内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

九月からの授業の準備をぼちぼち始める(三)― 日本人の宗教意識の近代における変容

2021-07-08 10:06:02 | 講義の余白から

 「近代日本の歴史と社会」の授業では、この三年間、それ以前の通史的概説を一切やめ、「歴史とはなにか」「近代とはなにか」「近代化とはどういうことか」「日本における近代化の特異性はどこにあるか」「社会とはなにか」「個人とはなにか」「主体とはなにか」というテーマ的なアプローチを行ってきた。
 西洋近代における〈歴史〉概念と〈近代〉概念について、フランス近現代の代表的な史家たちの言説のいくつかを紹介、検討することを通年の授業全体の導入とし、日本と西洋との十六世紀半ばのファースト・コンタクトと十九世紀半ばのセカンド・コンタクトとを対比することを問題設定の起点として、江戸時代全体を視野に入れつつ、幕末・維新から太平洋戦争の終わりまでの近代化のプロセスの特異性を、いくつかの論点に絞りつつも多面的に浮かび上がらせることを試みてきた。来年度も同様なテーマ的アプローチを継続するが、取り上げる論点をいくつか入れ替え、また重点の置き方も変えようと思う。
 今年度前期も「廃仏毀釈」を日本の近代化の特異点の一つとして取り上げ、安丸良夫の『神々の明治維新 神仏分離と廃仏毀釈』(岩波新書 1979年)の一部を授業でも読んだが、来年度は、「日本人の宗教意識の近代における変容」というテーマの下、具体的な事例もいくつか挙げつつ、もう少し詳しく廃仏毀釈運動の諸様相を見てみようと思う。そのために授業で使うのに格好の一書が先月刊行された。畑中章宏の『廃仏毀釈 ―寺院・仏像破壊の真実』(ちくま新書)である。まだざっと流し読みしただけだが、丁寧に各地の実例を挙げながら、廃仏毀釈にまつわる誤った短絡的かつ一面的なイメージを払拭し、急速な近代化のなかで生起した民衆の意識の変化に迫っている良書だと思われる。
 上掲の安丸良夫の本にももちろん言及するが、阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書 1996年)、磯前順『近代日本の宗教言説とその系譜』(岩波書店 2003年)、礫川全次『日本人は本当に無宗教なのか』(平凡社新書 2019年)、島薗進『国家神道と日本人』(岩波新書 2010年)、前田英樹『日本人の信仰心』(筑摩選書 2010年)などにも触れることになるだろう。そして、仏像の美の近代における再発見の瑞々しい不朽の記念碑として、和辻哲郎の『古寺巡礼』の初版(1919年 ちくま学芸文庫 2012年)の一節を紹介することにもなるだろう。
 前期を通じて取り上げるに値するテーマであると思うが、授業内容にできるだけ多面性を与えなくてはならないので、三回計六時間を充てるにとどめる。