内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「人道的」(humanitaire)ということ ― ジャン・リュック・ナンシーの対談から

2015-06-25 11:46:55 | 読游摘録

 今年の3月16日の記事で紹介した « Les Dialogues des petits Platons » という対談叢書の一冊に、私のDEAの指導教授だったジャン・リュック・ナンシー先生の対談、La possibilité d’un monde — Dialogue avec Pierre-Philippe Jandin (2013) がある。先生は、1997年の大病とその後の過酷な闘病生活以後も、現代世界の変容に敏感に反応しながら、著作や講演を続けていらっしゃる。この対談にも先生の現在の哲学的関心の所在がよく表されている。
 今日でもなお、私たちは、「人間的」(humain)や「人道的」(humanitaire)という言葉を、個々人というレベルでも人類というレベルでも、当然のごとく使い続けている。ところが、現実世界では、二十世紀に入ってから、「人間的な形」を否定し、破壊する出来事に事欠かない。

Interrogeons-nous sur ce que nous appelons les « organisations humanitaires » et sur le sens de cette catégorie d’« humanitaire » : par cette dernière, on entend ce qui doit prendre en charge avec attention suffisante, bienveillante, secourable, les nécessités, les besoins vitaux des gens, du monde, indépendamment de toutes considérations politiques, esthétiques. D’un point de vue affectif, l’humanitaire pourrait presque se traduire par le compassionnel et du point de vue effectif le plus pragmatique, par le souci des secours élémentaires (J.-L. Nancy, op. cit., p. 46-47).

 今日よく「人道的組織」という言葉が使われるが、この「人道的」とは、どのようなことを指すのだろうか。それは、いっさいの政治的な立場と無関係に、人々にとって生きるに必要なものを確保し提供するような行動のことを指している。感情面から見れば、「人道的」とは、「共苦的」とも訳せよう(上に引用した原文では、 « compassionnel » という言葉が使われていて、この語は、動詞 « compatir » からの派生語で、この動詞の意味は「他者の苦しみを他者とともに感じる」という意味である)。実践的な面から言えば、「人道的」とは、必要とされる最も基礎的な援助に配慮することを指す。

Il est question de survie. Or, la survie, ce n’est pas la vie, qui est davantage que la survie, sauf à entendre « survie » au sens que Derrida lui donne, de « plus que la vie ». Dans la vie, il y a un certain épanouissement [...], il y a une certaine respiration au-dessus de la nécessité de manger, de ne pas mourir de froid, d’être à l’abri des bombes... (ibid., p. 47)

 今日、「人道的」な活動というと、だから、何はさておき「生き延びること・生存」が問題なのだ。ところが、生存(survie)するだけでは、生活・生命(la vie)とは言えない。生活・生命は、生存以上のものである。デリダのように、この « survie » という言葉に、「生活・生命以上のもの」という意味を与えでもしないかぎり。生活というからには、何か「開花」するもの、「息吹・息ができる」ということがそこにある。それは、食べ、凍え死なず、爆撃を免れているという生存上必要な条件を満たしている以上のことのはずである。

On peut donc dire que l’invention de l’« humanitaire » est un des signes majeurs du fait que l’humanité ne se reconnaît plus comme une essence, comme définie par une qualité d’être particulière, qu’elle ne s’envisage plus que comme survie à protéger (ibid.).

 「人道的」という言葉が今日上記のような意味で盛んに用いられているとすれば(因みに、この語が使われるようになったのは、十九世紀前半からのことに過ぎず、十九世後半には、いわゆる「人道主義者」たちを指してむしろ軽蔑的な意味で使われていた)、そのことは、人類・人間性(humanité)が、もはやひとつの本質として、つまり、それぞれに異なった〈個〉という価値において定義されるものとしては認識されず、保護すべき生存としてしか考えられなくなっているということを示していると言えよう。