国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

日本史の学習法など

2020-03-19 14:19:00 | その他・雑文
●他教科の先生が学習法を指導するのは新鮮だろうと以前の進学指導主任が企画されたので、そのころの日本史関係の文章やノートの一部を公開。

日本史の勉強法について

 国語の勉強法については多く語る機会があると思うので、日本史の学習法について語っておきたい。
 まず、日本史は概略をつかむことが重要だ。室町と鎌倉どっちが先だっけ? などと言っていたら、論外なのである。中学生レベルの参考書や小学生用の漫画の日本史などでさっさと把握しよう。
 なお、どうせ息抜きするなら、日本史に関連する漫画を読もう。長岡良子の古代幻想ロマンシリーズを読めば藤原不比等関連は無敵だし、里中満智子の「天上の虹」を読めば持統天皇前後は完全である。例を挙げた両作品は時代が偏っているが、これを読んでいた私は早稲田の難問といわれた系図問題で満点をとれた。漫画のいいところは人間を文字やら記号やらとしてではなく、感情や行動をした奥行きのある人間ととらえられることである。近世・近代あたりなら、みなもと太郎の「風雲児たち」などを活用するといいかもしれない。戦国時代の漫画は多いが、意外と出ないので、注意を。
 次に学校の授業の予習をするのはお勧めである。黒板のように教科書を先にノートにまとめてみるのだ。私はこれによって校内で日本史1位になった。学習は勝ち癖が重要で一度、どんな教科でもよいからを一度でも試験ができると学習方法がわかり、他の科目にも影響を与えるのだ。ちなみにノートに史料の一部分をいれてまとめておくと後で楽だよ。
 次に全てをノート化するのが大変だと思ったら、いろいろな参考書や問題集を探し回る。この際、自分ができないところを見ないで、一番わかっているところを見るのが参考書や問題集探しのコツ。私の場合、ノート化が終わっているところを見た。そこの説明やまとめが一番できている、あるいは、まとめ方が似ている本を選んで買い、その一冊を軸に勉強した。一番わかっているところを読まないと説明がうまい参考書かはわからないはずだ。
 また、同じ内容の授業を二回聞く機会があったら、それを聞くのもいい。私は英語ができなかったので、英語の学習時間を増やしたために、一学期しかやらなかったが、日本史の復習学習を異なる授業を受講することでやっていた。高校の授業と、予備校やら参考書の授業っぽいやつ(「石川の日本史講義の実況中継」とかさ)やら動画(YouTubeなどにもいくつか日本史の授業がある)やらを活用すればできるのではなかろうか。
 さらに本を裂きまくるということもよくやった。背が糊付けされている参考書は簡単に手で裂いてわけることができる。そうすると、一問一答の問題集や参考書などを時代ごとに分けることもできる。そうすると持ち運びも楽だし、まずはここだけでも完全にしようと思える。何せ薄いからね。なお、一問一答は答えから問題を予想するというやり方もいいぞ。
 あとは、書けない漢字はとにかく書いた。中身の見えるボールペンを使い、失敗したコピー用紙の裏やチラシの裏に書きまくった。ボールペンが空になるたびに勉強の実感もわくので、とてもよい。これは他の教科でも応用がきく。
 日本史は流れを把握し、関連させたら暗記。いきなり暗記はきつい科目だ。
日本史の偏差値は意外と高くなる。最初は偏差値45だったおいらが75を超えたこともある。ちなみに早稲田が偏差値72くらいのレベルの模試である。
 勉強が苦手な生徒さん、まずは、日本史を得意科目にしてみたらどうよ。


ノートのまとめの例(教科書の内容や用語が昔と今では違うかもしれないから今の教科書でチェックしてね)。
わたしがどんなまとめノートを作っていたかを参考までに公開。こういうことをやっていると家庭教師をやるときも役に立つよ。

