内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(5)― 思考の論理の複数性

2015-06-10 16:51:56 | 哲学

 「心性の論理」を理解し、その組織のされ方を確定的に示すというレヴィ・ブリュールの企図は、レヴィ・ブリュールがフランスにおけるその最も良き解説者の一人であったオーギュスト・コントの哲学に淵源する。
 コントによれば、確かに、論理とは、諸事物に働きかける科学的な活動のために人間精神によって切り出された諸記号を記述するだけで満足するものではなく、一般に共通する生活の中から生まれ、「感情の論理」(« logique des sentiments »)とコントが呼ぶところのものにしたがって組織される諸関係を記述するものでもなければならない。
 ところが、このような企図は、論理と感情とが対立させられているかぎり、最初から理論的困難に突き当たらざるをえない。英国において、ジョン・スチュアート・ミルによって展開され、そしてバートランド・ラッセルによって洗練された論理のような形式論理を生み出すことはできない。しかしながら、このような企図は、フランス社会学が新しいタイプの心理学として己を提示するかぎりにおいて、その社会学に推進力を与えることになった。この新しいタイプの心理学としての社会学は、人間精神によって実現された総合化を、その「原始的な」レベルで把握することをその目的とする。ここでいう「原始的」とは、時間的な順序の意味においてではなく、論理的な意味においてである。
 「心性の論理」の理解を目指す企図にとって不幸なことに、レヴィ・ブリュールは、原始的心性に「前論理的」(prélogique)という非常に誤解を招きやすい、その意味で不器用な規定を与えてしまう。今日の目でレヴィ・ブリュールを読み直せば、その意図は、記号論理に先立つ感情の論理へ立ち戻ることであったことがわかる。記号論理は、人間精神の産物としては、感情の論理の後に生まれたものでありながら、それを覆い隠してしまうに至っていることへの反省がそこには働いていたのだ。
 レヴィ・ブリュールは、「原始的な」感情の論理の中に「幼稚な誤り」を見るのではなく、「社会的な思惟の現実的作用の一つの様態」を見ようとしていたのである。ところが、感情の論理を「前論理的」と規定してしまったことで、本来レヴィ・ブリュールの企図がもっていた反進化論的態度の勢いが大きく削がれてしまったのである。それだけでなく、レヴィ・ブリュールの心性の社会学には「前論理主義」というレッテルが貼られてしまい、レヴィ・ブリュール自身、その誤解を解くのに以後苦労することになる。最終的に、レヴィ・ブリュールは、「前論理的」という表現そのものを放棄するに至る。
 しかし、そのような誤解がヨーロッパ社会に広まったという事実そのものが、当時の西欧社会の「他なるもの」に対する典型的な態度を反映しているとも言える。このいわゆる「前論理主義」の考え方によると、原始的心性は、「私たちが持っている」論理的枠組みを欠いている、ということになる。もちろん、このようなテーゼの理論的根拠はきわめて脆弱である。まず、「原始的心性」という研究対象を、そこに欠けているものだけによって記述しようとしているからである。それに、そもそも論理を欠いた思考形態の可能性を考えることはきわめて困難だからである。
 「前論理的」という術語を導入することでレヴィ・ブリュール自身が記述したかったのは、記号論理とは違った、もう一つの「他なる論理」(autre logique)だったのである。この「他なる論理」はすべての人間精神に宿っているものなのだが、その表現が「文明社会」では見えにくくなっているがゆえに、「未開社会」(sociétés primitives)へと方法的に迂回することで、その論理に新たな表現形式を与えようというのがレヴィ・ブリュールの企図であった。
 古典的進化論と誤解されやすい見かけの下で、レヴィ・ブリュールの精神において実際に生まれようとしていたのは、当時としては驚くべきほどの文化相対主義的なアプローチだった。なぜなら、人間精神の論理的活動をその社会的生誕地に立ち戻らせることで、その活動の起源を複数としてとらえようとしているからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(4)― 比較主義の陥穽

