今朝は起きるのが少し遅かった。朝七時にウォーキングに出かける。ここ数日、痛みがあるわけではないが脚部が少し疲れ気味なので、ジョギングは昨日今日と休むことにした。それでも、昨日土曜日は、街中への買い物の行き帰りに十二キロ歩いた。今日日曜日は、森までの行き帰りは歩き、森の中で少し走った。総歩行・走行距離は二十キロ。三時間余り、休まずに歩き、走った。
どんな変化が体に起こっているのかよくわからないが、先週火曜日から体脂肪率が一段と下がった。12%台に入った。特に体幹の変化が目立つ。二ヶ月前にはあった腹回りの贅肉がほぼすべて削ぎ落とされ、皮下脂肪は7%台まで落ちた。BMIも20,5だから、もう痩せなくてもいいところだが、脚部の皮下脂肪が一桁に落ちるところまで絞りこみたい。
五来重『熊野詣 三山信仰と文化』(講談社学術文庫 2004年 初版単行本 1967年)を少し読む。2010年夏に熊野坐神社(本宮)を友人と二人で訪れた。本宮までまず車で行き、中辺路を滝尻王子址まで徒歩で往復した。那智勝浦は、1984年春にバイク仲間二人とツーリングに行った。いつか本宮から新宮まで歩いてみたい。
熊野は謎の国、神秘の国である。シュヴァルツ・ワルトともいうべき黒い緑の森と、黒い群青の海。その奥にはなにかがかくされている。海と山と温泉の観光地なら、日本中どこにでもある。しかし熊野にはほかのどこにもない何かがある。南紀のあの明るい風光の奥にはこの世とは次元のちがう、暗い神秘がのぞいている。
熊野は山国であるが、山はそれほど高くはないし、森も深くはない。しかしこの山は信仰のある者のほかは、近づくことをこばみつづけてきた。山はこの秘境にはいる資格があるかどうかをためす試練の山であった。ただ死者の霊魂だけが、自由にこの山を越えることができた。人が死ねば、亡者は枕元にたてられた樒の一本花をもって熊野詣をするという。だから熊野詣の途中では、よく死んだ親族や知人に会うといわれた。これも熊野の黒い森を分ける山径が、次元のちがう山路――死出の山路と交叉するからであろう。私も那智から本宮へむかう大雲取越の険路で死出の山路を分けすすんでいるのではないかとう幻覚におそわれた。尾根道であるのにじめじめとうすぐらく、徽くさい径であった。草に埋もれたその径には手の込んだ敷石が延々とつづいていた。その中世のめずらしい舗装道路は、中世人が「死者の国」にあこがれる執念のかたまりのようにおもわれた。
五来重『熊野詣』「はじめに」より