《手造の旅》あなたの知らないロンドン、パリ、+シャルトル 四日目。
昨夜イギリスのプリマス港を出た船は、晴天の朝ロスコフ(ブルターニュ地方)へ入港した。
下船の時も乗船と同じ階段があるのかと心配したが、それよりも桟橋が壊れていてなかなか下船できなかった(笑)。結局エレベーターで一番下の階まで降りて車と一緒に下船。
スーツケースを持ってです。
ターミナルまでのバスに乗り込み
のんびりした入国審査をうける
下船に思わぬじかんをくってしまった。
ロスコフは古い小さな港町だと思っていたが、一時間では足りないぐらい魅力があった。
これは街のモットー
歩いていく道すがら、すべてが絵になる。
遠くに教会の塔が見えてきた
ルネサンス式の塔は16世紀のノートルダム教会
来るときに見つけたパン屋さんで朝食をたべることにする
ブルターニュ語でKOUIGN-AMANNと書かれていたペイストリー
KOUIGNはケーキの意、AMANNはバターだそうです。おいしかった(^^)
**
二時間半走って、世界遺産都市サン・マロへ到着。
旧市街は、ルイ14世時代の築城の名手ヴォーヴァンが築いた城壁がぐるりと街を取り囲む島。
その堅い守りよって20世紀まで陥落したことはなかったが、ノルマンディー上陸作戦後ドイツ軍がたてこもってしまうという事態をまねく。
だが、中世ではない。
なかなか壊れない城壁を飛び越え、性能の良い大砲によって、街の中はほぼ完全に破壊されたのだった。
今の街は慎重に昔を復元したものだが、それは当時の市長が「お金がかかってもそうしたい」と強く望んで実行したからだそうだ。誰かの強い意志がなければ出来ない事なのです。
堅い守りの街を攻略しようと、18世紀のイギリス軍が爆薬を満載した無人の船を向かわせたことがあった。しかし、干満の差がはげしいこのノルマンディの海岸で城壁にたどり着く前の浅瀬で座礁し、爆風で吹き飛んだのは城壁を歩いていた猫一匹だった。
この通りの名前が「踊る猫通り」となっているのはその話に由来する
潮が引くと歩いて行ける外の砦
もうひとつの島には詩人として有名になったシャトーブリアンが立ったまま海を向いて葬られているそうな
私掠船の船長として大金持ちになったシュールクーフの像。主な敵は英国であったので、そちらを指さしている。第二次大戦にここを占領したドイツ軍はブロンズ像をほとんど溶かしてしまったが、この像だけはイギリスを敵にしていた人物ゆえ、そのままにされたそうである。
街にはブルターニュとサンマロのシンボル「シロテン」が埋め込まれた観光モデルルートが設置されている。世界遺産になってからどっと人が増えたそうである。
***
おなじみ、モン・サン・ミッシェルへ到着。今日はここ近くへ泊り。
夕食にてカルバドスを一本とって飲んでみる。「ペリエとカルバドスで、カクテル『モン・サン・ミッシェル』になる」と言われて一瞬信じてしまいました(笑)
昨夜イギリスのプリマス港を出た船は、晴天の朝ロスコフ(ブルターニュ地方)へ入港した。
下船の時も乗船と同じ階段があるのかと心配したが、それよりも桟橋が壊れていてなかなか下船できなかった(笑)。結局エレベーターで一番下の階まで降りて車と一緒に下船。
スーツケースを持ってです。
ターミナルまでのバスに乗り込み
のんびりした入国審査をうける
下船に思わぬじかんをくってしまった。
ロスコフは古い小さな港町だと思っていたが、一時間では足りないぐらい魅力があった。
これは街のモットー
歩いていく道すがら、すべてが絵になる。
遠くに教会の塔が見えてきた
ルネサンス式の塔は16世紀のノートルダム教会
来るときに見つけたパン屋さんで朝食をたべることにする
ブルターニュ語でKOUIGN-AMANNと書かれていたペイストリー
KOUIGNはケーキの意、AMANNはバターだそうです。おいしかった(^^)
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二時間半走って、世界遺産都市サン・マロへ到着。
旧市街は、ルイ14世時代の築城の名手ヴォーヴァンが築いた城壁がぐるりと街を取り囲む島。
その堅い守りよって20世紀まで陥落したことはなかったが、ノルマンディー上陸作戦後ドイツ軍がたてこもってしまうという事態をまねく。
だが、中世ではない。
なかなか壊れない城壁を飛び越え、性能の良い大砲によって、街の中はほぼ完全に破壊されたのだった。
今の街は慎重に昔を復元したものだが、それは当時の市長が「お金がかかってもそうしたい」と強く望んで実行したからだそうだ。誰かの強い意志がなければ出来ない事なのです。
堅い守りの街を攻略しようと、18世紀のイギリス軍が爆薬を満載した無人の船を向かわせたことがあった。しかし、干満の差がはげしいこのノルマンディの海岸で城壁にたどり着く前の浅瀬で座礁し、爆風で吹き飛んだのは城壁を歩いていた猫一匹だった。
この通りの名前が「踊る猫通り」となっているのはその話に由来する
潮が引くと歩いて行ける外の砦
もうひとつの島には詩人として有名になったシャトーブリアンが立ったまま海を向いて葬られているそうな
私掠船の船長として大金持ちになったシュールクーフの像。主な敵は英国であったので、そちらを指さしている。第二次大戦にここを占領したドイツ軍はブロンズ像をほとんど溶かしてしまったが、この像だけはイギリスを敵にしていた人物ゆえ、そのままにされたそうである。
街にはブルターニュとサンマロのシンボル「シロテン」が埋め込まれた観光モデルルートが設置されている。世界遺産になってからどっと人が増えたそうである。
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おなじみ、モン・サン・ミッシェルへ到着。今日はここ近くへ泊り。
夕食にてカルバドスを一本とって飲んでみる。「ペリエとカルバドスで、カクテル『モン・サン・ミッシェル』になる」と言われて一瞬信じてしまいました(笑)