内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

天体から地上の身体へ ― 古代日本の一詩人によって読み解かれた天からのメッセージ (5)

2018-03-21 00:00:00 | 哲学

第三歌群 ― 二声からなる四首対称歌群(1523-1526)

 憶良七夕歌の次の歌群は四首からなり、それら四首間には複数の内的共鳴を聴き取ることができる。

秋風の 吹きにし日より いつしかと 我が待ち恋ひし 君ぞ来ませる (1523) 

天の川 いと川波は 立たねども さもらひかたし 近きこの瀬を(1524)

袖振らば 見も交しつべく 近けども 渡るすべなし 秋にしあらねば(1525) 

玉かぎる ほのかに見えて 別れなば もとなや恋ひむ 逢ふ時までは(1526)

 この四首は、織女と牽牛との二声からなり、〈女-男-男-女〉という対称性を成している。
 第一首と第四首との間には、待ちに待った再会の歓喜と、束の間の逢瀬の惨酷さ・心を引き裂かれるような不可避の別離ゆえの深い悲しみとの対比が見られる。
 織女の声による第一首と第四首とが深い悦びと悲しみの感情を表現しているのに対して、牽牛の声による第二首と第三首とは、感情的表現を排し、一種の諦観的観察を表現している。一切の個別的意志を超越する天帝による禁止命令のゆえに乗り越え不可能な障害として物理的には短い距離が二人の間に立ちはだかっていることを二つの異なった表現によって繰り返している。第二・三首は、かくして、渡河を容易にし、互いに対岸の相手が見える良好な視認性を保証するはずの距離の短さにもかかわらず、個人の意志によっては乗り越え不可能なものを強調している。
 この四首の歌群内には明らかな対比表現が見られる。第一・四首間では、「我が待ち恋ひし」と「もとなや恋ひむ」とが対比され、第二・三首間では、「さもらひかたし近きこの瀬を」と「近けども渡るすべなし」とが対比を構成している。











天体から地上の身体へ ― 古代日本の一詩人によって読み解かれた天からのメッセージ (4)

2018-03-20 00:00:00 | 哲学

第二歌群 ― ポリフォニック・アンサンブル(1520-1522)②

 昨日読んだ長歌に併せて詠まれた反歌二首を今日は読もう。

風雲は 二つの岸に 通へども 我が遠妻の 言ぞ通はぬ (1521)

 この第一反歌は、お互いに自由に会うことができない苦痛を長歌以上に強く凝縮された仕方で表現することで、まさに反歌としての機能を果たしている。天の川があまりにも広大な障害であるゆえに、風と雲は何の障りもなく行き交っているのに、向こう岸にいる織女の言葉はこちらに届かない。
 第二反歌に移ろう。

たぶてにも 投げ越しつべき 天の川 隔てればかも あまたすべなき (1522) 

 一見すると、この第二反歌の表象は、第一反歌のそれと矛盾するように思われる。第一反歌は、両岸を絶望的なまでに引き離す大洋のように天の川の広大さを表象化していたのに対して、この第二反歌は、対岸までの距離の短さを表象化している。
 この一見すると正当化が困難な両歌間の矛盾を前にして、注釈者の中には、所詮これらは虚構にすぎないと、解釈そのものを拒否するものがいたり、第二反歌を後日の挿入とすることで二首ひとまとまりの解釈を回避するものがいたりした。
 しかし、万葉集の仏訳者ルネ・シフェールが的確に指摘しているように、「些細な(物理的)距離と(天の)禁止によって据えられた途方もない心理的な距離とのもう一つの比較の仕方」がここでの主題であろう。第一反歌のイメージと第二反歌のイメージとの対立は、織女ともっと頻繁に逢うことを可能にする方法がまったく存在しないこと、それゆえ牽牛はもはや何をすべきなのかわからないことをまさに舞台の一場面として提示しているのである。
 第二反歌の結句にみられる「すべなし」という言葉は、老病貧死に関わる癒し難い人間苦やこの地上世界で経験される苦悩に対しての深い絶望を表現する際に憶良が好んで用いる表現である 。
 憶良の歌においては、希求と幻滅、希望と絶望、野心と落胆などの相対立する感情がしばしば交錯することで劇的空間が開かれていることもここで指摘しておかなければならない。
 第一反歌と第二反歌との間には、観点の相違が導入されているとする見方も成り立つ。地上から天空の天の川を仰ぎ見れば、それは簡単に渡れる小川のようにも見える。ところが、その簡単に渡れそうに見える川が乗り越えがたい運命として立ちはだかる。それは運命として課される不条理な不可能性を象徴している。茫洋たる大洋と短い川幅という互いに矛盾する二つのイメージを舞台に登場させることによって、まさに運命の過酷さを詩劇として表現し得ているのである。
 天空において永遠に繰り返される別離を、人間存在によっても感じられうる苦痛へと変容させ、地上へと下降させることによって、憶良は、古代演劇の伝統的な枠組みを超越し、この地上世界で生きられている人間的真実を表現しようとしたのだ。
 もう一点、この三首の歌群について指摘しておきたい。それは、中国起源の漢語 の日本語の詩的表現への変換である。その変換によって、伝統的な漢語本来の簡潔さと雅致とを損なうことなく、七夕伝説にまつわる民俗的に共通のイメージを尊重することで、憶良はそれまでの七夕歌にない独自の作品を詠むことに成功している。この歌群制作とともに、憶良は、日本詩歌における新しい道、すなわち詩劇の世界を切り開いていく。
 と同時に、この歌群は、地上に生きる人間の実存的な苦しみを表現する憶良の一連の歌群を準備することになり、それは著名な「貧窮問答歌」の世界へと繋がっていく。












