レヴィ・ブリュールの民族学・人類学的諸著作が出版当時大きな成功を収めた理由の一つは、それらの著作が、過去四世紀のヨーロッパ人たちによる植民地化の過程を通じて蓄積された、「原始社会」についての膨大な観察記録・資料を、明晰な言語で総体的に提示していることである。
この点において、レヴィ・ブリュールの方法は、デュルケームのそれと著しく異なっている。デュルケームは、比較的最近に人類学者たちによって観察されたオーストラリアにおける社会組織化のいくつかの形態の分析に集中し、その分析を論理的証明の出発点としている。それに対して、レヴィ・ブリュールは、できるだけ多くの異なった社会について、複数の時代に行われた観察から得られた事実の記述を積み重ね、そこからそれらに共通する特徴を浮かび上がらせようとしている。
このレヴィ・ブリュールの方法は、『金枝篇』におけるジェイムズ・フレイザーの方法にむしろきわめて近い。フレイザーが英国流の連想心理学や進化論に由来する偏見から自由ではなかったことは批判されるべき点として認めた上で、レヴィ・ブリュールが特にフレイザーの『金枝篇』について賞賛する点は、一つの謎をめぐって、できるかぎり多様な社会から取り集められた資料を互いに結び合わせるその卓越した技術であった。
レヴィ・ブリュールの民族学的・人類学的諸著作に付された文献表も膨大なものであり、読者はその大海のごとき資料の中で道を見失い、その航海から持ち帰ったものといえば、「原始的なもの」に接したことがもたらした眩暈ばかりということになりかねないほどである。それゆえ、航海図として役立つようにと、本文中に引用された固有名詞、地理的地域、「土着」概念、哲学的概念等の索引が付け加えられている。
特に以下の二点がレヴィ・ブリュールの比較方法を特徴づけている。
第一点は、出処を異にする原資料の分類の公平さである。それらの資料の執筆者は、伝道者、研究者、植民地開拓者、行政的管理者等であるが、当然、彼らの記述の目的とするところはそれぞれに異なる。例えば、植物学、動物学、言語学、民族学などの学問的な目的のために執筆された資料は、概して事実を正確に記述している。しかし、それらの資料の執筆者たちの中には、ヨーロッパの読者の好奇心を掻き立てようという意図も入り込むことがある。一方、伝道師たちは、長年彼らがその中で生きてきた社会をよく知ってはいるが、原住民たちの思考を伝道のために歪めて伝えてしまうことがある。レヴィ・ブリュールは、それら異なった見方を反映している資料を、そのことを自覚した上で、公平に取り扱おうとしているのである。
第二点は、考察の対象とされた文化地域の驚くべき多様性である。この多様性ゆえに、モースは、レヴィ・ブリュールに対して、「原始的心性」の名の下に、あまりにも異なった社会組織形態が、いわば十把一絡げにされてしまっていると批判する。この批判に応えるべく、『原始的心性』の次の著作では、対象とする地域をより限定している。それはともかく、レヴィ・ブリュールの主たる関心は、異なった社会組織からそれらに共通する「心性」の原理を引き出す比較方法をフランスに導入することであった。この意味での「心性」を、後にレヴィ・ストロースは、「不変項」(« invariants »)と名づけることになる。
今日レヴィ・ブリュールを読むことは、「原始的」と呼ばれた諸社会についての膨大な資料を再発見し、それを通じて、改めて次のように問うことであると言えるだろう。
社会的権力は、様々に異なった様態を通じて、「感覚によっては捉えがたいが、しかしながら現実的な」諸力( forces « imperceptibles aux sens et cependant réelles »)の存在をどのようにして信じさせるのか。
本日の記事をもちまして、好評(?)連載「レヴィ・ブリュール『原始的心性』を読む」を終了させていただきます。