠する諸指標を記述する。その指標とは、記憶、数量化、抽象化などの諸形態である。しかし、その分析は、それらの指標が、「私たち」がそれに慣れ親しみ、それに従って生きている西洋近代の論理の堅固な構築性に対して、「不適切」であることを結論として導く外はなかった。なぜなら、「私たちの論理」は、合理的なある秩序の中で諸事物を区別することによって、世界をより予見可能なものとしようとするものだからである。
 未開社会に観察される、予見可能性に関して「不適切な」世界観を前にして、「私たち」はこう問わざるをえない。「私たち」の世界観に比べて、はるかに予見不可能な出来事に左右されているこの世界観を、どのようにして内側から理解すればよいのか。その世界を解釈するだけではなく、その中で現実に行動し、その中で出来事をそれなりの仕方で予見することを可能にしている「彼ら」の世界観を、「私たち」は、どう理解すればよいのか。
 1910年の『未開社会の思惟』においては、このように外側から問われていた未開社会における世界観の問題が、自らがそこに生きる社会の問題として問わざるを得なくなる歴史的出来事がレヴィ・ブリュールを襲う。第一次世界大戦である。もちろん、この大戦がヨーロッパ社会にもたらした精神の危機は、レヴィ・ブリュール個人が直面した社会学的・人類学的問題を遥かに超える次元にまで達していたのは言うまでもない。しかし、私たちは、レヴィ・ブリュールの心性の社会学の中に、ヨーロッパ精神が自らの危機に直面して、内側からそれを超克しようとする一つの真摯で謙虚な精神的努力の表現を見ることができるだろう。
 戦争経験は、レヴィ・ブリュールに、それまでのように安定的であることを止めた世界の中での行動形態を発見させる一方、その新しい世界の中でもまた作用し、その世界をそれまでとは違った仕方で予見可能にしようとする「見えない諸力」(« forces invisibles »)を新たな光の下に見ることをも可能にした。1922年の『原始的心性』において、「未開人」心性の分析は、科学的論理の枠組みの中にとどまったままでの形而上学的な戯れであることを止める。それは、不確実な世界において行動するとはどういうことなのかを内側から理解する試みへと変容したのである。
 私たちは、つねに多かれ少なかれ予見不可能な世界の中に生きている。近代合理主義によって生み出された諸科学がもたらした、あるいは今ももたらしつつある諸知見とその応用は、世界における予見可能な領域をますます時間的にも空間的にも拡大しつつある。人類は、この世界の中で生存し続けるかぎり、出来事・諸現象の予見可能性を高めようと努力し続けるだろう。しかし、それにもかかわらず、いつでも予見不可能な出来事は発生しうる。
 このほとんど根本的と言ってよい世界内在的予見不可能性に対して、社会的存在である私たちは、いかに知覚世界における共同的行動によって対処するのか。どのような社会でも問われうるという意味で普遍的なこの問いが、『原始的心性』を今日の世界の中で私たちに読み直させるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(8)―「神秘的なもの」

