旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

デュシャンの見つけた美

2018-11-12 14:18:20 | 国内
マルセル・デュシャンの展覧会はめずらしく写真撮影OKだった。
いきなり自転車の車輪がそのまま登場。

デュシャンの最も有名な作品というと、1917年に物議をかもした「泉」だろう↓自分自身がメンバーである美術グループ「アンデパンダン」の展覧会に、男性用小便器をそのまま置いて「泉」と題名をつけて出展しようとしたのだから問題にならないわけがない↓今回、そのレプリカも出展されていた↓

「レプリカ」というのも変な気がする。だってこれはどこにでも「すでにつくられた=レディメイド」のモノなのだから。

↓この台の上のモノ、なんだと思います?↓

ワイングラスを洗ったあとに乾かすための台↑
これを、「作品」として展示して見せた。

デュシャンは「美術品は一品もの」という概念に疑問をもったのだ。
「美術」という枠にとらわれて、まさに「枠にとらわれた」美を追う姿勢に反発したのだろう。
デュシャンのことばが書かれていた↓

この言葉に回答がある。
美術家などでなくても、たとえば工業デザイナーが真剣に効率を求めて作り出した造形は、自然に普遍的な美しさを持つことになるのだ。

この流れがアンディ・ウォホールの表現や、フィンランドのアアルトの花瓶といった工業デザインに、「進化」していったのだと言えないだろうか。

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デュシャンは1887年生まれ。ピカソより六歳年下。少年時代に描いた父親の像はまるでセザンヌのような色調↓

すでに当時の先端を行く画風をマスターしていた↓キュビズム手法

画家としての代表作と言える「階段を降りる人」もあった↓

二十四歳で画家として生きることを止めてしまったのは、まさに「枠にはまった」美を求めることに疑問を感じたからだろう。

そして、車輪や小便器やらに美を見つけていく。

つまり・・・この展覧会という場で、デュシャン自身の作品だけに美をみつけようとする視点そのものに疑問を感じなくてはならない。
そう思って会場を何度もいききしていたら、こんな視点に気付いた↓

キュレーターが意識してきりとったこの窓、ではない。
窓の一番下のところにちょこっとだけ見えている「消火器」である。
逆側にまわってみると↓

なぜかは分からないが「消火器」のいちばん上の部分が枠の上にちょっとだけはみ出ている。
そうして赤い消火器を見ていると、近くに展示されている「泉」と何が違うのかと思えてくるのだった。
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展示室の最後で利休の好んだ器と花活けがあった↓
1590年、小田原攻めに同行していた折の茶席で、近くにあった竹を切って即席の切り花入れにした時のものだと伝わっている↓

↑そこにあった「ただの竹」の美を、ほとんどそのまま切り花入れとして使ったというわけだ。

↓長次郎作と伝わる黒い茶碗、銘「むかし噺」↓

暗い茶室では目立たない地味な品だが、ろくろを使わないでつくった形は手に馴染むのだという

デュシャンと利休。
共通するのは、「芸術」や「常識」という枠にとらわれずに、自分の目で美を見出した人だということなのだろう。
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展覧会を出て、常設展示のカフェへの入口にまた便器ががあった↓

1917年はTOTO=東洋陶器が設立された年なのだそうだ。
国産初の陶器製便器が1915年に製作され、
デュシャンが「泉」を制作したが1917年にそれを売りはじめていたというのは、たしかにおもしろい偶然である。










コメント
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