旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

カイロ~コプト教会と博物館

2016-12-11 15:03:37 | エジプト

昼食はシーフードレストランへ。砂漠のカイロだからとあなどるなかれ、かなり美味しい

 

 

今日の高速道路はとても空いていた

オールド・カイロ地区へ到着。エジプトはイスラム教徒の国だと思われているが、ローマにカトリック教会が出来る以前からのキリスト教=コプトの教会がいまもたくさんあるのだ↓

コプト教会の総主教は、十二使徒のひとりである聖マルコの後継者ということになっている。そう、あのヴェネチアの教会に葬られている、その人。

この教会がもっとも重要な「ハンギング教会」↓ローマ時代の「バビロンの要塞」の上に建てられていて、二十九段の階段を上った先の身廊は、その上をまたぐようにして建てられている。だから、この名前があるのだ↓

階段をあがって、教会の入口。七世紀から十三世紀にかけてつくりつづけられてきた↓装飾がイスラム教のモスクと同じようにみえる。共存し続けてゆく中で双方に違和感のないデザインになっていったのだろうか。実際に建築に携わったのがイスラム教徒だったかもしれない↓

↓内部、木製の天井。

目につく、おもしろい説教壇には、奇跡の逸話がある↓

⇒こちらに奇跡の逸話、書きました。 

彫刻は中世キリスト教的↓

至聖所は木製のイコン壁によって仕切られ、中は見えない↓

イコン壁の美しい象牙細工の幾何学模様はイスラム教的↓

**コプト博物館を見学する

入口にオスマントルコ役人帽子をかぶった胸像↓このコプト教のコレクションをしたのは、イスラム教徒のこの人物だったのであります↓

コプトは織物が卓越している↓デザインも色彩も↓

エチオピア正教は1959年までエジプトのコプト教会の一部であった。

アフリカのキリスト教徒のものなので人物の色もそれらしい↓下もエチオピアのキリスト教主教の儀式福↓

古代のキリスト教であるコプトはギリシャ神話も彼らの神話の一部にしてしまっている↓下は「レダと白鳥」↓

オルフェウスとエウレディケ↓

6世紀のキリスト教徒の墓には、シンボルに古代エジプトの生命のシンボル「アンク」がしっかり刻まれていた↓

カソリック成立以前の十字架は、古代エジプトのアンクと同一視されていたのか。

10世紀頃描かれたアダムとイブの話もあっけらかんとしている。右の二人が禁断の実を食べる前。左が食べたあとなので羞恥心を知って、イチジクの葉で隠している↓

コプト語で書かれた最古の聖書が大事に、下のガラスケースに入れられている↓

少女の墓にいっしょに埋葬されていた、羊皮紙と象牙でできている↓

ここはモノだけでなく、建物の一部もコレクションしている。なんと、天井も↓

とりこわされた建物の見事な天井装飾が、失われずにうけつがれている↓

木製の窓「マシュラベイヤ」も。内側からみるとこんな↓ステンドグラスもはめ込まれていたりする↓

外の中庭からみるとこんな↓

***

オールドカイロの街歩きを続ける・・・なにげない建物でも趣がある⇒

旧約聖書のモーゼは、赤ん坊の頃ナイル川で籠に乗せてながされ、それをエジプト王女が拾ったことになっている。その、拾われた場所にある教会が、現在ユダヤ教のシナゴーグになっている。内部撮影禁止↓

 ****

ギザのホテルへ戻る時、巨大な工事中の建物が見えてきた。これは、2017年秋に完成予定の新しい考古学博物館。日本が援助し、ノルウェーの建築家のデザインなのだそうだ↓

今の、タハリール広場にある巨大な物置のような建物からここへ移ると、さて、どんな風にみせてくれるのか、楽しみであります。モノの価値は、その展示環境が的確でないと大きく損なわれてしまうものだから。

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逆さピラミッドの見えるホテルからピラミッド見学へ、「太陽の船」も見学