天体から地上の身体へ ― 古代日本の一詩人によって読み解かれた天からのメッセージ (3)

2018-03-19 00:00:00 | 哲学

第二歌群 ― ポリフォニック・アンサンブル(1520-1522)①

 第二歌群に移ろう。この歌群は長歌一首・短歌二首からなる。この三首は、筑紫に赴任して三年目、天平元年(729)の七夕の夜の詠。今日は長歌のみ読む。

彦星は 織女と 天地の 別れし時ゆ いなむしろ 川に向き立ち 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに 青波に 望は絶えぬ 白雲に 涙は尽きぬ かくのみや 息づき居らむ かくのみや 恋ひつつあらむ さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 真櫂もがも 朝なぎに い搔き渡り 夕潮に い漕ぎ渡り ひさかたの 天の川原に 天飛ぶや 領巾片敷き 真玉手の 玉手さし交へ あまた夜も 寐も寝てしかも 秋にあらずとも (1520)

 この長歌は二つの部分に分かれる。第一部は「涙は尽きぬ」まで。そこまでは、第三者の観点から立てられた導入部。第二部は、伝説の登場人物である牽牛の所作と心情とを牽牛自身の立場で直接的に表現している。この第三者的観点から劇中人物の視点への移動は、日本の古代演劇の伝統的な形式に正確に対応している。この憶良の歌群にかぎらず、聴衆の前で披露されたと考えられる万葉歌あるいは記紀歌謡の中には、このように演劇形式と一致している型が他にも少なからず見られる 。この形式は、第三者の観点からしだいに当事者の身振りへと入ってゆくことで観衆の理解と感動を誘うことをその目的としている。
 伝統的には、二人の登場人物は、疑うことなくそのまま受け入れられた運命の内部において、再会を悦び、自分たちの意志とはまったく独立に永遠に繰り返し課される別れを嘆く。
 ところが、この長歌は、この再会の夜がこの日を超えて延長され更新されることを、それが不可能であることを知りつつ願う牽牛の言葉で閉じられている。この最後の句「秋にあらずとも」は、抗い難く課される運命の固定的な枠組みの中で受動的に悦びかつ悲しむという伝統的な世界観の内のとどまるかわりに、運命への懐疑、運命への抗議を表現していると読むことができる。
 この地上世界での人間の運命についての実存的な問いかけをそこに聴き取ることはできないであろうか。











天体から地上の身体へ ― 古代日本の一詩人によって読み解かれた天からのメッセージ (2)

2018-03-18 00:14:39 | 哲学

 「山上臣憶良の七夕の歌十二首」と題された一連の歌を、歌群ごとにその内的構造に従いつつ、それぞれに簡略な注解を加えながら読んでいこう。

第一歌群 ― 伝統的枠組みの中での伝説への導入(1518-1519)

天の川 相向き立ちて 我が恋ひし 君来ますなり 紐解き設けな(1518)

