内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「“伝統"はそれぞれの時代において創られるものである」― 義江明子『女帝の古代王権史』より

2021-07-19 15:03:53 | 読游摘録

 昨日の記事で取り上げた『女帝の古代王権史』の「あとがき」で、著者義江明子は、歴史研究者としての中庸を守りつつ現在の女性/女系天皇容認を巡る議論に言及した上で、さらに一歩踏み込んだ発言をしているところを引いておく。

 本書はこうした議論に直接答えようとするものではない、ただ、“伝統"の重要性がいわれながらも、その“伝統"の内容と成り立ちをほとんどの国民が知らないのではないか。これもすでに歴史の常識ではあるが、“伝統"はそれぞれの時代において創られるものである。王権構造は社会の変化に応じて組み替えられ、“伝統"の中身も時代ごとに塗り替えられてきた。本書ではおもに六世紀~八世紀、男帝女帝が並び立っていた時代に焦点を当てて、その社会的背景と変容の過程を明らかにしたものである。
 主権者たる国民の象徴として位置づけられた現行憲法のもと、天皇/皇室のあり方も時代の要請に応じて変わり、新たな“伝統"が国民によって共有されていくのは当然のことである。だとすれば、ことは女帝容認の有無にとどまらないことが見えてこよう。男女の平等はもちろん、婚姻の自由、職業選択の自由といった憲法の基本理念を最大限活かす方向を、国民が皆で考えていくべきではないか。

 知性も品性も徳性もない「非国民」でしかない政治家たちによって愚弄されるだけの国民でありたくないとすれば、そのような亡国的な政治家たちによって自分たちの国を破壊されたくないと願うのならば、歴史に学びつつ、これらの問題を自分で考え、自分の言葉で表現できるような一個人でそれぞれがなければならないだろう。と同時に、次世代のためにそのような自立した個人を育てる教育が小学校から大学まで(少なくとも高校まで)地道に積み重ねられなければならないだろう。