『万葉集』の注釈書類を覗くと、「世間」という語は、山上憶良の「哀世間難住歌」(巻五・八〇四)のように題詞に使われているときは「せけん」と今日と同じ訓みが与えられ、人麻呂の泣血哀働歌の一首(二一〇)でのように歌の原文中にこの漢字二字「世間」が「世間乎 背之不得者」のように用いられているときは、「世の中を 背きしえねば」というように「よのなか」という訓が与えられている。
万葉集では、そのような歌語としての「世間」の場合も、仏教語「世間空」の翻読語とみなされ、「この世は無常だという定め」を意味する。人麻呂のこの歌はその最初の用例。「世の中」が男女の仲を意味するようになるのは平安期に入ってからである。
その世間に住む「世の人」もまた無常。しかし、下掲の人麻呂歌集歌は、ただ単に世の人である自分一人の命の儚さを詠んだとは言えない余情の響きがある。
巻向の山辺とよみて行く水の水沫のごとし世の人我は (巻七・一二六九)
この歌の結句、原文では「世人吾等者」となっており、伊藤博は『釋注』で、その点に注目し、この歌は前歌一二六八とともに集宴において献じられた歌で、「集う人びとの心情に同化し、それを代弁する気持ちで詠をなしたことが、複数を示すこの用字を導いたのではないか」と推量し、このようにして宴席に連なる人びとに共有されたであろう感動を「代表的感動」と呼んでいる。
自分の一人の命の儚さを詠嘆するのではなく、「世の人」である我らはみな同じく川面の水泡のようなものなだのだという抒情が眼前の風景と融合し、その景情融合によって抒情の共同性が成り立っている。この抒情の共同性もいわゆる仏教的な無常観には見出し難い。