内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

無常の自覚史、その内的成熟と外的契機について

2019-03-11 16:11:05 | 読游摘録

 他者の死を悼む挽歌と死への存在としての自己の生のはかなさの自覚を詠う歌とは、それぞれ表現契機を異にしている。「自己の生のはかなさが言われる為には、まず死を普遍的な法則として認識し、そこから「世の人」たる「われ」の死を類推し、その上で死を必然的に内に包むものとして、はじめて自己の生のはかなさが自覚されなければならない。この複雑な過程を経てはじめて無常が問題となる」と末木文美士は言う(『日本仏教思想史論考』179頁)。
 このような無常の自覚の万葉集中最も早い例を昨日の記事で引いた巻七・一二六九に見てよいとすると、同歌を含む人麻呂歌集の非略体歌が詠まれたとされる六八〇年代つまり天武朝から持統朝にかけての時期が、「日本における無常の自覚史上、甚だ重大な意味をもつ」と末木は指摘する(同頁)。
 そこで、この無常の自覚に仏教の影響があるかということが思想史上重要な問題になる。すでに仏教に深く浸透されていた中国文学の影響下にあった当時の日本の宮廷歌人たちが仏教思想とはまるで無縁であったということはどう考えてもありえそうにない。表現上においてさえ、「譬如水泡速起速滅」(『涅槃経』)や「一切有為法、如夢幻泡影」(『金剛般若経』)などの仏典の言葉が万葉歌にまったく影響を与えなかったとは考えにくい。それゆえ、思想史の問題としては、「仏教がどこまで内面的に影響を与えているかという点に帰着する」(一八〇頁)。
 この点について、末木は、「万葉びとの精神自体が無常を自覚的に表明しうるまで成熟してきたという側面」を指摘する。そのような精神的成熟があってはじめて、その無常観を詩的言語によって表現しようとするとき、外的な刺激として、「仏教を織り込んだ中国の文芸がひとつの契機を与えた」と考えることができるだろうと末木は言う。佐竹昭広は末木のこのあたりの指摘を的確だと言っているのだろう。
 つまり、末木によれば、日本文学史における無常の自覚的表現は、そのための内的成熟を可能性の条件とし、外的契機を作用因として成立した、とまとめることができるだろう。












柿本人麻呂 ― 無常の認識史の転換点に立つ大詩人

2019-03-10 18:24:33 | 読游摘録

 佐竹昭広が『萬葉集再読』の注の一つで、「人麻呂の仏教思想については末木文美士氏の指摘が的確である」と評価していることは一昨日の記事のはじめに述べた。今日から、その問題を取り扱っている末木論文の第三節(『日本仏教思想史論考』177-183頁)をじっくりと読んでいこう。
 末木は、古代文学史上の一頂点をなす人麻呂を、思想史的に見て、「無常の認識史上大きな転換点に立っている」と位置づける。まず注目すべき点として、人麻呂作の数多くの挽歌が「死をはっきりと死と認識した上に成り立っていること」を挙げる。どういうことか。「従来見られた生と死の境界の曖昧さが消え、既に嬪宮儀礼においてさえ、死者は死者として明確に位置づけられるようになった」ということである。言いかえれば、「死は死として生との断絶において位置づけられているのである」。
 末木は、特に、泣血哀働歌の中に「世の中を 背きし得ねば」という表現が見えることに注目する。昨日の記事で見た天智天皇挽歌では「うつしみし 神に堪へねば」とあったのに対して、「神」がここでは「世の中」になっていることは、「人間の死が、世の中の普遍的法則として捉えられいている」ことを意味すると末木は言う。

死は個別的、偶然的なものではなく、あらゆる人に否応なく襲ってくるものである。後に、「世の中は空しきものと知る時し」(巻五・七九三)、「世間を常無きものと今そ知る」(巻六・一〇四五)等に、「世の中」は無常と関連づけて歌われるが、その出発点は人麻呂に見えると言わなければならない。(一七九頁)

