旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

テオティワカン遺跡の夜~音と光のショー

2018-11-23 20:20:20 | メキシコ

夕暮れてきた午後六時、遺跡のすぐとなりにあるホテルを出る

このホテルに泊まることにしたのは、今晩の「音と光のショー」と明日朝の気球を楽しむため。
五分もしないで遺跡入口に到着。
↓入場券を持って18:30の開場を待つ↓

ぼんやりとライトアップされた「太陽のピラミッド」がすでに見えきて気持ちが高まる。
三十分ほど遅れて開場。
ひとりひとり携帯型のイヤフォンを受け取る↓

言語はスペイン語の他には、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語の四つ。日本語はまだない。

どんな風に使うのか、とにかく使ってみるしかない。

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ツアーの前半はライトアップされた「死者の道」を「月のピラミッド」までをライトアップツアーのガイドさんと歩く。
ひとつのグループ人数はきまっておらず、集まったら適当にスタートする。

突き当りの「月のピラミッド」まで三百メートルほどだろうか。
携帯型のガイド機械、だんだん使い方が分かってきた。
その場所の番号を押して解説を聴き、たとえばこんなフレスコ画が見つかったと見せてくれる↓

当時のこのあたり最強の動物とされたジャガーを描いたフレスコ画はホンモノがこんな風に見えた↓

↓建物の復元図も見られる↓

機械操作が苦手な向きもあろうが、なかなか有効である。

ライトアップと星空を見て歩いているだけでも充分楽しいのだが(^.^)

↓かつてこの階段の上には木造の神殿群が並んでいたのだろうか↓

遺跡ガイドさんと我々のグループは離れてしまったがあまり気にしていないようす


三十分ほど歩いて入口近くにもどってくる。
「太陽のピラミッド」を真っ直ぐにみられる階段に座るように誘導される。
ちゃんと一人一枚の座布団を手渡してくれる

「太陽のピラミッド」にWELCOMEの文字。月がちょうどきれいだ。

全員が着席すると、ピラミッドにプロジェクト・マッピングがはじまる。

ところが、あれ? しーんとしている。スペイン語の大音響解説は流れてこない。

係り員がまわってきてイヤフォンをつけるように身振り。あわてて携帯型ガイド機械のイヤフォンを装着するが…まだ聞こえない。
ご指導していただいてやっと英語の解説がきけた。最初の五分ぐらい聞き逃してしまった。

ピラミッドはかつて赤く塗られていただとか、地下にトンネルが見つかったとか。興味深い話がいっぱい。

我々についてくれている地元の日本語ガイドさんも来るチャンスはあまりチャンスはないそうだ。




出口で機械を返却。人質にとられていた小松のパスポートが無事にもどって来た(^.^)










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ケレタロ~サンタクルス修道院と

2018-11-23 17:17:17 | メキシコ
メキシコは花々からしてカラフル。この花は何?

修道院の小さな中庭に水道橋の最後の部分が見えた↓

水道橋がたどりつく丘の上のサンタクルス修道院。
ガイディングツアーに参加して見学するスタート予定時間を三十分以上遅れて、どどっと入場した。

水道橋の運んでくる冷たい水を溜める場所は冷蔵庫代わりになっていた。すぐ近くにキッチンがあった↓

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17世紀、ここに住んだ修道士フラ・アントニオ・マルヒル・デ・ヘスースが、ある日持っていた杖を地面に突き刺して休んでいると、抜けなくなった。
杖は根が生え、やがて十字架の形をした棘を持つ木が生えてきた↓

