内的自己対話-川の畔のささめごと

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レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(2)― 「見えないものの諸力」

2015-06-07 16:26:48 | 読游摘録

 昨日引用したフレデリック・ケック(Frédéric Keck)によるレヴィ・ブリュールの La mentalité primitive の約四十頁の解説的序論は、同書の歴史的位置づけを丁寧で行き届いた筆致で描き出しているばかりでなく、今日同書を読み直す意味を大変説得的に提示している。同書をこれから読んでいくにあたって、ケックの序論をまずは道案内としよう。
 ケックは、École normale supérieure で哲学を、カリフォルニア大学バークレー校で人類学を学び、現在 CNRS の研究員である。2003年にレヴィ・ブリュール研究によってリール第三大学で哲学博士号を取得しており、2008年に CNRS 出版から刊行された Lucien Lévy-Bruhl. Entre philosophie et anthropologie は、その博士論文が基になっている。レヴィ・ストロースについても何冊か著書があり、Gallimard の « Découvertes » 叢書から出ている Vincent Debaene との共著 Claude Lévi-Strauss. L’homme au regard éloigné(2009)は、多数の貴重な写真が収録されていて、興味深く楽しく読める。同じく Gallimard の « Pléiade » 叢書のレヴィ・ストロースの一巻は、やはりこの両者の編集・校訂・注解による。Pocket 社の « Agora » 叢書から2011年に第二版(第一版は2005年)が出た Claude Lévi-Strauss. Une introduction は、レヴィ・ストロースの思想を二十世紀の人文諸科学史の中に明晰な言語で手際よく見通しよく位置づけた好著である。彼に限らないが、こういう仕事をさせると、ノルマリアンたちは実にうまい。
 ケックは、その序論を La mentalité primitive という書名そのものが今日の読者にいささか胡散臭く見えてしまう理由の説明から始める。このような書名の本をフィールドワークの経験のまったくない「講壇の」西洋哲学者が書いたとなれば、それがヨーロッパ社会の他の「未開な」社会に対する優位と支配をイデオロギー的に正当化するような代物に見えてしまうのも無理からぬ話である。実際、この本が初版出版当時大変な成功を収め、読者に「私たち」と「彼ら」を隔てる「溝」を乗り越えたいという願望を抱かせたわけだが、同書は、しかし、この「溝」が植民地支配システムの産物であるということを前提としているのである。
 ここで一言独り言を差し挟む。
 このような異なる「彼ら」を理解したいという知的好奇心は、より「優れていて進歩した私たち」と「まだ遅れている彼ら」とを区別する価値的差異をしばしば前提とする。そしてそのような好奇心の持ち主がそのような自らの「上から目線」に気づいていないこともしばしばある。これは決して過去の話ではないし、いわゆる未開社会や後進国(川田順造先生があえて「発展途上国」という欺瞞的な言葉を使わないのと同じ理由で、私もこちらの語を使う)だけの問題ではない。非ヨーロッパ人である私自身、こちらに暮らしていて、そう感じることは珍しいことではない。相手がこちらに好意的であればあるほど、複雑な気持ちになり、溜息の一つもつきたくなる。
 さて、今日このレヴィ・ブリュールの本を上記のような色眼鏡を外して読むにはどうすればよいであろうか。
 ケックは、もし今日この本のタイトルを変えることが許されるのなら、Les Pouvoirs de l’invisible(見えないものの諸力)とすべきであろうと提案する。確かに、レヴィ・ブリュールが同書で記述しているのは、原住民の思考方法であるよりも、むしろ「諸感覚によって知覚できないが現実的である」(« imperceptibles aux sens et cependant réelles »)諸力の効果に支配されている中での諸個人の行動の仕方なのである(慧眼なる読者諸氏は、これがまさに今日的な問題の一つであることをすぐさま理解されるであろう)。
 つまり「目に見えない」社会的なるものの機能をその「原始的」な水準で明らかにするために、レヴィ・ブリュールは、あえて「私たち」と「彼ら」とを方法的に区別するという迂回路を選択しているのであり、「未開民族」に注目するのは、目に見えないものに共同的・社会的に支配される「神秘的心性」( « mentalité mystique »)が、「私たち」の社会においてよりも「彼ら」の思考システムの中においてよりはっきりと、より容易に観察されうるからに他ならない。最終的な目的は、人間精神すべてに潜むこの「神秘的心性」を記述・解析する概念装置の作成なのである。
 レヴィ・ブリュールは、最晩年、いつもポケットに入るような小型の質素な薄い手帳を持ち歩き、そこに折々の省察を書きつけていた。これらの Carnets は、レヴィ・ブリュール没後十年経って、1949年にPUF から出版された。1938年8月29日の日付が打たれた省察からその一節を引く。

Il n’y a pas une mentalité primitive qui se distingue de l’autre par deux caractères qui lui sont propres (mystique et prélogique). Il y a une mentalité mystique plus marquée et plus facilement observable chez les « primitifs » que dans nos sociétés, mais présente dans tout esprit humain (Carnet, PUF, 1998, p. 131).