2015-06-09 16:50:45 | 読游摘録

 ある一定の共同体の複数の行動形態を比較し、それらの間に見出だせる「家族的類似」(この語をレヴィ・ブリュール自身が使っているわけではない)を「心性」としてまとめて見、その他の行動形態と区別するという方法は、比較主義が陥りやすい二つの陥穽から免れることをレヴィ・ブリュールに可能にしている。その一つは、自分たちの文化と異なる共同体に生きている者たちの信仰に自分たちのカテゴリーを投射することであり、もう一つは、ただ単にその信仰が自分たちのそれとは異なると言うだけにとどまることである。
 ここで独り言を差し挟む。
 今日でも、比較研究というのは、人類学や民族学にかぎらず、社会学・言語学・文学・哲学などでもなかなか盛んである。フランスで外国人が博士論文を書く場合など、自国の例とフランスの例とを比較するケースが少なくない。このような場合、上記の二つの陥穽とはまた別の陥穽が待ち構えている。それは、「私たち」と「彼ら」の「共通点」を過度に強調するだけに終始することである。ちょっと挑発的で意地の悪い例え方をすれば、そのたぐいの研究は、とどのつまり、「人間とサルは、ともに目が二つ、耳が二つ、鼻が一つ、口が一つであるから、そっくりである」と言っているに過ぎないことが多い。そういうことを縷々と何百頁にも渡って「論じている」のを審査のために読まされるのは、この世の地獄である。
 以上、独り言でした。
 民族誌的事実は、たとえそれらの一つ一つを見るときは意味がよくわからなくても、そこに外から恣意的な意味を投射するのではなく、それらを互いに類似したものとしてまとめて見るとき、それらの間に自ずとそれぞれの事実の意味が浮かび上がってくる。この方法を説明するのに、晩年のレヴィ・ブリュールは、『手帳』(Carnets)にこう記している。

« Au lieu de faire parler les faits [...], avoir la prudence scientifique de les laisser parler, et ne rien présupposer qui puisse empêcher qu’on ne les voie tels qu’ils sont » (Carnets, op. cit., p. 61-62).

 事実に強制的に「話させる」(faire parler)のではなくて、「話すにまかせる」(laisser parler)という学問的慎重さを持ち、事実をあるがままに見ることを妨げる何ものをも予め想定しない。このような方法は、民族誌的事実を前にして、それを記述する者がほとんどその姿を消すことを前提としている。しかし、このような態度は、単に学問的良心から来る謙虚さの表れではない。「心性の論理」を理解し、その組織化の過程の記述を可能にする概念装置を作成するという学問的情熱をその火床としている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(3)―「心性」とは何か

2015-06-08 17:14:50 | 読游摘録

 ちょっとネット上で調べてみただけなので確証はないが、どうも La mentalité primitive の邦訳はないようである。1910年刊の Les fonctions mentales dans les sociétés inférieures の方は、岩波文庫に『未開社会の思惟』というタイトルで収録されており、今でも簡単に入手できるのに、どうして La mentalité primitive の方は邦訳されないままなのだろうか。
 面白いことに、フランスでは、後者の方が今簡単にポッシュ版で入手できるのに、前者は、印刷された出版物として入手するには古本を探すしかない。ただ、こちらのサイトから1951年刊行のPUF版をダウンロードできる(このUQACというカナダのケベック州にある大学が運営・管理しているらしいサイトは、こうした入手が困難になっている人文科学系の本の電子版を積極的に無償で提供してくれていて、大変ありがたい)。
 ケックの La mentalité primitive の巻頭に置かれた序論を頼りに、『未開社会の思惟』の中にすでにはっきりと見て取ることができるレヴィ・ブリュールの未開社会への関心の所在と方向性を確認しておこう。
 1910年にこの本が刊行された時点では、レヴィ・ブリュールは、デュルケーム社会学派に属していると一般に見なされていたが、すでに同書の中に両者の方向性の違いがはっきりと現れている。デュルケームは、社会的支配力ははっきりと相互に限定された心的カテゴリーを通じて発現すると考えているが、レヴィ・ブリュールは、社会的支配力はその諸可能性を混乱した仕方で表現する感情を通じて、それに本来相応しくない形でしか発現しないと考えている。デュルケームは、社会的支配力は象徴的な形象を通じて可視化され、その形象が社会的支配力を制御すると考えているが、レヴィ・ブリュールは、社会的支配力はそれが諸個人のうちに発生させる諸感情を通じて作用するために、それ自身は不可視のままにとどまると考えている。レヴィ・ブリュールによれば、支配力というものは、それ自体としてはけっして顕れないもの、たとえ法廷のように明確に規定された形態においても、それ自体としては顕れないものである。支配力は、必ず多様に分節化され、その総体をもって、その支配力に帰属する成員の行動の諸形態を規定する。
この複数性をもっていて輪郭が曖昧な全体を、レヴィ・ブリュールは、「心性」(mentalité)と呼ぶのである。「心的なもの」(mental)は、だから、諸個人の「頭の中」に棲まう得体のしれない力のことではない。この意味での「心的なもの」とは、いわば諸個人のまわりに現前するもので、諸個人がそこにあって行動を方向づける「力の場」(champ de forces)のようなものなのである。この様々な形態においてある場において発現する複数の力に共通するものを記述するために、レヴィ・ブリュールは、「心性」という言葉を民族学研究に導入したのである。
 この術語の導入は、ある方法的意識に基づいている。「心性」とは、ひとつの「タイプ」であり、ある複数の行動形態が共有しているものを、それらとは異なる他の複数の行動形態との対比において明らかにすることを可能にする。このようなアプローチがそれら一群の行動形態間の連接的類似性の理由を理解させるという点において、ケックが指摘するように、レヴィ・ブリュールの方法論は、ウィトゲンシュタインにおける「家族的類似」の考え方と親近性がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(2)― 「見えないものの諸力」

