3.大和郡山城址のさくらを愛でる
日本の桜100選にも選ばれている大和郡山城址へ向かった。
1585年(天正13)に豊臣秀長が入部した折、桜を移植し
その後、1724年(享保9)に柳沢吉里[やなぎさわよしさと]が入城して、さらに
桜木を植え「御殿桜」と呼ばれるようになったそうだ。
秀長が100万石に相応しい城郭にしようとしたお城だけあって天守閣は残っていないが、
立派なお城だ。
ここの桜も見事に咲き誇っていた。
御堀に垂れ下がっている1本の桜が特に美しかった。
やぐらをバックにした光景をキャンパスに描いている人たちも居た。
郡山城址で有名になっている「逆さになった状態で石の間に埋もれている地蔵」
を確認しようとしたが、良くわからなかった。
お城の石垣を造る時、無理に集められた為お地蔵さんやお墓の石まで持て来たのでしょうね。
8代将軍吉信の御側人 柳沢吉里の柳沢神社が建てられたいた。
昔のお城の一角には、奈良県立郡山高校の正門、弓道部の生徒が出入りしていた
日本の桜100選にも選ばれている大和郡山城址へ向かった。
1585年(天正13)に豊臣秀長が入部した折、桜を移植し
その後、1724年(享保9)に柳沢吉里[やなぎさわよしさと]が入城して、さらに
桜木を植え「御殿桜」と呼ばれるようになったそうだ。
秀長が100万石に相応しい城郭にしようとしたお城だけあって天守閣は残っていないが、
立派なお城だ。
ここの桜も見事に咲き誇っていた。
御堀に垂れ下がっている1本の桜が特に美しかった。
やぐらをバックにした光景をキャンパスに描いている人たちも居た。
郡山城址で有名になっている「逆さになった状態で石の間に埋もれている地蔵」
を確認しようとしたが、良くわからなかった。
お城の石垣を造る時、無理に集められた為お地蔵さんやお墓の石まで持て来たのでしょうね。
8代将軍吉信の御側人 柳沢吉里の柳沢神社が建てられたいた。
昔のお城の一角には、奈良県立郡山高校の正門、弓道部の生徒が出入りしていた