●古代編


国家の成立
漢書地理志 倭人 楽浪郡に使者 百余国  小国分立
AD57 漢委奴国王(光武帝から金印 天明、志賀島で発見)(後漢書東夷伝)
107 倭国王帥升等 生口160人 (後漢書東夷伝)
239 卑弥呼(邪馬台国、親魏倭王、鬼道)魏志倭人伝 地域的統合  
※朝貢は先進文化の吸収と権威の獲得のため
391 倭国出兵 (高句麗好太王碑文、百残=百済)
421 倭の讃、宋に遣使。
429 倭王武上表文(宋書)(毛人=蝦夷、衆夷=熊襲)
※ 五王(讃、珍、済、興、武=雄略=安東大将軍)宋に朝貢


プレ大化の改新
593 推古天皇の摂政に厩戸王(皇子)がなる。蘇我馬子。
603 冠位十二階
604 憲法十七条「和を以て貴しとなし、」「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏法僧なり」
607 小野妹子、遣隋使。「大業三年・日出づる処の天子」『隋書倭国伝』

大化の改新
645 乙巳の変(蘇我蝦夷、入鹿×)
(孝徳天皇、中大兄皇子、中臣鎌足内臣、高向玄理・僧旻、難波長柄豊碕宮)
646 改新の詔(公地公民・部曲×、地方行政区の整理(評こおり)軍制、戸籍・班田収授法、庸調などの税制など目標)+渟足(ぬたり)柵・磐舟柵(東北地方日本海側)
663 百済の滅亡後、再興のため「白村江の戦」斉明天皇(皇極天皇の重祚)、唐・新羅連合軍に大敗。防衛政策(水城、近江大津宮、中大兄皇子は天智天皇に。最初の戸籍=庚午年籍=公地公民の実現へ。近江令?)
672 壬申の乱(大友皇子× 天武天皇=大海人皇子、飛鳥浄御原宮、八色の姓(天皇中心)。飛鳥浄御原令、国史編纂・藤原京(中国の都城制を見本)、富本銭(以上未完成の制度で持統天皇が実現)
701 大宝律令(律=刑法、令=税制、行政関係)。藤原不比等、刑部親王(文武天皇)
 中央=二官八省一台五衛府
 神祇官+太政官+中務・式部・治部・民部(左弁官)+兵部・刑部・大蔵・宮内(右弁官)  太政官=太政大臣+左大臣+右大臣+大納言+少納言+左弁官+右弁官
弾正台+衛門府+左右衛士府+左右兵衛府

参考 明治の初期
三職(総裁+議定+参与)


●近代の外交を中心に

江戸の条約
1853 ペリー来航(老中首座阿部正弘が対応。朝廷、大名に相談→朝廷アップ)
1854 ペリー再来航 日米和親条約=神奈川条約(日英、日露 55日蘭)
   片務的最恵国待遇「亜墨利加人へも同様程差許し申すべく~」伊豆下田、箱館
ハリス着任(アヘン戦争 清敗北。 朝廷 攘夷。)
1858 大老井伊直弼 日米修好通商条約 無勅許 
  ・長崎、新潟、神奈川、兵庫の開港
  ・領事裁判権=治外法権(日本人に対し、法を犯せる亜墨利加人は亜墨利加コンシュル裁判所にて吟味の上、亜墨利加の法度をもって罰すべし)
  ・関税自主権の喪失(協定税率)
   「安静の五カ国条約(日英、日露、日蘭、日仏)」
(1859)自由貿易開始→横浜  出超=国内物価上昇 生糸・茶などを輸出 毛織物・綿織物(イギリス 機械利用で安価。国内産業打撃。アメリカは南北戦争中)を輸入 製糸業は輸出のためにマニュファクチュアが発達する。
対策 (1860)五品江戸廻送令(雑穀、水油、蝋、呉服、生糸は江戸の問屋を経ること。物価を安定させるため)→国内商人の反対、自由貿易に反するので失敗)
   万延貨幣改鋳(金銀の交換比率 外国 1:15 日本 1:5(天下の台所の大坂が銀本位)外国の銀貨で日本の金貨をとる。金海外へ。止めるため金貨の品質を下げる。物価上昇。尊王攘夷の流れ加速。

