内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

脱線は、必ずしも雑談でも無駄話でもない

2021-07-31 23:59:59 | 講義の余白から

 遠隔集中講義本演習第3日目。今日も15分の休憩を間に挟んで3時間きっちり行う。
 といっても、前半は、昨日学生たちが提出してくれたミニレポートについての私の感想が手短な感想にとどまらず、せっかくの機会だから話しておきたいと、あることを話題にすると、その話題がまた別の話題を呼び起こすということが数回連鎖し、結局一時間半全部をそれらの「脱線」で使い切ってしまった。脱線とはいっても、雑談でも無駄話でもなく、ちょっと格好をつけて言えば、中心的な話題は、高校における哲学教育の社会的機能であり、主にフランスの例を挙げながら、現実のそれぞれの教育現場がかかえる諸問題は措くとして、中等教育における哲学教育の理念を話した。演習に参加している二人の学生はどちらもこの話題に多大の関心を示してくれた。
 後半は、西谷啓治の『宗教とは何か』の「四 空の立場」を読む。西谷の文章は、それまでの章節で取り上げた中心的な問題を語彙的に少しずつ変奏しては繰り返し、その変奏の中に新しいテーゼを織り込み、今度はそのテーゼを中心に議論を展開してゆく。そして、ところどころに人を驚かすような一見奇矯な断定的表現が挿入され、読む者を立ち止まらせる。そんな風に書かれている。予め周到に準備された計画に従って建築物のように章節を組み立てるというスタイルとは対蹠的である。はじめは戸惑うが、一旦そのスタイルに慣れ、かつ根本的なテーゼが掴めてしまえば、実はそれほど複雑な議論が展開されているわけではないことがわかる。しかし、西谷の思索をこちらが自ら体認できるかどうかは別の問題である。
 演習の後、今日もジョギング。1時間40分で15,5キロ走った。脹脛に若干の張りを感じる以外、脚の特定の部位に痛みを感じることはなくなった。シューズに合った無理のない走り方が身についてきたのだと思う。