内的自己対話-川の畔のささめごと

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レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(14)― 現代社会の予見術

2015-06-19 11:45:13 | 読游摘録

 レヴィ・ブリュールは、『原始的心性』において、「感情の論理」という問題を取り上げ直す。それは、感情の論理が「記号の論理」をその内側からいかにして活性化するのかということを理解するためであった。しかも、この問題が考察されるのは、記号が安定的な仕方で事物を指示するのではなく、危惧あるいは期待される出来事へと動的な仕方で導くという、限定された、しかし人間の社会生活により大きな影響を及ぼしうる場面でのことである。
 例えば、夕焼け空が明日の好天の指標としてではなく、ある予見しがたい幸福なあるいは不幸な出来事の「前触れ」として解釈されるような場合を考えてみよう。前者の場合、多かれ少なかれ経験的にかあるいは気象学的にか根拠づけられた一つの論理にしたがった推論の帰結であるが、後者の場合、夕焼けという自然現象と人間にとって幸福あるいは不幸な出来事との間には、一定の論理にしたがった安定的な関係はない。それにもかかわらず、前者は後者の前駆的徴表であるという認識がもたらされるためには、それを可能にする別の論理を前提し、かつそれがある共同体の成員に共有されていなくてはならない。
 ここで、レヴィ・ブリュールは、1884年の博士号取得の際に「責任の概念」についての主論文と同時に当時の規則に従って提出されたラテン語の副論文の中でセネカについて取り上げた問題に立ち戻ることになる。その問題とは、(神の)摂理(providence)に導かれた世界観、つまり、自然現象を道徳的意図の指標として「読む」ことによって形成される世界観は、如何にして構成されるのか、という問題である。
 しかし、戦争経験は、「摂理」を一国家の安定的な枠組みの中で考えることをもはやレヴィ・ブリュールに許さなかった。それを社会的諸活動のより「原始的」レベルで考え直すことを戦争経験そのものが彼に要求したのである。
 目に見える「諸記号・指標」の解釈に基づいた、未来とのこの新しい関係を記述するために、レヴィ・ブリュールは、「警戒・用心」(vigilance)という概念を導入する。それは、単に学問研究の枠内だけでのことではない。一九三〇年代、レヴィ・ブリュールは、物理学者ポール・ランジュヴァン(Paul Langevin, 1872-1946)の呼びかけによって組織された、反ファシスト監視委員会(Comité de vigilance antifasciste)に積極的に参加し、ますます不確実な未来の方向づけのために努力している。
 卜占術が、自然が社会とアナロジカルに知覚されていた世界における「古拙」で「原始的」な慣習であるとすれば、「警戒・用心」は、自然の変容が来るべき大災厄の徴表である世界における「予見術」の現代的な形態であると言えるだろう。
 地球環境の劇的な変化に現在直面している人類の未来は、科学的に根拠づけられた「警戒・用心」によって方向づけられた「予見術」を社会的に共有できる「感情の論理」を新たに構築できるかどうかにかかっているのかも知れない。