パレルモ大聖堂も、もともと12世紀建造物だが、18世紀にフェルディナンド・フーガによりバロック風のドームが建設され、内部も12世紀の面影はなくなってしまっている。2014年9月現在ファサードの一部が修復中
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パレルモの守護聖女ロザリアの礼拝堂。左右の壁には彼女の遺体がモンテ・ペルグリーノから運んでこられてペストの流行が止む奇跡がストゥッコで描かれている。
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別料金をとられるが、この大聖堂のいちばんの見どころは神聖ローマ皇帝でありシチリア王だったフェデリーコ二世をはじめとする一族の石棺だろう。赤い大理石は古代に皇帝の棺に使われた材料。母方の祖父ルッジェーロ王がアレキサンドリアから手に入れていたが、使われずにおいてあったものだった。
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ドイツからの観光客はかならずここを訪れる。花を手向ける人もある。
これだけの赤大理石の棺はたぶん古代に誰かのものだったのを再利用したのではないかと推察されている。支えに彫られているライオンの鼻がいやに低いのは、もとはなかったものを無理に彫り込んだからかと小松には思えた
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面白いのは、20世紀にこの棺を開けてみると、なんと三体もの遺体が一緒に入れられていた事実。
この写真はその時のもの
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右側に女性(赤く見えるのは彼女の衣服だろう)これはフェデリーコに最も愛されたと言われる愛人ビアンカ・ランチャのものだろうと言われている。真ん中上部に皇帝本人と思われる遺体。左側にもう一体男性の遺体があったのだが、これが誰かは分かっていない。
ここでフェデリーコの最初の妃、コスタンツァの石棺を見たいと思っていた。塩野さんの書かれた「フリードリッヒ二世の生涯」によると、再利用したローマ時代の棺に「あなたのフリードリッヒより」と刻まれているとあったから。
これが、「それ」
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最後のところの「FEDERICE TVA」というのが「あなたのフリードリッヒ」という意味。
コスタンツァはフェデリーコの三人の妻たちの中で唯一正式に戴冠された女性。よって、この場所に墓所を得ているのである。この棺を開けた際には、なかからまさに本物の皇后の冠が発見された。それは、宝物館に展示されている。これが「それ」
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一見冠らしくなく見えるかもしれないが、当時はこういった冠も多かった。書かれている資料によっては「ティアラ」と表現されたものもあった。
この宝物室の見どころは展示物だけではない。この大聖堂の前身だったモスクの名残と思われる装飾を見ることが出来るから。
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覗き込むと、確かに鍾乳洞を模したイスラム文様だ
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これはもしかしたら、ノルマン時代の聖堂からの装飾かもしれない。
歴代の司教が葬られている地下聖堂は18世紀の改築は及んでいない。ノルマン時代の雰囲気がそのままである
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無料のエリアで、地元の人がいちばん訪れているのが、近年聖人に認定されたパレルモの司祭だったジョゼッペ・プリージの墓。
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彼はパレルモのいちばん貧しい地区を担当し、マフィアの構成員になろうとしてしまう若者を説得し、勇気をもって反マフィアを実行した人物。最後にはその教会の前(自宅の前と書いたものもあった)で撃たれた。
マフィアは我々観光客に害を及ぼすことはほとんどないそうだが、地元の商店にはいわゆる「みかじめ料」を要求しているのだそうだ。商店の中でそれを拒否する宣言をしたところは、このシールを貼っているのだと、ガイドさんが教えてくれた。
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「みかじめ料」は、イタリア語で「ピッツォ」と言う。このシールにはこう書かれている。
「ピッツォを払い続けている者は、尊厳を持たない者だ」