昼食はシーフードレストランへ。砂漠のカイロだからとあなどるなかれ、かなり美味しい
オールド・カイロ地区へ到着。エジプトはイスラム教徒の国だと思われているが、ローマにカトリック教会が出来る以前からのキリスト教=コプトの教会がいまもたくさんあるのだ↓
コプト教会の総主教は、十二使徒のひとりである聖マルコの後継者ということになっている。そう、あのヴェネチアの教会に葬られている、その人。
この教会がもっとも重要な「ハンギング教会」↓ローマ時代の「バビロンの要塞」の上に建てられていて、二十九段の階段を上った先の身廊は、その上をまたぐようにして建てられている。だから、この名前があるのだ↓
階段をあがって、教会の入口。七世紀から十三世紀にかけてつくりつづけられてきた↓装飾がイスラム教のモスクと同じようにみえる。共存し続けてゆく中で双方に違和感のないデザインになっていったのだろうか。実際に建築に携わったのがイスラム教徒だったかもしれない↓
↓内部、木製の天井。
目につく、おもしろい説教壇には、奇跡の逸話がある↓
彫刻は中世キリスト教的↓
至聖所は木製のイコン壁によって仕切られ、中は見えない↓
イコン壁の美しい象牙細工の幾何学模様はイスラム教的↓
**コプト博物館を見学する
入口にオスマントルコ役人帽子をかぶった胸像↓このコプト教のコレクションをしたのは、イスラム教徒のこの人物だったのであります↓
コプトは織物が卓越している↓デザインも色彩も↓
エチオピア正教は1959年までエジプトのコプト教会の一部であった。
アフリカのキリスト教徒のものなので人物の色もそれらしい↓下もエチオピアのキリスト教主教の儀式福↓
古代のキリスト教であるコプトはギリシャ神話も彼らの神話の一部にしてしまっている↓下は「レダと白鳥」↓
オルフェウスとエウレディケ↓
6世紀のキリスト教徒の墓には、シンボルに古代エジプトの生命のシンボル「アンク」がしっかり刻まれていた↓
カソリック成立以前の十字架は、古代エジプトのアンクと同一視されていたのか。
10世紀頃描かれたアダムとイブの話もあっけらかんとしている。右の二人が禁断の実を食べる前。左が食べたあとなので羞恥心を知って、イチジクの葉で隠している↓
コプト語で書かれた最古の聖書が大事に、下のガラスケースに入れられている↓
少女の墓にいっしょに埋葬されていた、羊皮紙と象牙でできている↓
ここはモノだけでなく、建物の一部もコレクションしている。なんと、天井も↓
とりこわされた建物の見事な天井装飾が、失われずにうけつがれている↓
木製の窓「マシュラベイヤ」も。内側からみるとこんな↓ステンドグラスもはめ込まれていたりする↓
外の中庭からみるとこんな↓
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オールドカイロの街歩きを続ける・・・なにげない建物でも趣がある⇒
旧約聖書のモーゼは、赤ん坊の頃ナイル川で籠に乗せてながされ、それをエジプト王女が拾ったことになっている。その、拾われた場所にある教会が、現在ユダヤ教のシナゴーグになっている。内部撮影禁止↓
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ギザのホテルへ戻る時、巨大な工事中の建物が見えてきた。これは、2017年秋に完成予定の新しい考古学博物館。日本が援助し、ノルウェーの建築家のデザインなのだそうだ↓
今の、タハリール広場にある巨大な物置のような建物からここへ移ると、さて、どんな風にみせてくれるのか、楽しみであります。モノの価値は、その展示環境が的確でないと大きく損なわれてしまうものだから。