エッフェルの弟子テオフィリス・セイリクがパリのエッフェル塔とほぼ同時期に建設したドン・ルイス一世橋↑たしかにそっくりの構造をもっている(^.^)↑ドゥエロ川の両岸が国名の由来となったポルト地区とカレ地区。
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クリア・パレスを出て二時間ほどでポルトの街へ到着。まずは大聖堂でガイドさんと待ち合わせ1387年。この教会で、「エンリケ航海王子」の両親であるポルトガル王ジョアン一世とフィリパ・ドゥ・ランカスター(イギリスより)の結婚式が行われた。ドゥエロ川を見下ろすこの高台には、かつてローマ時代の神殿があったと考えられているポルトをイスラム教徒から解放したヴィマラ・ペレスの像が建てられている。彼はアストゥリアス王アルフォンソ三世の臣下だった人。この頃はまだポルトガルという国は成立してない。当時のポルト市街を囲っていた城壁の名残
大聖堂前のテラスで対岸にゴンドラが行き来しているのを見つけて「のってみいなぁ」と言う方があった。よし、じゃ、乗りに行きましょ。ちょうどこれから行くポルトワインの工場にも近いし(^^)。 橋を渡っていると、下に蚤の市テレグラフィコと呼ばれている一回五ユーロは安くないでも、景色は乗ってみるだけの価値がある対岸・ポルト側の丘の上に、クレリゴスの塔と旧市街が美しい。
こんな角度じゃ、なかなか見られませんよ。
ドゥエロ河畔に降りてくると、そこにはポルトワインの工場がたくさん並んでいる。中でも有名なSANDMANを見学イギリス人のサンドマン氏が設立した会社。ガイドさんは定番のこのスタイルで登場するマントはポルトガル(コインブラ大学の学生のスタイル)をあらわし、幅広帽子はスペインをあらわす。サンドマンはスペインのへレスでシェリー酒も製造していた。
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反対側の河畔にエンリケ航海王子の像がある彼はこのポルトでポルトガル王とイギリスから来た母フィリッパ・ド・ランカスターの間に生まれた第五子(諸説あり)。
近くのフランチェスコ教会を見学。写真左の建物が教会。右側に後世にぴったりくっつけて建築された証券取引所がある
ここは新大陸からの黄金をつかって飾り立てられたバロック装飾のひとつの究極だろう。今は厳しく写真撮影禁止を守らせているが、だいぶん以前に撮影自由だった頃のものを載せます。
昼食は、パッケージツアーで長く使っているChez Lapinにて蛸のフリットと小豆のリゾット?日本人の口に合うと思う。
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午後早くに旧市街中心部にあるホテルへチェックイン。
身軽になって再びポルトの街をウォーキングへ。この町は起伏があるのを気にしなければ歩くのが楽しい。坂を下りて、サン・ベント駅ここはアズレージョ装飾が美しいので有名
この場面はエンリケ航海王子が1415年にセウタ(今のモロッコの海岸部)を攻略した図。
少し歩いて、大聖堂横からドゥエロ河畔に降り、一時間のクルーズをしてみる天気が良いのでデッキに集まる地元の学校からの団体。
我々も風が気持ち良いデッキの席へ。
18時からの、今日の最後のクルーズ船に間に合ってよかった。
河畔から上の街へ戻るのに、バスから見かけたケーブルカーを利用してみた。これがチケット美しいドン・ルイス橋と城壁のコントラスト。向こうはカレ地区
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少し陽が傾いてきた
お昼けっこう食べたので、夜は軽くマジェスティック・カフェへ。ここ特製のカクテル、サングリアはいわゆるシャンペンベースになっている甘いけれど美味しいフレンチトーストホテルへの帰り道、同じ場所からのクレリゴスの塔。※この塔についての話はこちらからお読みください。