2015-06-07 16:26:48 | 読游摘録

 昨日引用したフレデリック・ケック(Frédéric Keck)によるレヴィ・ブリュールの La mentalité primitive の約四十頁の解説的序論は、同書の歴史的位置づけを丁寧で行き届いた筆致で描き出しているばかりでなく、今日同書を読み直す意味を大変説得的に提示している。同書をこれから読んでいくにあたって、ケックの序論をまずは道案内としよう。
 ケックは、École normale supérieure で哲学を、カリフォルニア大学バークレー校で人類学を学び、現在 CNRS の研究員である。2003年にレヴィ・ブリュール研究によってリール第三大学で哲学博士号を取得しており、2008年に CNRS 出版から刊行された Lucien Lévy-Bruhl. Entre philosophie et anthropologie は、その博士論文が基になっている。レヴィ・ストロースについても何冊か著書があり、Gallimard の « Découvertes » 叢書から出ている Vincent Debaene との共著 Claude Lévi-Strauss. L’homme au regard éloigné(2009)は、多数の貴重な写真が収録されていて、興味深く楽しく読める。同じく Gallimard の « Pléiade » 叢書のレヴィ・ストロースの一巻は、やはりこの両者の編集・校訂・注解による。Pocket 社の « Agora » 叢書から2011年に第二版(第一版は2005年)が出た Claude Lévi-Strauss. Une introduction は、レヴィ・ストロースの思想を二十世紀の人文諸科学史の中に明晰な言語で手際よく見通しよく位置づけた好著である。彼に限らないが、こういう仕事をさせると、ノルマリアンたちは実にうまい。
 ケックは、その序論を La mentalité primitive という書名そのものが今日の読者にいささか胡散臭く見えてしまう理由の説明から始める。このような書名の本をフィールドワークの経験のまったくない「講壇の」西洋哲学者が書いたとなれば、それがヨーロッパ社会の他の「未開な」社会に対する優位と支配をイデオロギー的に正当化するような代物に見えてしまうのも無理からぬ話である。実際、この本が初版出版当時大変な成功を収め、読者に「私たち」と「彼ら」を隔てる「溝」を乗り越えたいという願望を抱かせたわけだが、同書は、しかし、この「溝」が植民地支配システムの産物であるということを前提としているのである。
 ここで一言独り言を差し挟む。
 このような異なる「彼ら」を理解したいという知的好奇心は、より「優れていて進歩した私たち」と「まだ遅れている彼ら」とを区別する価値的差異をしばしば前提とする。そしてそのような好奇心の持ち主がそのような自らの「上から目線」に気づいていないこともしばしばある。これは決して過去の話ではないし、いわゆる未開社会や後進国(川田順造先生があえて「発展途上国」という欺瞞的な言葉を使わないのと同じ理由で、私もこちらの語を使う)だけの問題ではない。非ヨーロッパ人である私自身、こちらに暮らしていて、そう感じることは珍しいことではない。相手がこちらに好意的であればあるほど、複雑な気持ちになり、溜息の一つもつきたくなる。
 さて、今日このレヴィ・ブリュールの本を上記のような色眼鏡を外して読むにはどうすればよいであろうか。
 ケックは、もし今日この本のタイトルを変えることが許されるのなら、Les Pouvoirs de l’invisible(見えないものの諸力)とすべきであろうと提案する。確かに、レヴィ・ブリュールが同書で記述しているのは、原住民の思考方法であるよりも、むしろ「諸感覚によって知覚できないが現実的である」(« imperceptibles aux sens et cependant réelles »)諸力の効果に支配されている中での諸個人の行動の仕方なのである(慧眼なる読者諸氏は、これがまさに今日的な問題の一つであることをすぐさま理解されるであろう)。
 つまり「目に見えない」社会的なるものの機能をその「原始的」な水準で明らかにするために、レヴィ・ブリュールは、あえて「私たち」と「彼ら」とを方法的に区別するという迂回路を選択しているのであり、「未開民族」に注目するのは、目に見えないものに共同的・社会的に支配される「神秘的心性」( « mentalité mystique »)が、「私たち」の社会においてよりも「彼ら」の思考システムの中においてよりはっきりと、より容易に観察されうるからに他ならない。最終的な目的は、人間精神すべてに潜むこの「神秘的心性」を記述・解析する概念装置の作成なのである。
 レヴィ・ブリュールは、最晩年、いつもポケットに入るような小型の質素な薄い手帳を持ち歩き、そこに折々の省察を書きつけていた。これらの Carnets は、レヴィ・ブリュール没後十年経って、1949年にPUF から出版された。1938年8月29日の日付が打たれた省察からその一節を引く。