2015-06-13 15:23:56 | 読游摘録

 レヴィ・ブリュールが「社会的なるもの」を共同的な行動の知覚の仕方として捉えるとき、その心性の社会学は、ベルクソンの形而上学と交叉する。この交叉は、ベルクソンの形而上学が一つの知覚の哲学として提示されるかぎりにおいてのことである。
 この両者の交叉点については、レヴィ・ブリュールにおける「神秘的」(« mystique »)という語の使用の仕方の中にその指標を見出すことができる。この語によって、レヴィ・ブリュールは、分有(融即)の或る一つの質を指示しており、この質が分有(融即)の知覚様態を表象の明確な枠づけから区別している。ここで「神秘的」ということは、集合的精神が全体的に顕現することを意味しているのではない。「神秘的」とは、集合的精神を知覚した個別的精神がその知覚によって変化させられながら、その変化の原因を明確に特定することができない状態にあることを意味している。
 ベルクソンもレヴィ・ブリュールもそれぞれに己の思想の一つの源泉とした二十世紀初めのころに発展した神秘主義の心理学の教えるところによると、神秘主義とは、科学的観点からすれば全体的で空疎だと断罪されるような一つの認識形態であるよりも、「知覚された対象の必然的に不完全な性格によって発動される行動過程」(« un processus d’action enclenché par le caractère nécessairement incomplet de l’objet perçu », Présentation pour La mentalité primitive, op. cit., p. 18)である。言い換えれば、神秘的経験は、その対象を混乱したした仕方でしか把握しないから、その対象から受けた衝動を延長する行動過程を発生させるということである。
 「神秘的」ということがこのような意味で理解されるところでは、それが宗教的な含意からすっかり切り離されていること、つまり、「神秘的」ということは、ある一つの組織された宗教のはっきりとした枠づけの中には入らないことがわかるだろう。そのように「神秘的」という語を使用することによって、レヴィ・ブリュールは、「日常的経験の中で接近可能な質的な異質性」(« une hétérogénéité qualitative accessible dans l’expérience ordinaire », ibid., p. 19)を指し示そうとしているのである。ここでレヴィ・ブリュールは、ベルクソンがそれを空間の等質的枠組みから切り離すために「持続」(« durée »)と呼んだところのものに接近している。
 実際、レヴィ・ブリュールは、1890年に、ベルクソンの Essai sur les données immédiates de la conscience(『意識に直接与えられたものについての試論』ちくま学芸文庫)の書評を哲学専門誌 Revue philosophique に発表している。その中で、レヴィ・ブリュールは、ベルクソンにおける質的な異質性としての因果性という新しい考え方を強調しているが、他方では、ベルクソンの「純粋持続」に対して、持続を「社会化」(« sociologiser »)する必要性にも言及している。
 「私たちは一人で持続するのではない」(« Nous ne durons pas seuls »)。このような視野に立つとき、「原始的心性」は、持続のさまざまは流れを、つまり、それぞれの個体において生きられている異なった持続の流れを、社会の空間的枠組みの手前のところで協調させる様態として考えられるようになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(7)― 社会学的機会原因論

2015-06-12 15:30:31 | 読游摘録

 自分が属する社会においてその社会との一体感を一人の個人が感じるメカニズムを記述する概念装置を作成するために、レヴィ・ブリュールは、一つの行動の哲学を導入する。行動の哲学という構想は、デュルケームにおいては、ただ素描されただけで、発展させられることはなかった。なぜなら、デュルケームは、制度の集合的表象という枠組みにまだ囚われていたからである。
 レヴィ・ブリュールは、マルブランシュから « participation »(「分有(融即)」)という概念を借りている。マルブランシュは、それをプラトンから借りているのだが、それは、マルブランシュの時代に提起されていた根本的な哲学的問題の一つに解決をもたらすためであった。その問題とは、デカルトによって提起された問題である。魂は、身体とはその本性において異なるのに、いかにして身体に働きかけることができるのか、という問題である。
 十七世紀に一個の精神の問題として考察されたこの心身二元論的問題が、二十世紀に入って、社会学の分野で、集団的次元で問い直されることになる。その問いは、次のような形で問われる。集合的精神は、表象を介してしか作用することができないとすれば、いかにして個別的な身体に働きかけることができるのか。
 二元論が提起する心身問題に対して、マルブランシュは、機会原因論という解決法を適用する。物体と思惟とは、互いに並行関係にある二つの秩序を形成している。しかし、前者は後者が発動するための機会を提供するに過ぎない。言い換えれば、それぞれの自然的因果性の背後に超自然的因果性を見なければならない。この超自然的因果性とは神的因果性である。例えば、私の腕を動かすのは私の精神ではない。それは一般意志である。
 個人の行動の問題に対するこのような形而上学的な解決法が、社会学の諸問題を新たな光の下に見直すことを可能にする。なぜなら、このような見方によれば、社会的制度が個別的身体に働きかけるのは、一個の個体が他の個体に働きかけるような仕方ではなく、そのような働きかけが実効性を持つためには、社会的制度が個々人の諸行動を通じてそれらの行動を方向づけるものとして知覚されるだけで充分だからである。つまり、諸個人の行動がその中でこそ意味を持つ「見えない諸力の場」(« champ de forces invisibles », Présentation de F. Keck pour La mentalité primitive, op. cit., p. 17)として社会的制度が知覚されれば、「社会」は、個々人に実効的に作用を及ぼすことができる。
 このような考えから、レヴィ・ブリュールは、知覚の分析へと向かう。そこでの問題は、どのようにして社会が私たちを見えない諸力に参加させるか、ということではない。なぜなら、もしそうならば、社会が他の作用因と同じように働きかけることになり、社会に固有の作用様態を捉えることはできないからである。
 問題は、むしろ次のように立てられる。
 諸個人は、自分たちがそれらを「分有(融即)」し、社会的存在として行動できるように導く見えない諸力をどのようにして知覚するのか。
 かくして、社会的なるものは、レヴィ・ブリュールにとって、諸個人に対して超越的に飛翔する集合的実体などではなく、むしろ共同的な行動の知覚の仕方として捉えるべきものとして認識されるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(6)―「分有(融即)の法則」