 ここで、三つ私見を挟んでおきたい。
 まず、死の不可避性の認識そのものが人麻呂において初めて成立したわけではあるまい。問題は、なぜそのことが人麻呂挽歌において強調されなければならなかったかということにある。言い換えれば、人間の生の有限性の自覚とその自覚の詩的表現とは、必然的な因果関係にはないとすれば、どのような文化的文脈において生の有限性が詩的表現の主題とされたのか。ここでまさに仏教の影響が云々されるのは言うまでもないが、この点に関しての末木論文の指摘はきわめて興味深い。そこを読むのは明日の記事に譲る。
 つぎに、自らの生の有限性の自覚を詠った歌、例えば、人麻呂歌集中の「巻向の山辺とよみて行く水の水沫のごとし世の人われは」(巻七・一二六九)の下三句は、無常を詠んだものとして諸家によって引かれることが多いが、自らの命の儚さ・移ろいやすさを詠うことが、即無常観を前提としているとは言えないだろう。
 もうひとつは、はかなさ・むなしさ・無常は、意味の上で互いに重なり合うところがありながら、単純に類義語として一括りにはできないだろうということ。万葉の時代には、まだ「はかなし」という形容詞はなかったという事実は無視しがたい。むなしさと無常とは、土屋文明が『私注』で指摘しているように、思想的な広がりと深まりにおいて区別されなければならないことは、2月26日の記事で見た通りである。この三概念の相互的弁別的差異の動態を各時代ごとに把握することは、思想史研究の一つのテーマであると私は考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「放り居て 我が恋ふる君」、「我が黒髪に 霜の置くまで」― 相聞の如き挽歌、挽歌の如き相聞

2019-03-09 16:39:10 | 読游摘録

 まず、天智天皇崩御に際してある婦人(たをやめ)が詠んだ挽歌を読もう。

うつせみし 神に堪へねば 離れ居て 朝嘆く君 放り居て 我が恋ふる君 玉ならば 手に巻き持ちて 衣ならば 脱ぐ時もなく 我が恋ふる 君ぞ昨夜の夜 夢に見えつる (巻第二・一五〇)

 題詞「天皇の崩りましし時に、婦人が作る歌一首」から切り離し、この長歌そのものだけを読むとき、移ろう人間の世界と永遠なる神々の世界との隔絶を表現している初二句「うつせみし 神に堪へねば」を除けば、遠く離れて会い難い相手を想う相聞歌として読めてしまう。「死者を死者として距離をとって歌うのではなく、死者をかきくどき、呼び戻そうとするかのような歌いぶりである」(末木文美士「『万葉集』における無常観の形成」、『日本仏教思想史論考』一七五頁)。
 他方、相聞歌の中には、絶望的に遠く離れた場所に居る想い人をいつまでも待ち続ける女心を詠んだ歌がある。

ありつつも君をば待たむうち靡く我が黒髪に霜の置くまでに(巻第二・八七)

 激しい嫉妬心の持ち主として名高い磐姫(仁徳天皇の皇后)作とされる巻第二冒頭四首のうちの第三首。伊藤博によれば、「磐姫の実作ではなく、持統朝頃の歌人が、新旧さまざまな歌を、煩悶―興奮―反省―嘆息の起承転結の心情展開に組み立て連作」である(角川文庫版『新版 万葉集一』脚注)。この歌は相聞歌としてしか読めないとしても、遠く離れて会えない相手を想うその想い方と肉体を離れ遠ざかる死者の魂を想う先の挽歌の想い方との間には、断絶よりも連続性が感じられるとは言えないであろうか。

素朴に魂の実在が信ぜられていた古代にあって、死とは魂が肉体を離れていずこへか行くことであり、従って死者への呼びかけが遠く離れた恋人への呼びかけとそれ程大きく異ならなかったとしても不思議はない。愛する者の死は不可逆的な時間の流れの中で過ぎ去っていくものとして捉えられるよりも、空間的に遠く会えない所へ離れてしまうという意識で捉えられたのではなかったか。(末木書一七六頁)

 しかし、死者の記憶は、やがて生者の間にあって薄れゆき、忘れられていく。別離の悲しみもやがて。この意味での時間の不可逆的性は初期万葉においてすでに自覚されている。

人はよし思ひやむとも玉鬘影に見えつつ忘らえぬかも(巻第二・一四九)

