内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

空き教室を求めてキャンパスをさまよう

2019-09-20 23:59:59 | 雑感

 今学期の授業が始まって、二週目が終わったところだ。学生が教室に入りきれない授業の教室変更など、毎年この時期はバタバタする。私の金曜日の授業も、教室が小さすぎて、変更を強いられた。ところが、適当な教室が空いておらず、二時間の授業を一時間ずつ二つの教室で行わなければならないことになった。こんなこと、日本の大学ではあるのだろうか。
 学部が使える教室の絶対数が不足しているというのが根本問題だが、これはすぐにどうこうできる問題ではない。より現実な問題は、教室管理システムの方にある。どの学科も夏休み前の時間割作成の段階で教室を予約する際に、毎週使うわけではない教室も学期を通して予約してしまうことが多い。その結果、学期が始まってから、管理システムを使って空き教室を探しても、実際は使われていない教室も使用中と端末には表示されてしまう。今日も、一時間目が終わったところで、同じ建物階下の教室に移動する際、いくつかの教室を覗いてみたが、空いている教室もあるのだ。学生たちもそれに気づいた。
 理系学部の方はどんどん新しい建物が立っているのに、こちらは空き教室を求めてキャンパスをさまようジプシーのようだと自嘲したくもなる。こんなことで授業が円滑に行えないのは、教員にとって困ったことであるだけでなく、学生たちの不利益にもなることであり、大学として恥ずべきことだと思う。











小さな幸せ日記 ― お湯の出る暮らしのありがたさ

2019-09-19 23:20:36 | 哲学

 東京での夏休みを終えて帰国してから今まで、かれこれ四週間近く、ずっと黙っていたというか、このブログの話題にはしなかったことがあります。それは、隠しておきたかったからというわけではありません。むしろ人様にとってはどうでもいいことだから、書くこともないかと思っていただけのことです。
 自宅の暖房湯沸かし器がずっと故障したままで、お湯が使えなかったのです。お風呂はもちろんのこと、シャワーもお湯が出ず、洗面所も台所も水だけでした。
 幸い、ここまで比較的暖かい日が続いていましたし、体を洗うのは、毎日のように通っているプールのシャワー室で、持参したシャンプーと据え付けのボディシャンプーを使ってできましたから、そんなに困りませんでした。プールに行けない日は、濡れタオルをレンジで加熱し、温水摩擦で体を清潔に保つようにしました。食器洗いは、お湯が普通に使えていたときは、できるだけお湯だけで洗剤を使わないようにしていたので、この四週間は、鍋でお湯を沸かして対処していました。
 修理になんでこんなに時間がかかったのでしょうか。「簡単に」ご説明しましょう。
 借家なので、自分で勝手に業者に修理を頼むわけにはいかず、まず、不動産会社に事情を説明し、どの業者に連絡すればいいか尋ねます。指定された業者に私自身が電話し、修理を頼みます。次に、不動産会社にその業者に修理発注してくれるように頼みます。業者は、不動産会社から受注すると、私に電話をくれ、担当者の訪問日を決めます。担当者が来ます。その日は、見積もりだけです。その見積もりが業者から不動産会社に送られます。不動産業者は、大家の同意を確認し、修理の発注をします。それを受けて、業者から修理日を決めるための電話が私のところに来ます。
 ようやく修理に来たのが9月9日でした。ところが、その日に修理は完了しませんでした。最初の見積もりに基づいた部品交換では直らなかったのです。修理に来た担当者は、不動産業者に連絡して、追加の修理の許可を得ると言い残して帰っていきました。しかし、一週間待っても、何の連絡もなし。そこで不動産業者に、いったいどうなっているのか問い合わせました。すると、修理業者から、私が在宅の日を問い合わせる電話があり、日時を決めました。時間通りに担当者が来てくれました。しかし、それは見積もり作成のためだけでした。その見積もりが不動産会社に送られ、大家の同意が得られると、不動産会社から業者に修理依頼が行き、業者から私に電話があります。担当者が来ました。それが今日だったのです。
 今日、やっとすべて直ったのです。お湯が出るようになったのです。台所も洗面所も、もちろんお風呂も。蛇口をひねるだけで、魔法のようにお湯がいくらでも出て来ます。ただそれだけのことで、幸せな気分になります。今さっきまで、帰国後初めて、ゆっくり湯船に浸かり、その幸福を噛みしめていました。
 寒い冬はまだ先の話ですが、ガス温水暖房もこれで心配なし。担当者はとても親切で感じのいい人で、何かトラブルがあったら、不動産会社を通さずに直接連絡くださいと言ってくれました。
 今日は朝から明日の授業の準備をずっとしていて、業者の人が修理中も準備を続けていました。夕方、「ムッシューk、すっかり直りましたよ」と声を掛けてくれたときの嬉しかったこと。業者の人もここまでどれだけ時間がかかったかわかっているので、「自分も、やっと仕事が完了して嬉しい」と言っていました。
 当たり前のことが当たり前に機能していれば、それを喜ぶこともありません。今回の一件は、普段当たり前だと思っていることが機能しなくなると、それがどれだけ生活に影響を及ぼすかを、身をもって知る機会となりました。
 蛇口をひねり、お湯が出てくるたびに、それだけで嬉しくなる。そんな気分の中でこの記事を書きました。