 この第一歌によって導入シーンが幕を開ける。織女は年に一度の邂逅を予祝する悦びを歌う。再会を間近に控えてすでに抑えきれない悦びの感情が表現されている。織女は、天の川の辺りに立ち、牽牛の乗る舟の櫂の音を聞いている。牽牛の姿はまだ見えないが、その到来を知らせる音を聴いている。待ち焦がれ、衣の紐を解いて待つ。第五句は、官能的な表現だが、他の七夕歌の中に類似する表現 が見られ(巻第十・2016,2048など)、けっして憶良の発明ではなく、むしろ当時の伝統的な表象の一つである。

ひさかたの 天の川瀬に 舟浮けて 今夜か君が 我がり来まさむ(1519)

 たとえ年に一度の再会が天帝によって許されていると知っていても、織女は、牽牛の来訪について自問し、不安を抱かずにはいられない。一年前の同じ日に強いられた別れの後の不確かな気持ちが今だに心のなかにわだかまり、それをすっかり拭い去ることができない。
 上掲の二首は、七夕伝説の日本に固有な伝統的表象の枠組みの中で、牽牛・織女の天上の再会の舞台への導入としての機能を果たしている。この導入シーンでは、織女の声が天の川の辺りに響いている。












天体から地上の身体へ ― 古代日本の一詩人によって読み解かれた天からのメッセージ (1)

2018-03-17 05:34:52 | 哲学

 昨日までの連載「雲雀についての哲学的考察断片」は、そのタイトルからもわかるように、一つの対象に対しての哲学的アプローチの試みであった。万葉集の中の一つの詩的形象からどのような哲学的含意を引き出すことができるか、それがそこでの「賭け」であった。
 今日からの連載「天体から地上の身体へ ― 古代日本の一詩人によって読み解かれた天からのメッセージ」も、やはり万葉集歌を対象とする。その対象について、万葉学者の注釈に依拠しつつ、若干の哲学的考察の展開を試みる。
 考察対象となるのは、山上憶良(660-733)によって詠まれた七夕歌十二首(巻第五・1518-1529)である。この考察は、その多くを伊藤博『萬葉集釋注』と同『萬葉集の歌群と配列 下 古代和歌史研究8』塙書房、1992年)第八章第一節「山上憶良の七夕歌十二首」とに負うている。以下では、煩瑣を避けるため、二書の参照箇所をその都度示すことはしない。

 この考察は、憶良の一連の七夕歌を、古代日本の演劇形式にしたがって構成された一つの思想劇として読むことをその目的としている。この劇的構造分析を通じて、いわばポリフォニックなしかたで展開されてゆく一つの世界観を浮き彫りにすることを試みる。
 『万葉集』の中には、全部で132首の七夕歌が収載されている。中国起源のこの伝説は、遅くとも七世紀の半ばには日本に伝わっていた。集中132首の七夕歌のうち、98首は、巻第十に同一テーマについての歌群(1996-2093)としてまとめられている。これだけ多くの歌が或る一定の編集方針にしたがってひとまとめにされていることは、七夕伝説が七世紀後半に日本各地に広まり、八世紀初頭には、七月七日に七夕伝説を想起することが宮廷および貴族官人たちの間ですでに習慣として定着していたことを意味している。
 憶良が七夕の日(あるいはその翌日)に催された宴席で披露したであろう12首の七夕歌は、巻第八の「秋雑歌」の部立の中にまとめて収載されている。これらの歌が万葉全体で132首を数える七夕歌全体に通底する詩的伝統に属することは確かである。
 しかし、その演劇的性格において、そしていわばその実存的内容、さらには哲学的意味において、その他の七夕歌とは截然と区別されることもまた事実である。つまり、当時すでに広く知られていた七夕伝説が通常その中で喚起される伝統の枠組みを超え出る要素が憶良の一連の七夕歌には見出されるということである。
 当時の演劇形式を踏襲しながら、自身に固有な詩的構想の中で、憶良は、互いに交叉する複数の声を詩的舞台の上に登場させる。それらの声を通じて、この地上世界における有限的人間存在の運命についての一つの思想へと私たちを導く内的共鳴が舞台空間に響くのを私たちは聴くことになるだろう。













鉛直線上の〈孤悲〉のアリア、あるいは、大伴家持における〈雲雀〉と孤愁について(九) ― 雲雀についての哲学的考察断片(十四・最終回)

2018-03-16 00:00:00 | 哲学

 今回の連載「雲雀についての哲学的考察断片」を終えるにあたって、補足として、詩的空間における鳥の形象に関して、リルケから二ヶ所引用し、若干の私見を記しておく。今後、家持の歌のさらに深い理解を目指すときの一助になるかも知れないと考えてのことである。
 どちらの引用も、上田閑照が西田哲学の純粋経験を説明するために何度も援用している箇所である。手元にある文献では、『西田幾多郎を読む』(岩波セミナーブックス38、1991年)と『哲学コレクションII 経験と場所』(岩波現代文庫、2007年)とに出てくる。後者から当該箇所を引こう(それぞれ27頁と29頁)。

そのとき鳥の声が外界と自分の内面とに同時に存在し、外界と内面とがまったく切れ目のない純粋なひとつの空間になり、……あらゆる方向から無限なるものに親しく満たされ……

Erlebnis II, Sämtliche Werke, 1966, Bd. VI, S. 1040.