 この倭大后(天智天皇皇后)の歌は、そのような世間一般の忘却へと向かう時間の不可逆的な推移を自覚しつつ、それとの対比において、自分は亡き天皇のことが忘れようにも忘れられないという「孤愁の嘆き」(伊藤博『萬葉集釋注』)を切実に表現している。












「白楊には悲しき風多く 蕭々として人を愁殺す」(古詩十九首・第十四首より)

2019-03-08 23:59:59 | 読游摘録

 佐竹昭広『萬葉集再読』(平凡社、二〇〇三年刊)所収の論文「「無常」について」(初稿掲載は『岩波講座 日本文学と仏教』第四巻「無常」一九九四年十一月)の後注(15)に、「人麻呂の仏教思想については末木文美士氏の指摘が的確である(「『萬葉集』における無常観の形成」日本仏教思想史論考所収、大蔵出版、一九九三年)」とあったので、さっそくその『日本仏教思想史論考』を日本の家族に頼んで送ってもらった。
 末木の当該論文は後注含めて十九頁と短いし、論文末尾の追記には、「文学史に不案内であるから、不適切なところも多いかと思う」と本人が認めているように、引用されている万葉歌の釈義には、確かに、疑義を挟みたくなるところ、もの足りないと感じさせるところもあるが、きわめて示唆的な指摘もいくつかあり、それらを手がかりに私なりに『万葉集』における無常観の形成という問題をさらに考究していきたい。
 今日のところは、この末木論文の「枕」ともいうべき第一節に引かれている原始経典や中国古詩から特に心に残った詩句を摘録するにとどめる。

万物は泡の如く 意は野馬の如く
世に居ること幻の如し 奈何ぞ此を楽しまん (法句経・世俗品)

 人生のはかなさ・移ろいやすさを嘆くだけでは仏教にならない。

色は無常なり。無常は即ち苦なり。苦は即ち非我なり。非我は亦我所にあらず。是の如く観ずるを真実正観と名づく。是の如く受・想・行・識も無常なり。(雑阿含経・巻一)

 その仏教が中国に渡ったちょうどその頃、彼の地においても同じように人生のはかなさが自覚されるようになっていた。

去る者は日に以って疎く
生くる者のみ日に以って親し
郭門を出でて直に視るに
但だ丘と墳とを見る
古き墓は犂かれて田と為り
松と柏とは摧かれて薪と為る
白楊には悲しき風多く
蕭々として人を愁殺す
故の里閭に還らんことを思うも
帰らんと欲して道は因るべなし (古詩十九首・第十四首 吉川幸次郎訳)

 この古詩を読んで、愁殺された。











陰陰礼賛、あるいは偽善的ペシミスト宣言 ―『K先生の黄昏放言録』(未刊)より

2019-03-07 21:25:16 | 雑感

 「意味ね~んだよな、こんなことやってても」と、ときどき、いや、最近はかなり頻繁に、つぶやいている自分に気づき、それに気づいては、はぁ~と深い溜息をついている。
 日々、徒労感の冪乗、それがひたすら右肩上がりの心理的重量として心身を押しひしぐ。朝起きるのもしんどい。「ばぁ~かみたい」って、毎朝思わずにはいられない。その原因が個人的な事情に尽きるならば、他人は、「あっ、そ。ご愁傷さま。でも、それって自己責任ですよね」と、私を見捨てるだけのことで、後は、ヒトリシズカ、私が消えていくだけのことだ。
 だが、おそらく、そうではない。自分も恥ずかしながら生まれてこの方乗船させていただいている超豪華客船「地球号」に重大な損傷が見つかったのだ。洋上のど真ん中、一時寄港は不可能。乗ったままで、とりあえず船にある道具と材料で補修しないと。でも、損傷の深刻度は明らかにそれを超えている。一旦陸に上げて、全面解体して、再建しないと、遅かれ早かれ、沈没する。さて、どうする?
 ハリウッド的脳天気映画のハッピーエンドはいっさい期待できない。それでもなお、性懲りもなく、根拠のない希望的観測にしがみついて、「沈まぬ太陽」とか言う? バ~カ言ってんじゃね~よ。
 夢幻の如く美しく儚いこの世界の私は、ただひたすら無力なだけ。もう一切を諦めて、近い将来に訪れる沈没を他の乗客とともに従容として受け入れるか、自分だけは何が何でも助かりたいから、こっそり救命ボートで脱出するか。どっちもできない。「ムジョー」も「ハクジョー」も、無理無理。
 だから、仕方なく、何事もないかのようなふりをして、淡々と、場合によっては、「ダイジョーブですよ~」とかにこやかにほざきながら、ときには、声をちょっと荒げて義憤をもっともらしく表明したりながら、日々の仕事をかなりきちんとこなしつつ、しかしそれによる充足感は一切なく、いつ訪れるとも知れない死を待ちながら、私は生きています ― って、言えるのかなぁ~?