2016-12-11 12:04:51 | エジプト

「朝おきて、ピラミッドがみえてびっくりしたよ」と、コメントをいただいた(^^)想定した展開、このホテルを選んでよかった。下の写真で右の方に見えるのが我々の泊まった新館↓

レストランの前の小さな水に、こんなふうにピラミッドが映るのです

朝食レストランは本館とも新館とも別になった建物で、ゆったり天井も高い↓

洗練されたエジプト料理の朝ごはんは、辛すぎず、日本人はきっと気に入ります。

**さぁ、いよいよ、あこがれのピラミッドへ。ホテルからバスに乗ってすぐに到着。入場↓

いつも、いつも、見るたびに畏敬の念にうたれる。

六年間のブランクがあって、ギザのピラミッドがいかに圧倒的な建築で、他に比肩するものなどない存在なのかを、あらためて感じた。

ギザの大ピラミッドは一日の入場者を制限している↓斜面の下にあけられた「盗掘穴」から入って、途中で上の穴から続いている本当の通路に至る↓

今はもうカメラの持ち込みさえも禁止されているが、ここでは2002年に小松が撮影した写真をお見せしましょう。内部、なにも変わっておりませぬ(^^)↓

これが、盗掘穴を入っていった通路が、正式な通路にぶつかるところ↓

腰をかがめなくては進めない四角いトンネルを抜けると、いきなり「大回廊」と呼ばれる天井の高い空間に出る↓

正面にも水平に続く穴があり、かつてはそこへも入る事が許されていたが、今は閉められている↓

大回廊をのぼってゆくと、また腰をかがめる四角い通路が少しあって↓

最後に石棺のある玄室に到着する↓

発見された時にはすでに、ほぼこの状態で中身などは何もなかった。

このピラミッドがクフ王のものだと伝承はあったが、確認されたのは、玄室の上に見つかった、通称「重力軽減室」のひとつにクフ王の名前が書かれていたから。

また、クフ王の像はたったひとつ、7.5センチのモノがアビドスでみつかって、考古学博物館に展示されているが・・・※これについてはこちらに書きました

 外へ出て、間近に見上げる。日本出発前には「ピラミッドに登りたい」と言っていた方も、この51°の傾斜と巨大な石を見ると、そのむずかしさをさとる↓マーク・トゥエインはガイドにひっぱられて登った話を書いていたが、その当時は落ちて死んじゃう人もいたのだとか。なるほど、そうでしょう↓

日本人で、ここに登った著名人は、現東京都知事の小池さん。カイロ大学へ留学していた当時、帰国する前の記念にと登り、なんと頂上でお茶をたてたのだそうだ↓

←バスに乗って、三つのピラミッドがきれいに見えるポイントに。こういう楽しみ方もできまする。

みんなで記念写真→ ふたたびバスに乗り、こんどは「太陽の船」を見学。それは、ピラミッドの横の穴からみつかった巨大な木材をくみ上げてみると出現した、王様があの世に行くための船、だと思われている巨大なシロモノ↓

あの、見えてくる巨大な建物内部に、ある↓

↑上の写真で左端に並べられている巨石は、船が発見された穴の上にならべられてふさいでいたもの。建物のある場所の地面に、その穴がある↓

上を見上げると、空中にうかぶように木製の巨船があった。周囲をまわるように見学ルートがつくられている↓

***

第二ピラミッドに付属して建設されたスフィンクスと、葬祭殿も訪れる↓

緻密な石組の葬祭殿。思い出したのはペルーはクスコのインカの石組。その数千年前に、同様かもっと卓越していた石組をつくりだしていた古代エジプトって・・・↓ 下の写真地面には、カフラ王の座像がずらりと並んでいたと推察されている↓

スフィンクス横に出る↓

夜になると「音と光のショー」が上演され、下の写真の座席で見学する↓

圧倒される午前中の見学だった

 

 

 

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