 上田が上略・中略・下略している箇所も復元して原文を引用する。

Er gedachte der Stunde in jenem anderen südlichen Garten (Capri), da ein Vogelruf draußen und in seinem Innern übereinstimmend da war, indem er sich gewissermaßen an der Grenze des Körpers nicht brach, beides zu einem ununterbrochenen Raum zusammennahm, in welchem, geheimnisvoll geschützt, nur eine einzige Stelle reinsten, tiefsten Bewußtseins blieb. Damals schloß er die Augen, um in einer so großmütigen Erfahrung durch den Kontur seines Leibes nicht beirrt zu sein, und es ging das Unendliche von allen Seiten so vertraulich in ihn über, daß er glauben durfte, das leichte Aufruhn der inzwischen eingetretenen Sterne in seiner Brust zu fühlen.

 もう一ヶ所は、『ドゥイノの悲歌』第二部草稿として残された無題の詩の一つの一節で、「世界内面空間 Weltinnenraum」)という有名な言葉が出てくる箇所である。

すべての物の中をただ一つの空間が広がっている、
世界内面空間。鳥たちは静かに
私たちの中を横ぎって飛ぶ。おお、私は成長する欲求を感じて
外を眺める、すると私の内部に樹が成長する。   (高安国世訳)

Durch alle Wesen reicht der eine Raum:
Weltinnenraum. Die Vögel fliegen still
durch uns hindurch. O, der ich wachsen will,
ich seh hinaus, und in mir wächst der Baum.

 前者は、1903年カプリ島滞在中のリルケに啓示のごとく与えられた詩人としての決定的な経験の記述である。この内外連続した一つの純粋空間の経験の記述は、家持の歌における詩的空間の経験とどこで重なり、どこで決定的に異なっているか。この問いへの答えを出すための考察を通じて、私たちは、家持歌の詩的空間の固有性についてのより深い理解に到達できるだろう。
 後者は、1914年8月から9月にかけて作られた。引用した一節に用いられている、唯一つの空間としての「世界内面空間」という概念は、家持の歌の解釈にも導入できるのではないだろうか。リルケの造語である Weltinnenraum がリルケの全作品中の孤語(hapax)であることと家持の「うらうらに」が『万葉集』中の孤語であることとの間にも、なにか不思議な暗合を私は感じる。
 しかしながら、家持の四二九二番歌の〈ひばり〉の形象とリルケの詩のこの一節における〈Vögel〉の動的形象との間には、明らかな差異があることも認めなくてはならない。
 一点目は、前者の〈ひばり〉は、そう歌の中に明示されてはいないにしても、一羽の雲雀つまり単数の動体を表象していると見て間違いないのに対して、後者では、〈鳥たち〉つまり複数になっていることである。
 二点目は、家持の〈ひばり〉が垂直上方への運動性を表象しているのに対して、リルケの〈鳥たち〉の方は、どちらかといえば、水平方向の飛翔を表象していると読めることである。
 そして、鳥の形象の比較という枠を外して、家持歌とリルケの詩とがそれぞれに表現している詩的空間全体を比較するとき、両者の間には、その空間経験において、還元不可能な差異どころか、根本的な対立があるとさえ言わなくてはならない。
 なぜなら、家持歌が詩的空間全体に浸潤した悲しい心の思いの孤独さを表現しているのに対して、五つの四行連からなるリルケの詩は、その全体として、『ドゥイノの悲歌』全体の主調音とは異なり、唯一の空間における万物の照応と調和というゲーテ的とも形容できそうな生の世界を表現しているからである。
 しかし、それでもなお、両者の比較は、家持歌のより深い理解に資するところがある、とだけは言ってもよいのではないだろうか。
 家持の春愁三首の第三首における〈ひばり〉について、詩的空間における動的形象の意味論的価値という観点から内在的理解を試みた今回の哲学的考察 ―「雲雀についての哲学的考察断片」は、以上をもって終了とする。