存在の可塑性をめぐる思考のネットワーク増殖中

2019-03-06 23:59:59 | 哲学

 知的興奮を覚える読書経験の一つとして、ある本がきっかけになり、別の本あるいは著者を発見し、そこからまた別の著書あるいは著者との繋がりが見えてきて、最初のある本を読み始めたときには思いもよらなかった一連の問題のネットワークが自分の思考の中に形成されるときを挙げることができる。関心領域はそれほど広くなくても、そういうことは起こりうる。
 例えば、先週から今日にかけて、以下のような問題ネットワークが私の思考において生成しはじめ、今ちょっと脳が興奮状態である。
 大西克礼の『万葉集の自然感情』『風雅論――「さび」の研究』を読んでいて、比較美学の方法を調べようと思い、Étienne Souriau, Les différents modes d’existence (PUF, coll. « MétaphysiqueS », 2009. 1re éd. 1943) に行き当たり、タイトルからすぐに Gilbert Simondon の Du mode d’existence des objets techniques (1re éd. 1958) との関連が気になったが、案の定、Souriau の本の巻頭の Isabelle Stangers と Bruno Latour による présentation の注に Simondon ことが言及されていて(Gilbert とあるべきところ、Georges と二度も誤記されているはご愛嬌だが)、その注の中に挙げてあった Alice Haumont の論文 « L’individuation est-elle instauration ? Autour des pensées de Simondon et de Souriau » が手元にある Simondon(coordination scientifique Pascal Chabot, Vrin, 2002)に収録されていて、それに目を通すと、Simondon と Souriau との間には、いわゆる歴史的な影響関係はほぼないといってよく、それだけに両者の思想の哲学的親和性が問題になることが指摘されている。
 その親和性の核を私なりに思い切って一言で言い表わせば、存在の可塑性である。来週の発表が済むまでは深入りはできないが、このネットワークはその間も私の思考の深層で増殖していくことだろう。しばらく放っておこう。