Il n’y a pas une mentalité primitive qui se distingue de l’autre par deux caractères qui lui sont propres (mystique et prélogique). Il y a une mentalité mystique plus marquée et plus facilement observable chez les « primitifs » que dans nos sociétés, mais présente dans tout esprit humain (Carnet, PUF, 1998, p. 131).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(1)

2015-06-06 20:20:05 | 読游摘録

 田辺元は、一連の「種の論理」の論文の中で、トテム社会での思考を支配する論理を検討する際に、レヴィ・ブリュール『未開社会の思惟』(これは邦訳のタイトルだが、藤田正勝編『種の論理 田辺元哲学選Ⅰ』(岩波文庫)の注(p. 453)に指摘されているように、原タイトル Les fonctions mentales dans les sociétés inférieures を忠実に訳すなら、『劣等社会における心的機能』となる)を参照している。この本の初版は、1910年にパリのアルカン社(Alcan)から出版されており、田辺は原典で読んでいる。特にその中で展開されている「分有の法則」(loi de participation)に注目している。
 ところが、1922年に同社から出版された La mentalité primitive については言及がまったく見られない。田辺の問題関心がそこまで及ばなかったと言えばそれまでだが、あるいは、その前書きを読んで、前著のテーゼの繰り返しに過ぎないと見なしたのかもしれない。というのも、レヴィ・ブリュール自身が La mentalité primitive の前書きの冒頭でこう述べているからである。

Quand Les Fonctions mentales dans les sociétés inférieures parurent, il y a douze ans, ce livre déjà dû s’appeler La Mentalité primitive.

 しかし、両著の間には、著者自身の言明にもかかわらず、同じ主題についての異なった観点からのアプローチという以上の違いがある。出版年に十二年の開きがあるこの両著の間には、単にその間に個人の思想に変化が起こり得るだけの時間的経過があったということではすまされない問題意識の変化があるのである。
 その変化を引き起こしたのは、レヴィ・ブリュールにヨーロッパ社会の決定的な限界を自覚させた第一次世界大戦の経験である。大戦以前に出版された Les fonctions mentales が「未開人」たちの「前論理」(« prélogique »)とヨーロッパ文明の前提をなす論理との間に越えがたい深淵を見たとすれば、大戦後四年経って出版された La mentalité primitive は、すべての人間を動かしうる「感情の論理」を探求しているのである。
 この決定的な変化は、2010年に出版された同書のポッシュ版の注解者 Frédéric Keck によれば、戦後のヨーロッパ社会が直面した次のような精神的危機をその要因とする。

Les sociétés européennes se trouveraient en 1918 dans une situation comparable aux sociétés « primitives » : confrontées à une catastrophe imprévisible dont elles cherchent à atténuer les effets en les rendant visibles (Présentation par F. Keck pour La mentalité primitive, Paris, Flammarion, « Champs classiques », 2010, p. 29).

