このブログは、今日から三年目に入る。二年前の六月二日から今日まで一日も休むことなく記事を投稿し続けることができた。自分の意志を超えたところで、それを可能にする環境が与えられたという意味で、これは本当に幸いなことであった。
最初は、その当時精神的に困難を極めていた日々の重みに押し潰されそうになっていた自分を自分でなんとかするために、より正確に言えば、自分のそのときの気持ちにいくらかでも落ち着きを与えるために、何か毎日規則的に行うことを自分に課そうとして始めたに過ぎなかった。
始めてみると、いろいろと書いておきたいことが心に湧き出てきた。発展させてみたい考えが自ずとキーを叩かせた。継続的に探求してみたいと願うテーマがいくつも頭に生まれてきた。
そのようにして、毎日記事を書くことが習慣化した。いつも一定のぺースで書けたわけではないし、ときにはほとんど引用だけの短い記事のときもあった。しかし、とにかく毎日書いた。
初めのうちは、ほとんど計画性はなく、その日その日に考えたことを書きつけていただけだが、そのうちある程度の計画性をもってシリーズ化して書くようになった。そうすることで徐々に思考に持続性が生まれ、その持続性がさらに書くことへと私を促した。
この二年間で、四百字詰め原稿用紙にして(いまだにこう換算しないとピンと来ない)、総計二千六百枚を超える記事を書いたことになる。もちろんその中には引用も多いから、実質的に自分で書いた部分は、せいぜいその三分の二ほどだろうか。それに、自分で書いたとはいえ、繰り返しも多い。しかし、そうだとしても、これだけの量を二年間で書いたことは、この二年間以前にはない。
この二年間は多事多難であった。私生活上でも職業生活上でも大きな変化があった。その中で、何があってもこのブログを書き続けることが、不遜を顧みずに言えば、私にとって、いつしか精神的実践の一つの具体的な形になった。
明日からも書き続けるだろう。そして、モンテーニュの顰に倣うことを許されるなら、次のように言いたい。「願わくは、書いているときに死が訪れんことを」。