第一次世界大戦は、レヴィ・ブリュールの思想にいかなる衝撃を与えたのか。
それは、なによりもまず、共に政治的参加を分かち合った友の一人をその戦争が奪ったことである。その友とは、ジャン・ジョレスである。ドレフュス事件で共にドレフュス大尉を擁護した後、レヴィ・ブリュールは、L’Humanité 紙の創刊に参加する。1914年のジョレス暗殺事件は、École Normale Supérieure 時代以来親しく付き合ったきた友ジョレスの政治・社会思想にレヴィ・ブリュールを立ち戻らせた。
友の思想を語る、知性の率直さと喪の悲しみとが混ざり合ったその文章を読むとき、人類の多様性の問題をいかに考えたらよいのかという問いを、なぜレヴィ・ブリュールが己の人類学的・民族学的研究を通じて問わなければならなかったのか、私たちはより痛切に理解することができるだろう。
ジョレスは生きた ― そして、死んだ ― 社会的正義と解放された人類という理想のために。彼は、多くの人々の境遇は今のまま変わらぬであろうということを、動かしがたい事実、自然な必然性として受け入れることはなかった。彼は、今日ただ今からでもそれは改善されなければならず、時間とともに変容させられなければならないと信じていた。[...]ジョレスにとって、十全に人間的な生活とは、どのようなものなのか。貧窮とそれが生み出す諸悪を免れ、明日、食べられるかどうか、身に纏うものがあるかどうか、この身を暖めることができるかどうか、我が身そして家族が屋根の下に眠ることができるかどうかという日々の思い煩いから解放されること。しかし、それらはまだ人間にとって十全な生活の物理的基盤でしかない。その本質は精神的部分にこそある。過去の全世紀が生み出した最も美しいものと親しく交わること、科学と哲学によって世界を理解するために人間の思想の努力を分有すること、自然を瞑想することによって諸事物の神秘的な原理と交流すること、つまり、人種、階級、国籍、宗教にまつわる憎悪から解放された人間的な連帯の感情を持つこと。
Jaurès a vécu – et il est mort – pour un idéal de justice sociale et d’humanité affranchie. Il n’acceptait pas comme un fait immuable, comme une nécessité naturelle, que la condition de la plupart des hommes restât ce qu’elle est présentement. Il croyait qu’elle devait être dès aujourd’hui améliorée et, avec le temps, transformée. [...] En quoi consiste, selon lui, cette vie pleinement humaine ? Échapper à la misère et à tous les maux qu’elle engendre, au souci quotidien de savoir si l’on pourra demain se nourrir, se vêtir, se chauffer, dormir sous un toit, soi et le siens : ce n’est encore là que la base physique de cette vie. L’essentiel en est la partie spirituelle : le commerce intime avec ce que les siècles passés ont produit de plus beau ; la participation à l’effort de la pensée de l’homme pour comprendre le monde par la science et la philosophie ; la communion avec le principe mystérieux des choses par la contemplation de la nature ; enfin, le sentiment de la solidarité humaine dégagée des haines de race, de classe, de nationalité, de religion » (Quelques pages sur Jean Jaurès, Paris, Librairie de L’Humanité, 1916, p. 40-41, cité dans la Présentation de F. Keck pour La mentalité primitive, op. cit., p. 20-21).
この文章は、今から約一世紀前に書かれたものである。世界がこの百年間に成就した物質的進歩は、長く人類の歴史に記され続けるに値する驚嘆すべきものであろう。しかし、その記述の脇に、「しかし、この間、人類は、精神的には、ほとんど見るべき進歩を実現できなかった」と記されることはないと誰が断言することができるであろうか。
この文章の中で注目すべきなのは、レヴィ・ブリュールが、『未開社会の思惟』の中の中心概念の一つであった « participation » (「分有」あるいは「融即」)を、ここでは、自らがそこに生きる現代社会における物質的なものと精神的なものとの関係を記述するために使っていることである。レヴィ・ブリュールがこの語をマルブランシュから借りていることをここでもう一度思い出すことは無駄ではない。レヴィ・ブリュールは、物質的生活における偶発事・事故は、精神的な連帯の原理が顕現する機会だと考えるのである。「未開人の心性」の社会学者も、狂信的国家主義者の凶弾に倒れたその無二の親友も、戦争に断固反対しつつ、その危機が迫る状況の中にこそ、精神的次元における「普遍的理想」が実現する機会を見ようとしていたのである。
この歴史の機会原因論は、安全な書斎から歴史を傍観する学者の歴史観ではない。それは、歴史の中に生きる者の精神的次元における倫理的責任の表現なのである。