 世界大戦という未曾有の大災厄に襲われ、世界の先端を行く「文明人」たちの社会であるヨーロッパ社会は、1918年に未開社会と同様な状況に置かれる。つまり、その予見できなかった大災厄の結果・影響を弱め、それらを見えるものにしようする。
 私が今レヴィ・ブリュール La mentalité primitive を読み直そうとするのは、まずは自分の研究上の必要からであるが、それと同時に、福島以後、私たちはまたしても同じ状況に置かれているとの世界認識からでもある。つまり、「文明人」の仲間入りした私たちすべての心に潜んでいる「原始的心性」のメカニズムの虜にならないためでもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


この夏一番の暑さ、朝、鮮やかな能楽研究発表を聴く

2015-06-05 16:39:03 | 雑感

 今日は、朝から一日快晴。気温も日中ぐんぐん上昇し、三十五度を超えた。湿度は三十パーセントを下回る。突然、本格的な夏が到来した。
 午後、いつも通っているプールの脇を通ったら、入場者多数につき入場が制限されたため、長蛇の列ができていた。炎天下にご苦労なことである。残り入場可能者数を示す電光掲示板が入り口の脇にあるのだが、それによると、入場者数は千五百人以上。因みに、私がいつも泳いでいる朝七時から八時の間は、せいぜい六十名から七十名である。彼らがまかり間違って一念発起し、朝一番に大挙して来ないことを切に祈る。
 今朝は、九時から若き同僚の研究発表を聴くために大学に出向く。能における和歌の多元的な使用に関する発表。このテーマについての研究は、日本でもほとんど未開拓で、フランスでは彼女の研究が初の本格的な取り組みになる。私に能についての論文があり、また私の心身景一如論を読んでそれに大変関心を持っていたこともあり、ぜひ発表を聴きに来てほしいと以前から頼まれていた。
 発表時間二十五分と制約されていたが、論点を鮮やかに浮かび上がらせた見事な発表であった。くずし字の原資料を読みこなし、金春禅竹についての博士論文を来年提出する予定の彼女は、将来フランスを代表する能楽研究者になるだろう。
 発表後の休憩時間に私のところに来て、発表中に使ったポール・リクールの「隠喩的真理」(« vérité métaphorique »)の使い方は適切だったかと聞かれた。実に的確な適用だったばかりでなく、彼女の能楽研究に解釈学的奥行きと幅を与えることになるという意味で大変生産的な展開だと思う。
 今日の研究発表集会のパンフレットに載っていた発表要旨をここに再録しておこう。

Le nô est la forme la plus ancienne du drame lyrique japonais. Prenant la poésie classique comme principale source d’inspiration, le nô a fait de la citation poétique le cœur de sa rhétorique, allant jusqu’à créer sa propre intertextualité et son propre réseau d’images. Si, comme l’affirme Jacqueline Pigeot dans Question de poétique japonaise, « composer un waka, c’est pénétrer et restituer l’essence même des choses », alors l’utilisation de la poésie japonaise dans le ressort dramatique des pièces de nô ne saurait se définir comme un simple ornement littéraire. Le waka serait donc, en reprenant les termes de Paul Ricœur, « une vérité métaphorique » qui, selon les conceptions bouddhiques, permettrait de passer au-delà de l’éphémère du monde pour saisir en un instant ce qu’il a de plus réel. Le nô deviendrait alors la mise en scène de cette révélation sublimée. Dans cette communication, nous offrirons une nouvelle approche des textes de nô en mettant en évidence le double discours caché dans la rhétorique du waka.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


