内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日本に帰れないこの夏、忘れられた〈日本〉を旅する

2021-07-23 05:55:49 | 読游摘録

 昨日の記事で話題にした山本博文『対馬藩江戸家老』の「はじめに」の中に、「対馬は、宮本常一氏の著作に示されるように民俗学調査の宝庫であり、亀卜などの宗教学的に珍しい風習もある」という一文がある。実際、宮本常一は、昭和二十五年七月に八学会連合によって行なわれた対馬調査に参加し、翌年も九学界連合に発展した同連合の対馬現地調査にも参加している。対馬についての著述も多く、名著『忘れられた日本人』(岩波文庫 1984年 初版 1960年)の冒頭の一文は「対馬にて」である。
 この夏も昨夏に続き一時帰国をあきらめた。この年末年始には帰国したいと思っているが、年末年始は帰国期間がせいぜい三週間だから、なかなか旅行に出るチャンスもない。2017年夏は北海道を訪ねた。2018年夏は沖縄と岐阜を訪ねた。今度夏に帰国するときは、また別の土地を訪ねたい。その機会を夢見つつ、この夏は書物を通じて「忘れられた日本」を旅することにした。
 手始めとして、佐野眞一の『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』(文春文庫 2009年 初版単行本 文藝春秋社 1996年)を読み直し始めた。本書は傑作評伝である。
 その第一章「周防大島」の中に、常一が故郷周防大島を離れ大阪に出るとき、父善十郎が十六歳になる前の息子に書き取らせた十カ条のメモの全文が引用されている。この十カ条は宮本の回想的自叙伝『民俗学の旅』に全文紹介されている。小学校も出ていない父親が長い旅の暮らしのなかで身につけたその人生訓は実に味わい深い。少し長いが、全文引く。

①汽車に乗ったら窓から外をよく見よ。田や畑に何が植えられているか、育ちがよいか悪いか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうところをよく見よ。
 駅へ着いたら人の乗りおりに注意せよ。そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また駅の荷置場にどういう荷が置かれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。
②村でも町でも新しく訪ねていったところは必らず高いところへ登って見よ。そして方向を知り、目立つものを見よ。
 峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ。そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必らず行って見ることだ。高い所でよく見ておいたら道にまようことはほとんどない。
③金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。
④時間のゆとりがあったらできるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。
⑤金というものは儲けるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。
⑥私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない。すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし三十をすぎたら親のあることを思い出せ。
⑦ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻って来い。親はいつでも待っている。
⑧これから先は子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。
⑨自分でよいと思ったことはやってみよ。それで失敗したからといって親は責めはしない。
⑩人の見のこしたものを見るようにせよ。そのなかにいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしつかり歩いていくことだ。