《手造の旅》あなたの知らないロンドン、パリ、+シャルトル 三日目。
午前中、ロンドンの一般的な観光を希望する方には現地の乗合観光バスに乗っていただき、昼12時半にピカデリーの近くで全員集合。小松は地下鉄でピカデリーへ。改札を出たところで野良猫ちゃんのための寄付を集めている人
全員そろって地下鉄に乗り、パディントン駅へ向かう。全員といっても十五人だから出来る事。スーツケースは先にプリマス港まで別輸送だから手荷物だけ
パディントン駅を降り、三日間お世話になったオイスターカードを清算(二日前の日記参照)、時間までに見つけたい人がいる。あ、いたいた(^^)↓

ここで見つけられたので「パディントン」と名前を付けられたくまちゃんは、ペルーから送られてきたとされている。絵本の第一巻目は1958年発行。エスカレーターの上にお土産屋さんもあります。
回転寿司「YO!SUSHI」がここにもある。ネタがどうこう言う前に従業員さん、そんなことしてていいの?
出発十五分前になってやっと番線が表示され、人々がいっせいに車両をめざす。今日は一等車です
日本と同じように乗車券と指定券
座席は広いけれど、ほぼ全部向い合せになっている
★座席番号というのが日本とは全然違う付け方なのがおもしろい。1番のFとB、2番のFとB、3番のFとB…これってどういう意味?
向かい合う二席がひとつの番号になっていて、Fはフォーワード(進行方向)Bはバックワード(後ろ向き)をあらわしていたのである。
ロンドンからどんどん西へ。雨模様だった空はいつしか青空になり、イギリスらしい緑の丘がひろがっている
同じ席に座り合わせたお父さんと子供たち二人。話の様子からこの地方の人らしいので、エクセターやプリマスの情報をおしえてもらった
エクセターのセント・デイビッド駅到着
はじめて行く街の印象はお天気でずいぶん変わるもの。青空でほんとうによかった(^^)
駅でガイドさんに迎えていただき、ロンドンで我々のスーツケースを積んで先に出発していたバスにのる。十分ほどでエクセターの旧市街に至る。
この町の起源はローマあるいはそれ以前に遡る。★大聖堂のある場所も以前は別の神殿があったとされている
この正面の部分は14世紀半ばのゴシック様式。
エクスター大聖堂で、現在見える一番古い部分は、二つの四角い塔だ。
ウィリアム征服王の甥William Warelwastがエクセター司教だった時に建設されたノルマン様式聖堂の残りである。12世紀のもの、つまり正面よりも一世紀半以上古い時代になる。様式の違いはあきらか。
内部に入って目を奪うのは、その天井のヴォールト!
中世につくられた一続きのヴォールトとしては世界一長い96mを誇る。
交差点に見える「BOSS」と呼ばれる要石は400以上あり、それぞれ違う絵柄が描かれている。
天文時計の下に、ノルマン様式の塔へ上る木製の扉
このとびらの下部にあけられた穴はネズミを捕る猫の為のものだそうだ。仕掛け時計の機械油につられてネズミがよくのぼってきていたのと説明してくれた。
合唱隊席は古い木製の椅子になっている
立っていても少しお尻を置くことが出来るので「ミゼリコルディア(慈悲)」と呼ばれる部分には、いろいろな彫刻が彫られている。そのうち一番古い13世紀のものは象を描いていた
なんか、足が変ですが、見たことない動物でしたでしょうからね。
大聖堂は今も地元の人が支えている。大聖堂スチュワード(執事)というのがいつでもおられます。イギリスでいつも思うのはそれぞれの土地を誇り高く説明してくれるお年寄りの存在。そういったコミュニティが奉納した、大聖堂の歴史を織り込んだ長い長いタピスリー
古い旗が掲げてあったので、急いで写真にとっておいて、後でしらべてみたのだが
なんと、これは南極探検に行ったあのスコットの母が奉納したものだった。一回目の南極探検の時に使っていたものだそうだ。
スコットはこのデヴォン州の出身だったのである。
大聖堂のまわりは広い芝生になっている。中世にも大きな広場になっており、かつては七つの門があったのだそうだ。遠来の商人の取引場所となっていた。その城壁は一部はローマ時代からのものである。
周辺の建物も古くは16世紀ごろのものが残っている
この路地の途中に看板が見える「SHIP INN」は、かのフランシス・ドレイクが「二番目に好きな船だ」と言ったとか
パーリアメント(国会)通りという、ギネスブックにも登録された世界一狭い通り
国会への道は狭い?
***
もっとゆっくりしたい街だったけれど、60キロ西のプリマス港へ急ごう。
ここはスペイン艦隊と戦った17世紀から重要な軍港になっていた。入り江の入り口には昔の砦がみられる
アメリカへ移住した、あの「ピルグリム・ファーザーズ」の時代にはオランダと戦う為の要塞がどんどん建設されていた。
ピルグリム・ファーザーズは、この建物に宿泊していたとされる
乗員名簿が壁に刻まれている
近くには、彼らが乗り込んだという石の階段があり、そこに聖地よろしく石のアーチが造られていた。「1620メイフラワー」の文字が足元にみえるだろうか。

