紀元前1400年~紀元前200年ごろ栄えたオルメカ文明が遺した巨大な頭部↓
これをひと目見るだけで、スペイン人がやってくるはるか以前から高度な文明社会があった事を理解させてくれる。
同様なものが十七個発見されていてそれぞれ顔が違う。
どことなくネグロイド的な雰囲気を感じさせる不思議。
王の顔であるという説もある。
**
人類学博物館は1964年にこのチャペルテペック公園に移転・開館した。主にスペイン来航以前のメキシコの歴史を俯瞰できる場所だ。
入口にさっそく雨の神トラロックの像↓
古代の巨石文化を見ていると、圧倒的な大きさというのはそれだけで説得力につながるのだと感じる。
↓この入口を入ると↓
中庭を囲うように展示室が設置されている。
中庭にある大屋根の大迫力↓このぐらいしないと展示物の迫力に負けちゃうんでしょうか(^.^)
**
メキシコの原住民はアジアからベーリング海峡を渡ってやってきたとされている↓
マンモスなんかもいた時代ですね
ガイドをしてくれたセザールさんは、通っていた小学校のすぐ近くでマンモスの化石が見つかったそうだ。
リアルで迫力あるマンモスの牙は今でもよく覚えていると言っていた。
↓洞窟に残された壁画も実物大で再現↓
***
各文明ごとに部屋が区切られている。
表層を俯瞰する程度であっても、印象的なモノに出会いたい。
なんといっても本物を自分の目で見ることでしかわからないことがあるから。
午前中に訪れていたテオティワカン
★テオティワカンで見つかった雨の神の像↓
「月の神殿」の上に立っていたのではないかと想像されている。
ケツァルコアトルのピラミッドを実物大で復元してある↓
現場ではよほど想像力のある人でもここまでは感じられない
メキシコ中央高原地帯には五千メートルを超える火山が二つあって、古代から現代に至るまで人々は影響をうけてきた。ピラミッドは火砕流からの避難場所だったという話もある。
だから、「火の神」の表現は多かった。
↓背中の曲がった老人が火鉢を背負ったかたちであらわされている↓手には何を持っていたのだろう?
★オアハカ文明
交易の要衝で紀元前12世紀ごろから長く栄えていたモンテ・アルバンからの出土品も豊富
「こうもりの神」のマスク↓
クリスタルの骸骨↓これは確かにホンモノだ↓
※2013年に大英博物館で見たクリスタルスカルの写真はこちらの日記に一枚載せています
人骨を使った楽器↓
↓碑文に演奏のシーンも描かれている↓
★パレンケ遺跡のパカル王の墓
今回の日程では訪れなかったが、このピミラッドから王の棺が見つかったのは1952年↓※展示写真
「メキシコのピラミッドは墓ではない」と思われていたのだが、1948年にピラミッドの頂上にある床石が揺らぐのに気付いた考古学者がいた。
床下から瓦礫で埋められた階段が見つかり、四年かけて慎重に取り除く。と、たどり着いた石の蓋↓
博物館に復元しておかれている↓
このかたちではよく見えないのだが、これはミステリー好きには有名な↓
「宇宙船を操縦している」と思った人もいる図柄であります。
本当は右側が下になる。口を開けた冥界の動物が居てそこに落ちてゆく王の姿が描かれている。
こんなかたちで見つかったものだったのか。
そして、巨大な一枚岩の蓋をもちあげると、その下から…
赤い辰砂につつまれた王が翡翠のマスクをつけて眠っていた↓
↓二百以上の研磨された翡翠を組み合わせたリアルなマスク↓
右の手には立方体。左の手には球体をにぎっている↓
この発見をしたのはアルベルト・ルツという人物↓キューバ人の父とフランス人の母のもとに生まれ、ハバナのカレッジに通った↓
墓の蓋の間のポートレートが飾られていた↓
↑石棺の巨大の蓋の下から顔を出すこの写真を見るだけで、彼が何をする人間なのかが伝わる。
この発見の三十年前、1922年にエジプトでツタンカーメン王墓を発見したイギリス人考古学者カーターも石棺内で写真を撮っていたっけ。