師から愛弟子へ献呈された曲 ― ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第28番 イ長調

2015-06-04 15:00:06 | 私の好きな曲

 ベートーヴェン四十六歳の時の作品。中期と後期との間の三年間のいわゆる「寡作期」の終りに位置する。後期の傑作群へと至る過渡期の作品、あるいは後期の入り口と位置づけられる作品。
 作曲時すでに十年数来のピアノの弟子の一人であったドロテア・フォン・エルトマン男爵夫人に献呈されている。優れた才能と深い音楽性を備えた夫人は、ベートーヴェンのピアノ曲の最も良き理解者の一人であったと言われている。
 第一楽章は、心の傷をそっといたわるかのような密やかに優しいメロディーで始まる。過去の苦しみをいささかの心の痛みを感じつつ回想しながらも、もうそれによって今の精神生活が乱されることはないほどの距離がそこにはあるような感じ。第二楽章は、そのようなしみじみとした情感性から身を起こし、決然と前進していくかのような力強い行進曲風の展開。中間部では穏やかなカノンに転じる。第三楽章は、深沈として瞑想的な、俯きながら静かにゆっくりと歩を進めていくかのようなメロディーで始まり、そこから第一楽章冒頭のメロディーの回想へと移行する。そしてトリラーを繋ぎとして、堂々たる主部が力強く展開される。その力強さは、しかし、第二楽章のいささか気負ったかような行進曲的な前進性ではない。ところどころに軽快さもそなえた高邁さ。堅固な意志の輝かしい表出をもって曲は閉じられる。
 最初に聴いたのは三十年以上前。アシュケナージの一九七六年録音のDECCA版だった。LPで繰り返し聴いた。その後しばらく聴かなくなったが、クラウディオ・アラウのピアノ・ソナタ全集をクリスマスプレゼントとして贈られて、またよく聴くようになった。その後その他の演奏もいくつか聴いた。その中では、エミール・ギレリスの演奏を最も好む。より最近の録音では、内田光子の演奏には心打たれた。すべての音符に込められるだけの意味を込めようとしたかのような入魂の演奏。
 この記事は、昨日届いたばかりの最後期五つのソナタを二枚のCDに収めたDECCA版で久しぶりにアシュケナージの演奏を聴きながら、いささか感傷的で回顧的な気分の中で書いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


一年前の今日

2015-06-03 13:17:14 | 雑感

 今日は、朝から初夏らしい爽やかな青空が広がり、外を歩くと陽射しが眩しい。日中、気温は二十六度まで上がり、湿度は四十パーセント台を推移するとの予報。
 朝はいつもの通りプールに泳ぎに行く。
 一年前の今日、六月三日は、現在の勤務校への正式任命が決まった日であった。
 その日は、朝一番でパリを発ち、日中ストラスブールでアパート探しをしていた。現在のポストへの事実上の内定はその約一月前に出ていたから、すでにパリからストラスブールへの引越しの準備を少しずつ始めていた。
 ストラスブールは以前四年間住んでいた街である。それぞれの地区について、だから、はっきりとしたイメージを持っている。探す地区を予め絞り込んだ上で、ネット上で二週間ほど毎日探し、最終的に三つに候補を絞った。それぞれの物件を掲載している不動産屋に電話で連絡を取り、一日で三つとも見て回れるように予定を組んだ。
 今住んでいるアパートは、そのうちの一つ。建物が非常にしっかりしていること(それに、住んでみてわかったことだが、室内は、冬暖かく、夏涼しい)、周りに緑が溢れていること(近所にはジベルニーの「モネの家と庭園」を想起させる美しい景観がある)、周りがとても静かなこと(階上英国人夫婦がベランダで食事をするときはその会話が聞こえてくるが、それもさして気にならないほど。この地区は、ヨーロッパ議会その他国際機関が近いので、それらの機関で働いている人たちが住人の中にも多い)、そして、何よりも最新の市営プールまで徒歩六分という立地条件が決め手であった。
 書斎の窓外は樹々に覆われ、その奥にわずかに澄んだ青空が見える。微風に新緑がさわさわとそよいでいる。若葉に陽光が煌めくように反射する。好天を寿ぐように小鳥たちがここかしこで競うように囀っている。窓を開けたままステレオで音楽を聴こうとしても、鳥たちの合唱と混ざり合ってよく聞こえないほど。
 このように快適な環境の中に置かれた自宅で仕事に集中できるのは、それだけで私にとってこの上ない贅沢である。恵まれた一日一日、焦らず怠らず、働き続けたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ブログ三年目第一日