明治の初期外交
・条約改正の眼目  最恵国待遇、治外法権(領事裁判権)、関税自主権の喪失(協定税率)
 イ テ イ オ ア ム コ
イ…岩倉具視
テ…寺島宗則
イ…井上馨
オ…大隈重信
ア…青木周蔵
ム…陸奥宗光
コ…小村寿太郎
・アジアへの進出
1871 岩倉具視全権大使遣外使節(欧米との予備交渉失敗)(日米修好通商条約「千八百七十二年七月四日に当る双方政府の存意を以て」に対応した動き。国内を重視することに。帰国後、征韓論を唱える留守政府と対立が生じ、明治六年の政変が起こります。→下野した板垣退助らは自由民権運動を、江藤新平や西郷隆盛らは士族反乱へ。
日清修好条規(対等条約)
1874 台湾出兵(征台の役)
1875 江華島事件(朝鮮側が日本の軍艦に砲撃)、樺太・千島交換条約
1876 日朝修好条規(日本有利な不平等条約)
朝鮮国ハ自主ノ邦ニシテ、日本国トハ平等ノ権~(清の宗主権を否定)
日本国官員ノ審断ニ帰スベシ
1878 寺島宗則(外務卿)関税自主権の回復(アメリカ賛成したが、他国の反対で挫折)
※ 税権重視は寺島だけ。他は法権重視。
1879 琉球処分
1887 井上馨(鹿鳴館時代、欧化政策税率引き上げ(5%を11%)、外国人判事採用)前年ノルトマン号事件、日本人救出されず。船長無罪(領事裁判の不平等性)
ボアソナード意見書(反対)、三大事件建白運動(地租軽減、言論集会の自由、外交失策の回復=対等条約の締結)
1889 大隈重信外相、外国人判事を大審院に採用→反発、玄洋社に爆弾を。
1891青木周蔵外相(第一次松方)イギリスは対ロシアで軟化。大津事件(ロシア皇太子巡査津田三蔵に襲われる。)
1894 陸奥宗光「日英通商航海条約(治外法権撤廃、最恵国待遇双務)」
1911 小村寿太郎「日米通商航海条約」税権回復
   

国際協調外交(大正~昭和)と大陸進出
1914~1918 第一次世界大戦 (第二次)大隈内閣、外相 加藤高明)

大正時代の政治・外交・社会 

1 第2次大隈重信内閣(与党は立憲同志会)
<第一次世界大戦と対華二十一箇条要求>
参戦理由「日英同盟の情宜(情宜とはよしみ)と国際的地位の向上」
1915 「対華二十一箇条要求」 袁世凱 5.9国恥記念日
 対華二十一箇条要求
「第一号 支那国政府ハ、独逸国カ山東省ニ関シ条約・・・ニ付、日本国政府カ独逸国政府ト協定スヘキ・・・」
※ 山東省のドイツ権益の移譲
「第二号 第一条 両締約国ハ、旅順大連租借期限ナラビニ南満州及ビ安奉両鉄道各期限ヲ、何レモ更ニ九十九カ年ズツ延長スベキコトヲ約ス」
「第三号 両締約国ハ・・・漢冶萍公司ヲ両国ノ合弁ト・・・」
※ 旅順大連・・・山東半島ではなく遼東半島
※ 立憲同志会
   大正政変で桂太郎がつくった政党。国民に人気の高い大隈を首相にして総選挙で政友会に勝つ。2師団増設要求通過。

2 寺内正毅内閣
 対華21か条要求に対してアメリカは日本に抗議。中国での特殊権益をめぐって(認めつつ、門戸開放、機会均等の確認)アメリカと石井・ランシング協定(1917)が結ばれる。 一方、内閣は袁世凱の後を継いだ段祺瑞に対して西原借款を行うが、完全な失敗に終わる。
 シベリア出兵(→米不足米価高騰)→米騒動(1918)。軍隊も出て総辞職。平民宰相原敬内閣へ。