しかし、よく見るとこの場所はヨットハーバーの一角で、1620年にはどう考えても無かっただろう
ガイドさんに訊ねると、「たぶん当時の海岸はあの店のあたりでしょうね」と、20メートルほど離れた古い二階建てのパブを指さしたのだった
ま、何にもないのでは、遠くからやってきたアメリカ人たちが承知しないのでしょう(笑)
プリマスの歴史地区はバービカンと呼ばれる、この本の小さな場所しか残っていない。第二次大戦中に壊されてしまった町並みは、再建されるときにコンクリートの味気ないものに変えられてしまったのである。
ふたたびバスにのり、フェリー乗り場へ向かう。飛行機のない時代、アメリカとの主要出入口だったこの港の前には19世紀のホテルがいくつか残っている。
この建物には物見やぐらがあるのが分かるだろうか。入港する船をいち早く見つけて、宿泊客に準備を促すためだった
船の停泊しているところは入るところに目立たないが星のプレートがたくさん置かれている
これは、ここからアメリカへの船に乗った有名人の名前だ。「デューク・エリントン」だけ読めました。
フェリーターミナル
手続きをして再び地上に降り、ごろごろとスーツケースをひきずっていく。船へはいるところに無慈悲な階段が…
部屋へはこのカード式のカギで入る
やっぱり窓のある部屋でないとね。出航は20:45ちょうど日暮れ頃だから、それまでに何か食べておこう
イギリスを離れる前にフィシュ・アンド・チップス食べたいですか?
出航してしばらく、甲板から遠くにイングランドの灯がとおざかっていく
明日の朝はフランス、ブルターニュだ
午前中、ロンドンの一般的な観光を希望する方には現地の乗合観光バスに乗っていただき、昼12時半にピカデリーの近くで全員集合。小松は地下鉄でピカデリーへ。改札を出たところで野良猫ちゃんのための寄付を集めている人

全員そろって地下鉄に乗り、パディントン駅へ向かう。全員といっても十五人だから出来る事。スーツケースは先にプリマス港まで別輸送だから手荷物だけ


ここで見つけられたので「パディントン」と名前を付けられたくまちゃんは、ペルーから送られてきたとされている。絵本の第一巻目は1958年発行。エスカレーターの上にお土産屋さんもあります。
回転寿司「YO!SUSHI」がここにもある。ネタがどうこう言う前に従業員さん、そんなことしてていいの?

出発十五分前になってやっと番線が表示され、人々がいっせいに車両をめざす。今日は一等車です



向かい合う二席がひとつの番号になっていて、Fはフォーワード(進行方向)Bはバックワード(後ろ向き)をあらわしていたのである。
ロンドンからどんどん西へ。雨模様だった空はいつしか青空になり、イギリスらしい緑の丘がひろがっている


エクセターのセント・デイビッド駅到着

駅でガイドさんに迎えていただき、ロンドンで我々のスーツケースを積んで先に出発していたバスにのる。十分ほどでエクセターの旧市街に至る。
この町の起源はローマあるいはそれ以前に遡る。★大聖堂のある場所も以前は別の神殿があったとされている

エクスター大聖堂で、現在見える一番古い部分は、二つの四角い塔だ。

内部に入って目を奪うのは、その天井のヴォールト!

中世につくられた一続きのヴォールトとしては世界一長い96mを誇る。
交差点に見える「BOSS」と呼ばれる要石は400以上あり、それぞれ違う絵柄が描かれている。

天文時計の下に、ノルマン様式の塔へ上る木製の扉

合唱隊席は古い木製の椅子になっている


大聖堂は今も地元の人が支えている。大聖堂スチュワード(執事)というのがいつでもおられます。イギリスでいつも思うのはそれぞれの土地を誇り高く説明してくれるお年寄りの存在。そういったコミュニティが奉納した、大聖堂の歴史を織り込んだ長い長いタピスリー

古い旗が掲げてあったので、急いで写真にとっておいて、後でしらべてみたのだが

スコットはこのデヴォン州の出身だったのである。
大聖堂のまわりは広い芝生になっている。中世にも大きな広場になっており、かつては七つの門があったのだそうだ。遠来の商人の取引場所となっていた。その城壁は一部はローマ時代からのものである。
周辺の建物も古くは16世紀ごろのものが残っている

この路地の途中に看板が見える「SHIP INN」は、かのフランシス・ドレイクが「二番目に好きな船だ」と言ったとか

パーリアメント(国会)通りという、ギネスブックにも登録された世界一狭い通り


***
もっとゆっくりしたい街だったけれど、60キロ西のプリマス港へ急ごう。
ここはスペイン艦隊と戦った17世紀から重要な軍港になっていた。入り江の入り口には昔の砦がみられる

アメリカへ移住した、あの「ピルグリム・ファーザーズ」の時代にはオランダと戦う為の要塞がどんどん建設されていた。
ピルグリム・ファーザーズは、この建物に宿泊していたとされる


近くには、彼らが乗り込んだという石の階段があり、そこに聖地よろしく石のアーチが造られていた。「1620メイフラワー」の文字が足元にみえるだろうか。

しかし、よく見るとこの場所はヨットハーバーの一角で、1620年にはどう考えても無かっただろう


ま、何にもないのでは、遠くからやってきたアメリカ人たちが承知しないのでしょう(笑)
プリマスの歴史地区はバービカンと呼ばれる、この本の小さな場所しか残っていない。第二次大戦中に壊されてしまった町並みは、再建されるときにコンクリートの味気ないものに変えられてしまったのである。
ふたたびバスにのり、フェリー乗り場へ向かう。飛行機のない時代、アメリカとの主要出入口だったこの港の前には19世紀のホテルがいくつか残っている。
この建物には物見やぐらがあるのが分かるだろうか。入港する船をいち早く見つけて、宿泊客に準備を促すためだった

船の停泊しているところは入るところに目立たないが星のプレートがたくさん置かれている

フェリーターミナル


部屋へはこのカード式のカギで入る


出航してしばらく、甲板から遠くにイングランドの灯がとおざかっていく

明日の朝はフランス、ブルターニュだ
