パルメラのポサーダでの朝食で出たトマトのジャム意外に?美味しかった。カステラの原型であるパン・デ・ロー
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バスでものの15分でタイル工房があるキンタ・ド・アンジョへ到着。ここは運転手さんも子供のころ学校で絵付け体験に来たという。はじめに陶器とタイルの制作について説明してもらいタイル絵付けの部屋へ長テーブルひとつでちょうど15人が座れた。焼く前の作品がこちら出来上がりは一週間後のお楽しみ。リスボンのホテルへ届けてくれることになっている。
***
12時半に、アレンテージョ地方の中心の街エヴォラに到着。城壁を入ったところにある新しい設備のホテルを選んだチェックインには早いランチの時間。いろいろ注文してみたが、このアレンテージョ地方のポークは脂がのっていておいしいコリアンダー(いわゆるパクチーです)の風味は慣れない日本人が多いが、ここで食べるとわりに気にならない。
大きな蛸とトマトとの煮込み
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ゆっくり食事を終えて部屋に荷物を置き、地元のガイドさんと徒歩観光スタート。
エヴォラは14世紀建造の四キロの城壁に取り囲まれているが、市内にはローマ時代の城壁も一部を見ることが出来る
この城壁は紀元後四世紀頃かと推察されるそうだ。それ以前のローマ帝国は城壁を築く必要がないほど平和だった。 外敵が侵入するようになり、それを防ぐ壁を作ることになった際、壊された民家の壁が発見されている。ここに見えるのはその外壁のフレスコ画の赤色
19世紀に建造された市庁舎は、この時代らしくガラスと鉄骨の天井地下にはしかし、ローマ時代の大きな浴槽の跡がある
※このローマ浴槽と水のルートについてはまた書きます
さらに丘を上がっていくと、通称「ディアナ神殿」の柱が残されている
これは実はアウグストス帝に捧げられた神殿であったらしい。
丘の上に建つ12世紀からの大聖堂ここは1584年に天正少年使節団が訪れ、今でも使われているパイプオルガンを弾いた記録が残されている 気になったのは豪華なバロックの祭壇に安置された、とてもバロック時代とは思えない聖母マリアの像妊婦姿のマリアは制作されたと思われる15世紀当時には大事にされなかった(なんせ処女マリアの筈なのですから)が、バロック時代になってからこのように飾られたそうな。
大聖堂の屋上に上れる時間にぎりぎり間に合ったとなりの回廊も見下ろせる降りて行ってみると、ゴシック初期の彫刻がおもしろい回廊の四隅には余人の福音書記者が設置されていた
最後に訪れたフランシスコ教会では、横の入り口から入る骨の礼拝堂へも入場した
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ホテルへ戻りひと休み。
夕方になって、さっきの観光で訪れなかったエリアにある水道橋を見に行くことにした。現在見えるものは1537年頃に、ローマ時代に建設されたルートをなぞって建設された。
もともとは18キロあったそうだが、うち9キロが現存している。
壁を越えて市内へ入る水道橋
この水のルートを追いかけてあるいてみると、堅牢な構造がさまざまに利用されているのがおもしろいそして、たどり着いたは前出の市庁舎なるほど、この地下にあるローマ浴場に水を供給していたのである。
水は、その後も街の外へむかって導かれていく。水道が曲がるところに設置されていた構造そして・・・ジラルド広場の噴水もまた、この水道橋の水によって可能になったのである。アーケードが美しい広場と噴水
この地方はヨーロッパでも有数の大理石の産地。そのピンク色が美しい石をつかった現代アート?翌日地元のガイドさんに何を表していたのか訊ねると、「地母神」とでも訳せそうなものを表しているのだとか
この広場の聖アントニオ教会方向に向かうところで、水道管はぷつんと途切れていた
※この水道橋についてはまた別に書きたいと思います
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バスでものの15分でタイル工房があるキンタ・ド・アンジョへ到着。ここは運転手さんも子供のころ学校で絵付け体験に来たという。はじめに陶器とタイルの制作について説明してもらいタイル絵付けの部屋へ長テーブルひとつでちょうど15人が座れた。焼く前の作品がこちら出来上がりは一週間後のお楽しみ。リスボンのホテルへ届けてくれることになっている。
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12時半に、アレンテージョ地方の中心の街エヴォラに到着。城壁を入ったところにある新しい設備のホテルを選んだチェックインには早いランチの時間。いろいろ注文してみたが、このアレンテージョ地方のポークは脂がのっていておいしいコリアンダー(いわゆるパクチーです)の風味は慣れない日本人が多いが、ここで食べるとわりに気にならない。
大きな蛸とトマトとの煮込み
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ゆっくり食事を終えて部屋に荷物を置き、地元のガイドさんと徒歩観光スタート。
エヴォラは14世紀建造の四キロの城壁に取り囲まれているが、市内にはローマ時代の城壁も一部を見ることが出来る
この城壁は紀元後四世紀頃かと推察されるそうだ。それ以前のローマ帝国は城壁を築く必要がないほど平和だった。 外敵が侵入するようになり、それを防ぐ壁を作ることになった際、壊された民家の壁が発見されている。ここに見えるのはその外壁のフレスコ画の赤色
19世紀に建造された市庁舎は、この時代らしくガラスと鉄骨の天井地下にはしかし、ローマ時代の大きな浴槽の跡がある
※このローマ浴槽と水のルートについてはまた書きます
さらに丘を上がっていくと、通称「ディアナ神殿」の柱が残されている
これは実はアウグストス帝に捧げられた神殿であったらしい。
丘の上に建つ12世紀からの大聖堂ここは1584年に天正少年使節団が訪れ、今でも使われているパイプオルガンを弾いた記録が残されている 気になったのは豪華なバロックの祭壇に安置された、とてもバロック時代とは思えない聖母マリアの像妊婦姿のマリアは制作されたと思われる15世紀当時には大事にされなかった(なんせ処女マリアの筈なのですから)が、バロック時代になってからこのように飾られたそうな。
大聖堂の屋上に上れる時間にぎりぎり間に合ったとなりの回廊も見下ろせる降りて行ってみると、ゴシック初期の彫刻がおもしろい回廊の四隅には余人の福音書記者が設置されていた
最後に訪れたフランシスコ教会では、横の入り口から入る骨の礼拝堂へも入場した
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ホテルへ戻りひと休み。
夕方になって、さっきの観光で訪れなかったエリアにある水道橋を見に行くことにした。現在見えるものは1537年頃に、ローマ時代に建設されたルートをなぞって建設された。
もともとは18キロあったそうだが、うち9キロが現存している。
壁を越えて市内へ入る水道橋
この水のルートを追いかけてあるいてみると、堅牢な構造がさまざまに利用されているのがおもしろいそして、たどり着いたは前出の市庁舎なるほど、この地下にあるローマ浴場に水を供給していたのである。
水は、その後も街の外へむかって導かれていく。水道が曲がるところに設置されていた構造そして・・・ジラルド広場の噴水もまた、この水道橋の水によって可能になったのである。アーケードが美しい広場と噴水
この地方はヨーロッパでも有数の大理石の産地。そのピンク色が美しい石をつかった現代アート?翌日地元のガイドさんに何を表していたのか訊ねると、「地母神」とでも訳せそうなものを表しているのだとか
この広場の聖アントニオ教会方向に向かうところで、水道管はぷつんと途切れていた
※この水道橋についてはまた別に書きたいと思います