腹立ち日記

2019-09-18 23:59:59 | 雑感

 今日、夜帰宅したとき、かなり気分が悪かった。というか、頭にきていた。
 昨日は、授業その他一日すこぶる順調だった。今日も、午後の他学科の学科長との話し合いは実りあるものだったし、その後の修士の演習も日本の大学からの学生さんたちを迎えて楽しくできた。そこまでは、だから、「いい一日」だったのである。
 ところが、その後に聴いた講演が実にひどかった。こんな低次元な講演はかつて聴いたことがない。だが、それだけだったら、呆れはしても、そんなに腹は立たない。講演者の態度が実に不愉快だったのである。よくもまあ超ツマラナイ話を「あんた、何様なの?」と言いたくなるような態度で話せたものである。最初の十分くらい聴いただけでもう不愉快になってきた。何度も途中退席したくなったが、それはなんとか我慢した。その場にいることが苦行のような一時間の講演がやっと終わった直後、質疑応答などとても聴く気になれず、席を立った。
 これではせっかくの一日がぶち壊しであると、夕食時には、思いっきり笑えるテレビドラマをワイン片手に観て、気分を直してから就寝した。












枯れ際にこうべを垂れる白薔薇の気品

2019-09-17 23:59:59 | 雑感

 切り花も、花弁が生き生きと開き、窓際で太陽光を受けて輝いているときが美しい。でも、ここ二週間、贈られた十本の白薔薇を、花瓶一つない我が家にあったトマトジュースの空き瓶に活けて、普段は殺風景な書斎の机上に置いて眺めていると、次第に萎れ、乾き、茶褐色へと変色ながら、自らの重みに耐えて気品をなお保ち続ける花弁の一枚一枚が愛おしくなる。












「信じる」の日常言語的用法がもたらす、一見すると逆説的な帰結の説明 ― 昨日の記事の補足として

2019-09-16 19:14:09 | 哲学

 昨日の記事で問題にした「信じる」という言葉の用法について、その短すぎる説明が引き起こしたであろう誤解を解いておくために、一言補足する。
 昨日の記事で、「信じる」と「知る」との関係を問題にしたとき、それはあくまで日常言語での一般的用法のみを前提としていた。つまり、信仰と知解の問題は、そこではまだ立てられていない。「彼の無事を信じている」というとき、安否はまだ確認されていないが、私にはそうとしか思えない、そうでないとは思いたくない、あるいは、無事であってほしいという、祈るような気持の表現として理解されるのが普通であろう。幸いなことに、彼の無事が確認されれば、この表現はもはや使われない。
 同じく日常的な用法の範囲内では、誰にとってもすでに自明なこと、事実として広く知られていることについては、「信じる」は使わない。例えば、「地球は太陽の周りを公転していると私は信じている」とは今日誰も言わない。あるいは、「現在のフランスの大統領はエマニュエル・マクロンであると私は信じている」とは、彼が現に事実フランス大統領であるかぎり、言わない。しかし、「私は魂の不死を信じている」と言うことはできる。証明されたわけでも、実証されたわけでもないが、他の人はともかく、私にはそうとしか考えられないというとき、人はこう言うだろう。
 ここまでの用法に関して言えることは、「信じる」は、自分の思いとは独立に、普遍的だと認められていること、あるいは少なくとも一般的に承認されていること・広く知られていることには使えない、ということである。
 ところが、信仰が問題になると、この日常言語での「信じる」の用法をそのまま当てはめてしまうと、昨日の記事で見たような逆説的な帰結がもたらされる。
 そのすべての成員が敬虔なキリスト教信者である共同体を考えてみよう。その内部では、神の存在は、個々の信者の思いとはまったく独立した普遍的な真理として何の疑いもなく承認されているとしよう。その場合、日常言語での「信じる」の意味で、「私は神の存在を信じている」という発言はありえない。この意味では、彼ら敬虔なる信者たちは、神の存在を信じてはいない。もはや言うまでもないと思うが、それは、彼らが神の存在を否定しているということをまったく意味しないし、それを疑っているということも意味しない。彼らにとって、神の存在はあまりにも自明なゆえに、それを「信じる」という理由が、少なくともその共同体の内部にとどまるかぎり、ないのだ。
 その共同体に属さない外部の人間が、共同体の成員の一人に、「あなたは神の存在を信じていますか」と問うたとき、その人が「はい、信じています」と答えることはありうるだろう。それは、問うものと問われるものとの間に信仰が共有されていないからである。もちろん、その場合でも、その信者は、「私が信じるとか信じないとか、信仰とはそういうことではないのです」と答える場合もありうるだろう。
 以上から、昨日の記事で引用した「ただ非信者だけが、信者は信じている、と信じている」という文の意味するところは、以下のように説明することができる。「信者は信じている」という言い方をするのは、信者ではないものに限られる。なぜなら、その非信者は、信者たちにとって自明なことを共有できていないから、つまり、彼にはそれは自明ではないから、「彼らは信じている」と信じることしかできないからである。