両大戦間に大きな仕事を遺しながら、今日忘れられかけているフランスの哲学者たち

2019-03-05 16:34:45 | 哲学

 昨日届いた二冊の本のうちのもう一冊は、Maurice Pradines, Esprit de la religion, Aubier, coll. « Philosophie de l’esprit », 1941 である。78年も前の本であり、しかもナチス・ドイツ占領下での刊行であるから、紙質も悪く、糸かがり綴じとはいっても、二箇所だけである。背表紙はぼろぼろ。ただ、いわゆるフランス装の仮綴本で、最初の二頁しか切られておらず、あとは巻末の目次まで手付かず。だから、本文の状態は悪くない。
 とはいえ、そのまま読み始めると、背から壊れてしまうことはひと目でわかったので、ブッカーで保護することにした。こういう作業は嫌いではない。お金と時間さえあれば、本格的な皮装を発注したいところだが、それは私にとって叶わぬ夢でしかない。表紙の紙も薄く粗末で、隅は欠けていたので、それを補修するためにもブッカーで全体を覆う必要があった。幸い、作業はうまくいき、どこにも皺が寄ることもなく、キレイに本を保護することができた。
 序文から頁を切りながら、走り読みしたが、これもまたほんとうにすごい本だ。出版当時から評判になった本で、宗教に関する哲学的研究として、ベルクソンの『道徳と宗教に二つの源泉』(1932)以後の最も優れた達成ときわめて高く評価された。初版から半世紀後に刊行された新版(éditions Verso, 1992)は、フランス国立図書館の電子図書館Gallica で全体の15%が公開されており、本全体のPDF版は 9, 99€ 購入できる。
 この第二版は、本文自体は頁付もまったく初版と同一だが、その前に Roland Guyot による序文、巻末に、人名作品・本書の諸家による評価・履歴・文献表が付加されている。この第二版の書評がネット上で読めるし(こちらがリンク)、そのPDF版を無料でダウンロードもできる。
 プラディーヌもまた両大戦間のフランスの哲学研究の層の厚さと豊穣さを見事に示している一例であり、この時代の膨大な哲学的思索の蓄積がなければ、戦後のフランス哲学の華々しい展開もなかったことは確かである。その意味で、私には、ルイ・ラヴェル、ルネ・ル・センヌ、ピエール・ラシエーズ=レイなどの著作がことのほか大切に思われる。このうち、ルイ・ラヴェルを除けば、その遺した仕事の意味の大きさに対して不当なまでに過小な評価しか今日されていないことを大変残念に思っている。












何が起こるかわからない、ぞくぞくするような知的興奮に満ちた冒険譚としての哲学研究

2019-03-04 23:59:59 | 哲学

 今日、二冊の本が別々に届いた。今日の記事では、そのうちの一冊について書く。
 その一冊とは、Caroline Guendouz, La philosophie de la sensation de Maurice Pradines. Espace et genèse de l’esprit, OLMS, coll. « Europaea Memoria », 2003 である。プラディーヌに関する他の言語での研究を含めても、おそらく唯一のモノグラフィーであろう。しかも、著者自身が序論のはじめのほうで断っているように、プラディーヌの一般心理学しかカヴァーしていない。プラディーヌの執筆した論文・著書は膨大で、その一部しか出版されておらず、今後も包括的な出版の対象にはならないであろう。つまり、プラディーヌの業績全体を対象とする研究は今後も現れる可能性は限りなく小さい。
 本書の著者によれば、プラディーヌ研究の最大の難問は、プラディーヌ自身が自らの研究対象を創出しながら、それを記述・分析する概念体系を構築し続け、その過程を通じて対象そのものが発展していくところにある。その対象とは、一言で言えば、「le vivant 生きているもの」である。しかし、それは既存のカテゴリーによって分類された生命体・生物群のことではない。もちろん、プラディーヌの哲学の出発点は、それに基づいてはいるのだが、それを超えて、「生きているもの」の生成過程をその総体として把握しようという、途方もない、というか、とんでもない情熱がその火床なのである。研究対象と研究そのものとが同時生成的であり、しかもその生成はプラディーヌの生涯を通じて発展過程にあった。

 Originairement, en effet la philosophie de Pradines est sans objet : au départ, il n’est ni question de quelque chose, ni de quelque chose à dire, à montrer. Ou plutôt, le point de départ de Pradines est un questionnement sur la constitution de l’objet à étudier : si la philosophie est discours, comment parler d’un être qui n’est jamais donné comme objet tout constitué, mais dont le sens réside précisément dans son activité : le vivant ? La philosophie pradinésienne trouve alors son fondement dans un acte, une genèse qui consiste à poser le vivant comme un objet à engendrer. Pradines part simplement de la caractéristique la plus générale du vivant : son activité en tant qu’activité, c’est-à-dire, son intentionnalité en général, et rien de plus. Le discours se construit donc à mesure que des différenciations se font jour au sein de cette intentionnalité et que ses fonctions se spécialisent (op. cit., p. 3).

 何が起こるかわからない、ぞくぞくするような知的興奮に満ちた冒険譚のはじまりのようで、ちょっとワクワクしちゃいませんか?