鉛直線上の〈孤悲〉のアリア、あるいは、大伴家持における〈雲雀〉と孤愁について(八) ― 雲雀についての哲学的考察断片(十三)

2018-03-15 00:44:03 | 哲学

 四二九二番歌における「ひばり上がり」は、小運動体の垂直方向への急速な上昇を表現している。つまり、この歌の動性は、垂直軸に沿って展開されている。したがって、〈ひばり〉という明確な形をもった生物個体の垂直上方への急速な上昇と四二九〇番歌における霞という不定形なものの水平方向への緩やかな拡散とは、際立った対照をなしていると言うべきだろう。
 麗らかな春の光の中、無限に広がる天空での何ものにも囚われない自由な飛翔を〈ひばり〉が象徴しているとすれば、それを見ている詩人は、なぜ心悲しいのか。春の陽光に照らされて独りでしかありえないことを自覚した〈思ひ〉は、〈ひばり〉とともに上空へと飛翔することはできない。その上昇不可能性は、この詩的空間において、〈思ひ〉を下方へと沈降させずにはおかない。詩的空間において独りの〈思ひ〉に働いている重力、それがどこまでも深い悲しみを詩人の心に生じさせる。
 もう一点、この歌について指摘できることは、〈春日〉について、それが夜明け前でも日が傾き始めた夕方以降でもないということは明らかだとしても、それ以上には時間帯は限定されていないということである。春日の麗らかさそのものが時間的にそれだけ非限定的に形象化されていると言い換えてもよい。この点でも、「この夕影」という表現によってある特定の日の特定の時間帯を指示している四二九〇番歌とは対照的である。この〈春日〉の時間的非限定性は、家持の孤独の深度に照応している。













 

鉛直線上の〈孤悲〉のアリア、あるいは、大伴家持における〈雲雀〉と孤愁について(七) ― 雲雀についての哲学的考察断片(十二)

2018-03-14 00:08:06 | 哲学

 家持春愁三首第三首についての今回の哲学的考察を締めくくるにあたって、同歌について今回参照した諸注釈には見られなかった論点を一つ、今日明日の二回に分けて、指摘しておきたい。
 それは、詩的空間において〈ひばり〉という動的形象によって表現されている時間性及び動体の方向性と思念の重力という問題に関わる。
 今回考察したのは、巻第十九巻末の「うらうらに」の一首のみだったが、この一首は、その直前の二首とともに「春愁絶唱三首」としてまとめて評釈されることが多い(中西進はそれに異を唱えているが、今、それは措く)。
 四二九〇番歌「春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影にうぐいす鳴くも」(この歌については、2015年2月23日の記事で若干言及した)と四二九二番歌とを、そこに表現された情景と感情において同趣向とする類の評釈をしばしば見かけるが、そのような捉え方によっては両歌の決定的な差異が覆い隠されてしまうと私は考える。
 ただし、今回の考察では、前二首と最後の一首との間の制作日の違いという問題は扱わず、あくまで両歌に表現された詩的世界をその対象とする。
 その差異とは、しかし、前者が感情の空間への瀰漫だけを表現しているのに対して、後者は、「ひとりし思へば」という孤独感を表現しているという、誰が見てもすぐにわかるような表面的な差異のことではもちろんない。
 問題は、両歌に表現された詩的空間を互いに異なったものにしている動的要素の性質に関わる。
 前者が示している詩的空間内の運動の方向性とその性質は、「霞たなびき」という表現から明らかなように、不定形なものの水平方向への緩やかな拡散である。つまり、この歌の動性は、水平軸に沿って展開されている。この不定形なものの緩やかな動性によって、夕方の微光の中に瀰漫するうら悲しさが見事に表現されている。この幽き情感的動性は、鶯が視覚的に定位されていないことによって効果的に増幅さている。夕方の光の中で囀りだけが聞こえてくる。その視覚的形象が見えないものの声だけが響いている、と言ってもよい。
 「この夕影」の「この」という指示連体詞によって、この詩的空間が人生におけるある特定の時空における一回的経験の啓示によってもたらされたことが示されている。
 指示連体詞「この」は、両歌に挟まれた四二九一番歌「我がやどのいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも」の第五句「この夕かも」においても同様な機能を果たしている。












鉛直線上の〈孤悲〉のアリア、あるいは、大伴家持における〈雲雀〉と孤愁について(六) ― 雲雀についての哲学的考察断片(十一)