「ただ非信者だけが、信者は信じている、と信じている」― ある学生からの質問をめぐって

2019-09-15 19:13:19 | 講義の余白から

 「近代日本の歴史と社会」の第一回目の「哲学」の授業があった日の夕方、教室で最前列に座って熱心にノートを取っていた学年で最優秀の学生から質問のメールが届いた。
 その質問は、昨日の記事で話題にしたヴァレリーの講演の次の一節に関してであった。

On vous dit quelques fois : Ceci est un fait. Inclinez-vous devant le fait. C’est dire : Croyez. Croyez, car l’homme ici n’est pas intervenu, et ce sont les choses mêmes qui parlent. C’est un fait. »

フランス語の croire (信じる)は、ラテン語の credere に由来し、「~に信を置く」という意味あるのに対して、connaître (知る)は、ラテン語の cognoscere に由来し、「~をそれとして(他のものから区別して)認める」という意味であり、その認識は、何らかの証拠あるいは経験に基づく。
 ヴァレリーが、「『それは事実だ』と人があなたに言うときに言わんとしているのは、『その事実の前に拝跪せよ』、つまり『信じろ』と言っているに等しい」と言うとき、この〈信〉と〈知〉の決定的な違いを前提として言っているのか、というのが第一の質問。これは、まさにその通り。
 第二の質問は、Jean Pouillon (1916‐2002)という民俗学者の Le cru et le su (Seuil, 1993) という本の中の一文 « seul l’incroyant croit que le croyant croit. » を引きつつ(ただ、その学生は、この一文を Philippe Descola に帰している)、「論証されたこと、経験によって事実と確定されたことを人は信じることできるか」という質問。これは信と知の関係、信仰と理性(知性)の関係の核心に触れる鋭い質問だ。実際、両者をいかに和解させるかが、中世キリスト教神学の根本問題の一つであり、アンセルムスの「知解を求める信仰 Fides quaerens intellectum」は、それに対する最初の定式化であった。
 日常生活における、「信じる」と「知る」とは、例えば、「彼の無事を信じている」と言うとき、私たちはまだ彼が無事かどうか知らないが、無事が確認されれば、つまり、無事を知ると、無事を信ずる必要はもはやなくなる、という関係にある。自明の事柄についても、「信じる」は使えない。例えば、「太陽は東から上ると私は信じている」という使い方はしない。
 この信と知の関係が、信仰問題になると、容易ならざる逆説を引き起こす。それが上掲の Pouillon の一文に凝縮されている。上記の信と知の区別に従うと、神の存在を自明のこととして生きている、つまり神を知っている信者は、神の存在を信じているのではない、という帰結が導かれる。非信者だけが、信仰がどういうことか知らないから、「信者は信じている」と信じるほかないのだ。
 信と知・信仰と理性・信と非信という哲学・神学・歴史に関わる根本問題について改めて真剣に考えるきっかけを作ってくれた学生に感謝する。