彼のシンボルはその木。今も中庭に存在し、十字架型の棘がたしかにある↓

ありがたい「奇跡の棘」は大人気

メキシコシティへ行く途中、ドライブインで販売していた↓

教会にも入ってみる↓

16世紀からのものと思われる十字架。あえてキリストの姿は見せない。先住民たちの目から見ると生贄に見えてしまうから。なるほど↓

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丘の上の街。ゆるく盛り上がる道。

どこを曲がってもカラフル。

不意に出くわした胸像は↓1917年の新憲法によってえらばれた初の大統領カランサ。彼も暗殺されてしまったのだけれど↓

↓広場に立っていたこの人物は水道橋を建設したラギラ子爵↓

↓市庁舎

↓どこの街にもある「自由の鐘」↓本物をメキシコシティで見てみたい

中庭の三面に巨大な壁画↓20ペソ札のベニート・ファレス大統領

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水道橋が丘に至る場所に、歴史上の人物を顕彰する広場がある↓

真ん中には1810年当時のこの町の市長ミゲル・ドミンゲスとその妻ホセファ・オルティス・デ・ドミンゲス。体制派の一員の筈のこの二人は実はメキシコ独立支持者。

ミゲル・イダルゴを追っ手から匿い、逃がし、メキシコ独立戦争のスタート地点となる「ドローレスの叫び」への道筋をつけた。
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今晩はテオティワカン遺跡の中にあるホテルに泊まる
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ケレタロ~メキシコ皇帝マクシミリアン終焉の地

2018-11-23 10:12:15 | メキシコ
ケレタロのシンボルはこの水道橋↓

スペインはセゴビアにあるローマ時代の水道橋をイメージして、18世紀の支配者ヴィジャル・デル・ラギラ子爵が1738年に完成したもの↓

最初この写真を見た時どんな目的でどんな場所に水を運んでいたのかわからなかったが、その場所を訪れると一目瞭然だった。ケレタロの発祥サンタ・クルス修道院は丘の上にあり、水道橋はまっすぐにそこに水を届けていたのである。

データによると水源から修道院までの水道の長さは5㎞。そのうち水道橋の長さは1280m。75のアーチを使って谷をこえている。

サンタクルス修道院は1531年にメキシコ(当時ヌエボ・エスパーニャ=新スペイン)初の修道院として開かれた。先住民の神殿を壊してそこ建てたのである。

当然、その前には先住民との戦闘があった。戦場に聖人サンチャゴの姿が現れてスペン側が勝利したのだとされている。修道院の中にあったその絵↓

これによって、ケレタロの正式名称はサンチャゴ・デ・ケレタロSantiago de Querétaroなのである。
カトリックに改宗させられた先住民たちがキリスト教を賛美する像が大聖堂入り口に置かれている↓


この修道院と教会は要塞のようにぐるりと高い塀に囲まれている↓

塀沿いに歩いていると一か所壊れたのをそのままに保存しているのに気付いた↓

↓これは?

説明版↓

「1867年5月17日の早朝 共和国軍はこの場所から侵入した」と書かれている。
これだけ読んでも歴史的事実を知らない人には何の事だか理解できない。だが、メキシコ史にとっては重要な出来事なのだ。

その日、ここにはメキシコ皇帝マクシミリアンが籠城していた。
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ(エリザベートの旦那)の弟である。

メキシコをヨーロッパ列強の影響力と切り離したいベニート・ファレス共和国大統領が、フランスのナポレオン三世が擁立したメキシコ皇帝マクシミリアンを追い詰める内戦の最終局面。

捕えられたマクシミリアンは修道院の居室に三日間幽閉された後、郊外で銃殺された。
修道院内のその部屋↓

一角にマクシミリアンが銃殺された時のリアルな絵が描かれていてぎょっとした↓


↓ケレタロ市庁舎中庭の、巨大なベニート・ファレス共和国大統領の肖像↓その左横に皇帝マクシミリアンとシャルロッテ妃が描かれている↓

下の部分にマクシミリアンが最後まで忠実だった側近二人と共に銃殺された場面も↓

マクシミリアンも立場は違ってもメキシコの良き君主たろうとしていた人物であったろうに。「勝者」の横にここまで描いてしまうのかと感じる。
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修道院内の見学とその周辺については別途















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