2018-03-13 03:07:40 | 哲学

 今日の記事では、三人の万葉学者たちと一人の詩人のこの歌についての評言を引く。私はそれらの評言に全面的に同意しているわけではないが、家持の名歌が今日の日本詩歌史の中でどのように位置づけられているかを知るてがかりにはなると思うからである。
 まず、中西進『古代史で楽しむ万葉集』(角川ソフィア文庫、2010年)から。

 うらうらと照る春日のゆえに心が悲しいという詩情はかつて何びとも所有しなかったものであろう。しかもそれは「独り物思いに沈むと」、といっている。沈みゆく心には、まぶしい春日が逆に暗いのである。この逆説的な感傷は、しかし近代人ならたやすく理解できるはずである。ひとり、家持の孤独感はこうして古代に稀有な感傷の詩を生み出したのだった。

 次に、小川靖彦『万葉集 隠された歴史のメッセージ』(角川選書、2010年)から。

明確には捉えにくい、深い「孤独」に、捉えにくいままに姿を与えることに成功したのです。社会的存在としての人間の悲しみを初めて詠んだこの歌は、千年以上の時を隔てた現代に生きる私たちの心にも深い共感を呼びます。

 そして、佐佐木幸綱『万葉集の〈われ〉』(角川選書、2007年)から。ただし、この評言は春愁三首すべてに関わる。

ここにいる〈われ〉は、〈いま・ここ〉におさまりきれないものを持ってしまっている。〈いま・ここ〉では完結しきれない悲しさを抱いてしまった一人思う〈われ〉である。

最後に、大岡信『私の万葉集』(講談社文芸文庫、2015年)から、やはり春愁三首についての評言を引いておこう。

このような歌は、むしろ近代人のものの感じ方、はっきり言えば、感傷に大きな価値を見出すようになった近代以降の感受性のあり方に、意外なほど親近性をもっているものだと言えるでしょう。
 これらの歌が、近代に至って初めて脚光を浴び、家持の名を多くの人にとって特別に親しい名にした理由も、同じところにあったのです。

 しかし、上掲の諸家が挙って家持の歌の〈近代性〉を主張していることは、かえって、次のように自ら問い直してみることを私たちに促しはしないだろうか。
 私たち〈近代人〉は、八世紀奈良時代に生きた官人であった歌人家持の歌が本来は有っていなかったかもしれない近代文学的価値意識をその中に投影するというアナクロニズムの誤りを犯してしまっているのではないか、と。













鉛直線上の〈孤悲〉のアリア、あるいは、大伴家持における〈雲雀〉と孤愁について(五) ― 雲雀についての哲学的考察断片(十)

2018-03-12 00:08:08 | 哲学

 空高く舞い上がり囀る雲雀という形象は、西洋近代文学と日本上代文学とに共通する表象である。しかし、私たちがバシュラールの『空と夢』から雲雀の文学的表象について学んだことからだけでは、家持の歌の有つ特異な詩的価値を説明することはできない。
 そこで、私たちは、家持歌に表現された異様なまでに深い孤愁のよって来るところをその詩的世界そのものから内在的に理解しようと努めてきた。
 『万葉集』中に他例がないか、ほとんどないか、わずかしかない語句「うらうらに」「心悲しも」「ひとりし思へば」の組み合わせからなっていることからだけでも、集中でのこの歌の独自性は際立っている。
 集中の孤語「うらうらに」ついては、3月9日の記事すでに考察したのでここには繰り返さない。
 第五句について、伊藤博は、「恋にあらざるもっとも深い人間の孤愁、社会の中にあって自己一人という真の孤独を言い表わす、集中稀有の和歌表現」と賛嘆している(『萬葉集釋注』)。
 「心悲しも」に関しては、家持の父旅人が、太宰府から帰京する船路で、任地で失った妻のことを懐い、往路では妻と二人で一緒に見た敏馬の崎を復路では独りで見る悲しみを詠った「行くさには二人我が見しこの崎を独り過ぐれば心悲しも」(巻第三・450)を念頭に置いて同表現が用いられていることは間違いなかろう。
 語彙におけるこれらの独自性は、それとして際立っているだけではなく、それらによって表現された古代日本における〈個〉の思想の独自性によって、この歌を不朽の名歌にしている。
 しかし、これで同歌についての考察が尽きたわけではない。まだまだ考えるべきことは他にも多々ある。