歴史的事実の絶対化は、歴史の死に他ならない

2019-09-14 19:01:45 | 講義の余白から

 世阿弥の『花鏡』からの一節について、昨日の記事で略述したようなことを授業で話してから、再び二十世紀のフランスに立ち戻った。ポール・ヴァレリーが1932年に高校生を前に行った講演「歴史について」(« Discours de l’histoire prononcé à la distribution solennelle des prix du lycée Janson-de-Sailly »)からの抜粋を読ませつつ、「歴史的事実」とは何かという問題について考えさせた。
 ヴァレリーは、歴史は起こった事実の集積であるという、素朴実在論にも似た歴史主義を批判する。書かれた歴史は、すべて何らかの基準による重要度に基づいて、選択された結果として語られている。実際に生じた無数の事実そのものに意味があるのではなく、その中から語られるために選択された結果として、ある特定の事実が意味を帯びるようになる。最初から決められた意味があるわけでないのだ。だからこそ、いわゆる歴史的事実は無数の解釈を許す。
 私たちが歴史に魅惑されるのはなぜか。それは、ある時ある場所で起こったことが、それはもしかしたらまったく違った展開になっていたかもしれないのに、そうなったから、つまり、現実の展開が因果の法則によっては説明できないからではないのか。歴史上のそれぞれの瞬間について、現実に生じたのとは異なった次の瞬間を私たちは想像してみることができる。
 一切の想像を排除した、実際に生じたことだけからなる「純粋な」歴史には、実のところ、意味はない。にもかかわらず、「これは事実だ」と人が言うとき、それは、「そう信じろ」と強制しているに過ぎない。いかなる人為も介さない「ありのままの」事実の前に拝跪せよ、と命令しているのだ。しかし、それは、批判的理性を行使することをやめろ、歴史的想像力を働かせるな、と言っているに等しい。
 歴史的事実の絶対化は、歴史の死に他ならない。












「離見の見」としての歴史認識 ― 未来の観客の前で現在を舞う役者として生きるために

2019-09-13 23:59:59 | 講義の余白から

 今日の授業では、昨日の記事で引用したマルクス・アウレリウスの書簡とそれについての Vesperini のコメントを紹介した後、十五世紀の日本へと飛んだ。世阿弥の『花鏡』の中の「離見の見」の一節のルネ・シフェールによる仏訳を読ませた。古典芸能としての能そのものを紹介することが目的ではない。歴史を学ぶことの意味を理解させるために、拝借したのである(このような濫用に対して専門家の先生方は眉を顰められることであろうが、どうかご寛恕願いたい)。

また、舞に、目前心後と云ふことあり。「目を前に見て、心を後に置け」となり。これは、以前申しつる舞智風体の用心なり。見所より見る所の風姿は、わが離見なり。しかれば、わが眼の見る所は我見なり。離見の見にはあらず。離見の見にて見る所は、すなわち見所同心の見なり。その時は、わが姿を見得するなり。わが姿を見得すれば、左右前後を見るなり。しかれども、目前左右までをば見れども、後姿をばいまだ知らぬか。後姿を覚えねば、姿の俗なる所をわきまえず。さるほどに、離見の見にて、見所同見となりて、不及目の身所まで見智して、五体相応の幽姿をなすべし。これすなわち、心を後に置くにてあらずや。かへすがへす、離見の見をよく見得して、眼、まなこを見ぬ所を覚えて、左右前後を分明に案見せよ。さだめて花姿玉得の幽舞に至らんこと、目前の証見なるべし。

 歴史を学ぶとは、過去の出来事についての知識を得ることだろうか。歴史を学ぶ者は、過去の出来事を、時を隔てて見る観客のような者だろうか。しかし、私たちもまた歴史の中に生きる者ではないか。私たちを歴史の中の現在という舞台で舞う役者と見立ててみよう。今は観客席に誰もいない。しかし、未来にこの舞台を見てくれる観客がいるかも知れないと想像してみよう。その上で、もう一度上掲の一節を読んでみよう。
 私たちも、歴史の中の現在という舞台で現在を舞う役者として現在をよく生きるためには、自己の姿を見得しなくてはならないだろう。とすれば、私たちもまた「離見の見」を身につけなくてはならないではないか。そのためには、我見を離れ、己を歴史のパースペクティブの中で見ることができなければならない。そのための知的修練(あるいはピエール・アドが言う意味での exercice spirituel)、それが歴史を学ぶということではないだろうか。












古代ローマの一青年の「近くて遠い」眼差しから始まる今年の日本近代史の講義

2019-09-12 20:08:06 | 講義の余白から

 明日が「近代日本の歴史と社会」という講義の今年度第一回目の授業である。毎年、第一回目は、実質的に「哲学」の授業である。「歴史とは何か」「歴史を学ぶことにどんな意味があるのか」という問いを立て、およそ近現代日本とは関係なさそうなテキストを手がかりに、これらの問いに対する答えを学生たちと一緒に考えながら探していく。
 そのために、毎年、第一回目の授業の準備には特別に時間をかける。毎年繰り返し使っているテキストもある一方、必ず新しいテキストも加える。
 明日の授業では、その新しいテキストの一つとして、若きマルクス・アウレリウスが修辞学の老師だったフロントに書き送った書簡の次の一節を引く。

