予めもらったチケットは09:05と09:15の二種類があり、ホテルのポーターが言うには09:10発だという。いったいどれに我々が乗れるの?
懇意にしている島のガイド・アシスタントさんがやってきて「港へ行ってきいてみよう、心配ないから」
はい、心配なく乗れました08:55発予定のソレント行き、09:05発にて空いた船の売店でCAPRIと書かれたバッグ5ユーロを十数個爆買い。行きの船でも同じ金額で勧めてくれていたのだけれど、島を出る時になって、「これは安い」と気が付いた次第。
ソレントに到着 崖の上に見えているホテルが「帰れソレントへ」を宣伝歌として注文したホテル。
ここから尾根をこえてアマルフィ海岸側へ出てしばし走ると、ポジターノ 生のオレンジを絞って出してくれるジュース屋さんはじめ「2ユーロ」と言ったけれど、先に「1ユーロ」の店があったのでみんながそこへ行こうとすると、すぐに「ディスカウント1ユーロ!」だって。こういう商売しているところ、多いです。
11時過ぎにアマルフィ到着。ここで13時半までお昼時間を兼ねて自由行動
この町は路地を歩くのがおもしろい このちょっとこぎれいな扉は歯医者さんだった 大聖堂は19世紀に大幅改修されたもの⇒午後に訪れたサレルノの12世紀につくられた鐘楼をモデルにしている。 大聖堂内部の博物館にはこんな中国風の輿もある↓
1700年代前半にマカオで制作されたものだという。確かにマカオならば中国の技術やデザインをつかってヨーロッパ・バロック風の装飾がなされたこんな製品が簡単につくれただろう。 はじめ一般の人がつかっていたものが、アマルフィの司教に寄付されたものだそうだ。
大聖堂地下には、十二使徒のひとり聖アンドレの遺物が葬られている
***サレルノへ
午後、本日宿泊のサレルノへ向かうここはカンパーニャ州ではナポリに次ぐ二番目の大都市。港には輸出を待つ車がずらりとならんでいた
サレルノは古代から続く町だが、歴史上で重要な役割を果たしたのはローマ帝国崩壊後の中世。8世紀から10世紀のロンゴバルドからノルマン人がその国の首都とした時代。この古びたアーチは8世紀の王アレキの宮殿のものだったと言われている
誰でも名前は知っている1077年の出来事、「カノッサの屈辱」事件の法皇グレゴリウス七世の墓がある、といえば興味湧きますでしょうか。
★サレルノ大聖堂の話は⇒こちらに写真入りで書きましたのでごらんください
大聖堂の前庭
扉はその「カノッサの屈辱」の頃にコンスタンチノープルで制作されたもの⇒ 内部には黄金のモザイクも 地元の詳しいガイドさんとと共にもっと時間をかければ、さらに見どころが見つかる街だと感じた。
****サレルノの海沿いにあるホテルに入ったのは17時過ぎ。南イタリアでは20時過ぎない℃どこのレストランも開かない。 もっと早くどこかで食事にしたいと歩き回っていて、ホテル近くのスーパー内に総菜屋さんを見つけた。 そうだ!今日はみんなで買いだしにしましょう! お部屋で今日まで撮った写真をスライドショーしながらいただきましょう(^・^) ということで、買い物をはじめると・・・見慣れない日本人グループにお店の人が携帯持ち出して一緒に写真タイム 有名観光地じゃあこういう事は起きない。言葉は通じなくてもみんな親切で楽しく対応してくれる。「チキン、お勧めだよ。大きすぎるなら切ってあげますよ」⇒ 肉類の品ぞろえは日本とは比較にならない充実ぶり↓
みんなで椅子を持ちよってテーブルをつくって、フードラインのできあがり
こういう食事も《手造の旅》ならではの楽しみです(^^)