3 原敬内閣
 原敬(立憲政友会)、最初の本格的政党内閣。原敬内閣の内政面は2つ。
① 大学令(1918)私立も大学として認可された。それ以前は、同志社や慶応も専門学校扱いです。(早稲田=東京専門学校)
② 普通選挙には冷淡(と言うより反対)(直接国税を3円に引き下げたのみ)
 外交第一次世界大戦の講和会議として、パリ講和会議→ヴェルサイユ条約(人はいくいくヴェルサイユ→1919年)全権=西園寺公望。内容は「山東省の・・・」と「赤道以北の・・・」ともにドイツ権益を分捕った。このような流れに対する反日闘争が、「朝鮮=三.一運動(万歳事件)」「中国=五.四運動」。
 背景 アメリカ大統領ウィルソン「民族自決」。国際連盟(日本は常任理事国)米・ソは不参加。ヴェルサイユ体制。
 シベリア出兵をめぐる「ニコライエフスク事件(尼港事件)」は盲点、右寄り。
 原敬は、大戦景気にのって「鉄道の拡充や高等学校の増設」などの積極政策をかかげて支持を広げ、新しく導入された小選挙区制のもと総選挙に圧勝したが、政党政治の腐敗に憤る青年に東京駅で暗殺された。暗殺者中岡良一は未成年だったので、教科書ら消えた。
 
4 高橋是清内閣
 原敬暗殺後、全閣僚留任という形で高橋是清が組閣する。後に、「二.二六事件で暗殺される人物」であり、「高橋財政」で有名な人だが、リーダーシップに欠けてこの内閣は短命に終わり、内政的には受験で出るものはない。しかし、外交面は要注意である。
 ワシントン会議で「四カ国条約」「九カ国条約」「海軍軍縮条約」の3つの条約が結ばれた。
 ワシントン会議を提唱したのはアメリカ大統領ハーディングだが、アメリカの教科書には出ず、日本の歴史の教科書に登場するという変わり者である。(なぜなら「アメリカ史上最も無能な大統領」と言われているから。)日本の全権は加藤友三郎が分かれば取りあえず良い。
 「四カ国条約→日英同盟」「九カ国条約→石井・ランシング協定と対華二十一箇条要求の一部」が廃棄された。これは最重要!

先に「二十一箇条の要求」を「対華二十一箇条要求」と覚える。「四カ国=4文字(日英同盟)」「九カ国=9文字(石井・ランシング協定で「対華二十一箇条要求」)の廃棄だから。

 海軍軍縮条約は後の「ロンドン海軍軍縮条約」と区別するためにワシントン海軍軍縮条約と覚えた方がいい。この条約で主力艦の保有比率が「ベエ、ニブイ(米英日仏伊)=5:5:3:1.67:1.67」に決定された。このようなアジア・太平洋の国際秩序はワシントン体制と呼ばれ、国際協調外交を、推進した外務大臣(幣原喜重郎)の名をとって幣原外交という。

5 加藤友三郎内閣
 高橋内閣が短命に終わった後、ワシントン条約の全権であった海軍の加藤友三郎が、政友会を与党として組閣。普通選挙の導入を検討するが急死。第2次山本権兵衛内閣の組閣中に、関東大震災(1923.9.1)がおこる。
 関東大震災中の社会の「亀戸事件」「甘粕事件→大杉栄・伊藤野枝」。在日中国人・朝鮮人が虐殺されたことは知っておかなければならない。受験のレベルで言うと、第二次世界大戦時に朝鮮人を強制連行する以前から、日本に朝鮮の人は渡って来ていたのである。これは日本が朝鮮を植民地にする過程の中で、土地を取り上げられた人々が渡って来たことなどによる。

6 第2次山本権兵衛内閣
 普通選挙導入の準備を進めたが、第2次山本権兵衛内閣は虎の門事件(皇太子暗殺未遂事件)で退陣。「第1次山本内閣→シーメンス事件で退陣」と間違わないように。

7 清浦奎吾内閣
 最重要の一つ「清浦奎吾内閣→第二次護憲運動→護憲三派の連立内閣(第一次加藤高明内閣)」がおこる。

 入試の絶対的ポイントは
(1)「第一次護憲運動(1913)=第2次西園寺公望内閣→第3次桂太郎内閣の時で、立憲政友会(尾崎行雄)・立憲国民党(犬養毅)→第1次山本権兵衛内閣」
(2)「第二次護憲運動(1924)=第2次山本権兵衛内閣→清浦奎吾内閣の時で、護憲三派=立憲政友会(高橋是清)・憲政会(加藤高明)・革新倶楽部(犬養毅)→第1次加藤高明内閣」
である。必ず正確に覚えること。両方に共通しているのは、立憲政友会と犬養毅。なぜか山本権兵衛も絡んでくる。



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