発表原稿一応仕上がる

2019-03-03 19:51:20 | 雑感

 3月14日の発表原稿は夕飯前に一応できた。だが、発表時間30~40分に対して長すぎる。半分以上削らないといけない。この作業は、しかし、慌ててやらないほうがいい。明日から発表前日までの十日間、少しずつ手を入れていくことにする。
 聴衆が何人かもわからないし、レベルもわからない。現象学研究グループが主催だから、ミッシェル・アンリについてあまり説明することはないだろう。それに、アンリを現象学者とは認めない現象学研究者も少くないから、西田最後期の生命の哲学の可能性の一端をアンリの生命の現象学の批判を介して示すという筋立てで行く。
 明日月曜日は、自分の授業の試験が一つあるだけだから、いつもような準備の必要はない。
 翌日火曜日は、日本近代史の授業の枠を使って、短期研修でストラスブールに来る慶應大学の学生たち八人との合同授業。日本学科の学部三年生学生たちには各自自分のレポートのテーマについて一分から三分で日本語とフランス語で発表させる。その後、ペアでの福沢諭吉についての発表が一つ。これも日仏両語。全部で十から十五分にまとめるように指示してある。授業の後半は、四班に分かれてのグループ・ディスカッション。夜は、その慶應の学生たちと引率の先生とレストランで会食。
 水曜日は、午前中は通常通り古典文学の授業。午後、日本の外務省の人と会う。夜は日本総領事公邸でのレセプションに出席。












徒労に近い出典箇所特定作業、が、他方で成果、結果として、佳日也

2019-03-02 19:00:36 | 哲学

 メルロ=ポンティが Phénoménologie de la perception(Gallimard, 1945)の中で、 « communion » という言葉を使っているのは三箇所、感覚について二箇所(p. 246, 247)、知覚について一箇所(p. 370)である。その他に一箇所だけ、第三部第一章 « Le cogito » の引用文中に出てくる。それは、Pierre Lachièze-Rey の Le Moi, le Monde et Dieu(Boivin, 1938)からの引用文であることが脚注に示されている。

« Il n’y a (...) de conscience de l’univers que grâce à la conscience préalable de l’organisation, au sens actif du mot, et par suite, en dernière analyse, que par une communion intérieure avec l’opération même de la divinité » (Merleau-Ponty, op. cit., p. 428).

 本書の巻末の参考文献表にも Lachièze-Rey の上掲の本が掲げてあるから、メルロ=ポンティがこの版を参照したことはほぼ間違いないのだが、当該頁に引用箇所が見当らないのである。 « Le cogito » の章には、Lachièze-Rey のその他の本から、特に L’idéalisme kantien から頻繁に引用あるいは参照がされていることが脚注からわかる。メルロ=ポンティが頁数あるいは書名を取り違えたのであろうか。とにかく手元にある Le Moi, le monde et Dieu の同版を通覧してみたが見つからなかった。大幅に増補された第二版は1950年刊行で、『知覚の現象学』執筆時には未刊なのだが、問題の引用箇所だけでなく、他の参照箇所もまったく頁数があっていないので、第二版を確認する必要がある。だが、第二版は現在注文が届くのを待っているところで、まだ確認できていない。L’idéalisme kantien も注文が届くのを待っている (これはかつて所有していたが、十数年前に売り払ってしまった。こういうことがあるから本は売らないに越したことはないのだが。Maurice Pradines の Esprit de la religion も同様……)。
 こんな作業は哲学的思考とは何の関係もない。しかし、研究手続きとしては、ないがしろにはできない。が、正直、「こんなつまらんことに時間を取られて」と少しイライラし、メルロ=ポンティに八つ当たりしたくもなった。
 まあそれはそれ、今日は、Dominique Janicaud の La phénoménologie dans tous ses états(Gallimard, coll. « folio essais », 2009. 1990年刊の Le tournant théologique de la phénoménologie と1998年刊の La phénoménologie éclatée を一冊にまとめ、それに Jean-Pierre Cometti の紹介文と Janicaud が1997年に行った講演原稿の大部分を再録した序論を付したもので大変重宝)を読みながら、発表原稿用のノートを取り、ほぼ原稿全体の見通しがたったから、結果として、佳き一日であったとすべきだろう。
 明日は原稿を一気に書き上げる。