Après être montés en voiture, après t’avoir quitté, nous n’avons pas trop mal voyagé. La pluie nous a un peu mouillés. Mais avant d’arriver à la villa, nous avons fait un détour par Anagni, à mille pas de là. Et nous avons vu cette ville antique : elle est minuscule, mais elle regorge d’antiquités, de lieux sacrés et de rituels à n’en plus finir. Dans tous les coins des sanctuaires, des chapelles, des temples. Il y avait aussi de nombreux livres sacrés en toile de lin contenant les prescriptions rituelles. Et sur la porte de la ville, en sortant, j’ai remarqué cette inscription : « Flamine, prends le samentum. » J’ai demandé à un habitant ce que signifiait ce dernier mot.

 この一節は Pierre Vesperini, Droiture et mélancolie. Sur les écrits de Marc Aurèle, Verdier, 2016 の冒頭に引用されている(この本については、7月23日の記事を参照されたし)。マルクス・アウレリウスは、この一節で、自分が旅の途次に立ち寄った古代都市の遺跡についての感想を述べている。ところが、それを知らずにこの一節を読むと、Vesperini が言っているように、まるで現代の考古学の学生が書いた文章のように読めてしまう。つまり、同時代人としての「古代への眼差し」をそこに重ねてしまいかねない。しかし、実は、この書簡は、千九百年近くも現代から離れた古代に書かれたのだ。そのことを知ると、今までごく身近に感じられていたその眼差しが眩暈を引き起こすほどの超スピードで現代から遠ざかる。と同時に、マルクス・アウレリウスが生きた二世紀に見られた古代はさらに遥か彼方へと私たちの眼差しから遠ざかってしまう。
 歴史を学ぶには、この「近くて遠い」距離感覚が不可欠だ。というよりも、この距離感覚を身につけることが歴史を学ぶことの意義の一つだと言ってもいいのではないだろうか。それは、過去を適切な距離において捉えるという、自己の立場に対する批判的意識を保ちつつ行われなければならない地道な作業を通じて、私たちが置かれた現在の「場所」についてより明確な意識を持つことを可能にしてくれるからである。













世界の終わりの明晰な認識の上に、私たちは新しく強い思想を開くことができるのか ― 見田宗介『現代日本の感覚と思想』(一九九五年)

2019-09-11 23:59:59 | 読游摘録

 竹内整一の著書にしばしば引用される見田宗介のもう一つの著作は『現代日本の感覚と思想』(一九九五年)である。特に以下の一節である。

 前世紀末の思想の極北が見ていたものは〈神の死〉ということだったように、今世紀末の思想の極北が見ているものは、〈人間の死〉ということだ。
 それはさしあたり具象的には、核や環境破壊の問題として現れているが、そうでない様々な仕方でも甘受されていて、若い世代はこのことを日常の中で呼吸している。核や環境破壊の危機を人類がのりこえて生きるときにも、たかだか数億年ののちには、人間はあとかたもなくなっているはずだ。未来へ未来へと意味を求める思想は、終極、虚無におちいるしかない。
 二〇世紀末の状況はこのことを目にみえるかたちで裸出してしまっただけだ。人類の死が存在するということ、わたしたちのような意識をおとずれる〈世界〉に終わりがあるという明晰の上に、あたらしく強い思想を開いてゆかなければならない時代の戸口に、わたしたちはいる。

(「世界を荘厳する思想」)

 心弱く、意志薄弱で、日常の小さなことで右往左往する小さな人間である私には、人類の死と世界の終わりを明晰に認識することそのことがまず戦慄的なまでに恐ろしい。冷静に理性的になど考えられない。できれば、考えたくもない。仮に、なんらの精神疾患にも陥らずに、奇跡的に、明晰に認識することができたとしよう。でも、その上で、「あたらしく強い思想を開いてゆかなければならない時代の戸口に」私たちはいると言われても、それは確かにそうなのかも知れないけれど、そんなこと、本当にできる人がいるのですかと、問い返したくなる。未来なき世界の明晰な認識を保持しつつ、いかなる宗教にも帰依することなく、今ここでの当為を果たし続けることに、いったいどれだけの人が耐えられるのだろうか。