2015-06-11 16:23:10 | 読游摘録

 レヴィ・ブリュールは、西欧で発達した論理とは異なった「他なる論理」(autre logique)を記述するために、« participation »( 「分有」あるいは「融即」と訳される)という術語を導入する。この語は、レヴィ・ブリュールの思想においてその意味を捉えるのがとてもむずかしい語の一つである。この語の中には、レヴィ・ブリュールの思想の核が内包されている。『未開社会の思惟』の中でこの語を初めて本格的に心性の社会学的研究の中心的概念として用い始めて以後、レヴィ・ブリュールは、生涯を通じて、この語の定義を繰り返しやり直すことになる。
 最初、レヴィ・ブリュールは、「分有(融即)の法則」を、アリストテレス以来西欧の論理的思考の組織化の根幹にある矛盾律と対称的な位置をしめる思考の原理として措定する。一般的に、古典的な論理学においては、あるものは己自身以外のものではあり得ないという同一律を、そのあるものについて対話する二者間に共通理解が成立するために措定するが、「原始的心性」においては、あるものは、同時にそれ自身でありかつそれではないところのものでもありうる。
 ブラジルの原住民ボロロ族の人たちが、まったく当たり前のこととして、自分たちはアララという鳥であると言うとき、自分たちは人間でありかつ鳥であるという「論理的に矛盾した」ことを言っていることになるが、それは、彼らが同一律も矛盾律も知らないからではなく、それとは違った仕方で思考しているからなのであり、彼らの精神は、鳥という動物の精神へと方向づけられており、この動物の精神に或る「神秘的な」仕方で「与る」(participer)のだ、とレヴィ・ブリュールは考える。
 つまり、レヴィ・ブリュールは、「分有(融即)」を、同じ一つの論理学的範疇表の中に同一律や矛盾律と並んで置かれるような、もう一つの規則として見ておらず、ある特定の社会集団に共有されている社会的事実と見ている。自分は人間でありかつアララであるとある人が言うとき、その人が属する社会の諸制度全体が、その人にアララの分有(あるいはアララとの融即)を「事実として」として受け入れさせていると考えるのである。
 この « participation » という語は、すでにデュルケームが Les formes élémentaires de la vie religieuse (『宗教生活の原初形態』岩波文庫)の中で用いている。そこでの問題は、一つの社会的全体の諸部分が、それぞれ互いに分離されたまま、いかにして一体となるのか、という問いであった。ここで、感情がまさに「論理的」と呼べるような「普遍的」な役割を果たす。ある社会の構成メンバーが「実効的に」(effectivement)一体となるには、「実体的に」(substantiellement)一体になる必要はなく、それらメンバーが互いに一体だと「感じる」ことができれば、それで充分なのである。言い換えれば、自分たちが属している社会的全体のある「像」(image)あるいは「象徴」(symbole)を感情的に共有できれば、そこに「一体感」が生まれる。
 ここまで見てきただけでも、この「分有(融即)」が決して「未開社会」にのみ固有な「非文明的」な社会的事実に過ぎないものではないことがよくわかるであろう。レヴィ・ブリュールは、しかし、このデュルケームの「分有(融即)」に関する解決法は不十分だと考える。「分有(融即)していると互いに感じる」とはいったいどういうことなのか、民族誌的事実に即して、さらによりよく理解しようと努める。