2015-06-02 16:06:04 | ブログ

 このブログは、今日から三年目に入る。二年前の六月二日から今日まで一日も休むことなく記事を投稿し続けることができた。自分の意志を超えたところで、それを可能にする環境が与えられたという意味で、これは本当に幸いなことであった。
 最初は、その当時精神的に困難を極めていた日々の重みに押し潰されそうになっていた自分を自分でなんとかするために、より正確に言えば、自分のそのときの気持ちにいくらかでも落ち着きを与えるために、何か毎日規則的に行うことを自分に課そうとして始めたに過ぎなかった。
 始めてみると、いろいろと書いておきたいことが心に湧き出てきた。発展させてみたい考えが自ずとキーを叩かせた。継続的に探求してみたいと願うテーマがいくつも頭に生まれてきた。
 そのようにして、毎日記事を書くことが習慣化した。いつも一定のぺースで書けたわけではないし、ときにはほとんど引用だけの短い記事のときもあった。しかし、とにかく毎日書いた。
 初めのうちは、ほとんど計画性はなく、その日その日に考えたことを書きつけていただけだが、そのうちある程度の計画性をもってシリーズ化して書くようになった。そうすることで徐々に思考に持続性が生まれ、その持続性がさらに書くことへと私を促した。
 この二年間で、四百字詰め原稿用紙にして(いまだにこう換算しないとピンと来ない)、総計二千六百枚を超える記事を書いたことになる。もちろんその中には引用も多いから、実質的に自分で書いた部分は、せいぜいその三分の二ほどだろうか。それに、自分で書いたとはいえ、繰り返しも多い。しかし、そうだとしても、これだけの量を二年間で書いたことは、この二年間以前にはない。
 この二年間は多事多難であった。私生活上でも職業生活上でも大きな変化があった。その中で、何があってもこのブログを書き続けることが、不遜を顧みずに言えば、私にとって、いつしか精神的実践の一つの具体的な形になった。
 明日からも書き続けるだろう。そして、モンテーニュの顰に倣うことを許されるなら、次のように言いたい。「願わくは、書いているときに死が訪れんことを」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本語の〈慎み深さ〉ついての発表を終えて

2015-06-01 13:14:06 | 雑感

 先月末二十九日から三十一日までパリに滞在し、三十日には、かねてから発表者の一人として参加する予定であった École française de Daseinsanalyse の年次最終研究集会で、「日本語における〈慎み深さ〉」について話した。会場は École normale supérieure rue d’Ulm の « Salle des Résistants »。
 その日のテーマは « Retenue, honte et pudeur »(「抑制・恥・羞恥」)で、これらのテーマに関連する西洋の哲学・文学・絵画・民族的習慣・現実社会などに見られる表現の分析が主であった。現象学、精神分析、精神医学、心理学等の専門家たちの研究組織であるから当然のことである。
 しかし、私の発表は完全に確信犯的「ずる」であった。自己表現における日本語そのものの「慎み深さ」という問題にすり替えてしまったのだ。これはもう苦し紛れの破れかぶれの窮余の策だった。当日のテーマに合った素材を日本社会の現実に即して探してみようとはしたのだが、どうにも自分で面白いと思えるものが見つからず、ずっと途方に暮れていたのだが、集会が二週間後に迫ってきたところで、とうとう「逃げた」のである。
 それでも、せめて「受け」は狙おうと、枕のところでかなり笑いをとるという狡猾な「戦術」に出た。これがずばり当たった。五十人ほどの聴衆で一杯になった会場の空気が明らかにほぐれた。そうなれば、もうこっちのものである。日本語論を一気にまくしたて、与えられた時間通りに終えた。発表後の会場の反応も概して好意的で、いくつか出た質問にも「適当に」答え、なんとか窮地を切り抜けた次第である。
 昼食会では、最初の発表者だった Françoise Dastur 先生の隣になり、その他の発表者・司会者たちとも楽しく会食することができた。
 その昼食後は、イナルコの哲学研究会のメンバーと来年度のことなどをカフェで打ち合わせ、その後、私一人会場に戻った。集会がお開きになると、朝からずっと参加されていたご婦人の一人が近づいてきて、自分は精神分析を専門としているが、「あなたの発表を聴いて実にたくさんのことを学んだ。何か出版されている論文などあれば教えてほしい」という過分なお言葉も頂戴するという「おまけ」付きで、「意気揚々」とストラスブールに帰ってきたというわけである。
 これで今年度の発表はすべて終了。大学の方は、夏休み前に残っている仕事と言えば、来週の追試の試験監督と採点くらいのもの。大学外では、バカロレアの日本語の筆記試験の採点の仕事が月末にあるが、これも半日もあれば済む。
 明日から大森荘蔵の「ことだま論」仏訳を再開し(月末完成予定)、それと並行して七月の東洋大学大学院での集中講義と同大国際哲学研究センターの研究会の準備を始める。こちらのテーマは、「哲学的思考方法としての種の論理あるいは絶対媒介の弁証法」である。来年度、大学院での演習を通じて、サバティカルで日本からいらっしゃる先生と丸山眞男の共同研究を行うことになっているので、その下準備も始めよう。