アルベルト・ルツはアメリカやスペインに搾取される先住民たちにシンパシーを抱き、三十歳でメキシコに移住して市民権を取得した。
パレンケ遺跡のこの発見は生涯で特筆される功績。
1979年にケベックのモントリオールで没したが、メキシコ政府はパレンケ遺跡の一角に彼の墓を置くことを許可した。
これをひと目見るだけで、スペイン人がやってくるはるか以前から高度な文明社会があった事を理解させてくれる。
同様なものが十七個発見されていてそれぞれ顔が違う。
どことなくネグロイド的な雰囲気を感じさせる不思議。
王の顔であるという説もある。
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人類学博物館は1964年にこのチャペルテペック公園に移転・開館した。主にスペイン来航以前のメキシコの歴史を俯瞰できる場所だ。
入口にさっそく雨の神トラロックの像↓
古代の巨石文化を見ていると、圧倒的な大きさというのはそれだけで説得力につながるのだと感じる。
↓この入口を入ると↓
中庭を囲うように展示室が設置されている。
中庭にある大屋根の大迫力↓このぐらいしないと展示物の迫力に負けちゃうんでしょうか(^.^)
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メキシコの原住民はアジアからベーリング海峡を渡ってやってきたとされている↓
マンモスなんかもいた時代ですね
ガイドをしてくれたセザールさんは、通っていた小学校のすぐ近くでマンモスの化石が見つかったそうだ。
リアルで迫力あるマンモスの牙は今でもよく覚えていると言っていた。
↓洞窟に残された壁画も実物大で再現↓
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各文明ごとに部屋が区切られている。
表層を俯瞰する程度であっても、印象的なモノに出会いたい。
なんといっても本物を自分の目で見ることでしかわからないことがあるから。
午前中に訪れていたテオティワカン
★テオティワカンで見つかった雨の神の像↓
「月の神殿」の上に立っていたのではないかと想像されている。
ケツァルコアトルのピラミッドを実物大で復元してある↓
現場ではよほど想像力のある人でもここまでは感じられない
メキシコ中央高原地帯には五千メートルを超える火山が二つあって、古代から現代に至るまで人々は影響をうけてきた。ピラミッドは火砕流からの避難場所だったという話もある。
だから、「火の神」の表現は多かった。
↓背中の曲がった老人が火鉢を背負ったかたちであらわされている↓手には何を持っていたのだろう?
★オアハカ文明
交易の要衝で紀元前12世紀ごろから長く栄えていたモンテ・アルバンからの出土品も豊富
「こうもりの神」のマスク↓
クリスタルの骸骨↓これは確かにホンモノだ↓
※2013年に大英博物館で見たクリスタルスカルの写真はこちらの日記に一枚載せています
人骨を使った楽器↓
↓碑文に演奏のシーンも描かれている↓
★パレンケ遺跡のパカル王の墓
今回の日程では訪れなかったが、このピミラッドから王の棺が見つかったのは1952年↓※展示写真
「メキシコのピラミッドは墓ではない」と思われていたのだが、1948年にピラミッドの頂上にある床石が揺らぐのに気付いた考古学者がいた。
床下から瓦礫で埋められた階段が見つかり、四年かけて慎重に取り除く。と、たどり着いた石の蓋↓
博物館に復元しておかれている↓
このかたちではよく見えないのだが、これはミステリー好きには有名な↓
「宇宙船を操縦している」と思った人もいる図柄であります。
本当は右側が下になる。口を開けた冥界の動物が居てそこに落ちてゆく王の姿が描かれている。
こんなかたちで見つかったものだったのか。
そして、巨大な一枚岩の蓋をもちあげると、その下から…
赤い辰砂につつまれた王が翡翠のマスクをつけて眠っていた↓
↓二百以上の研磨された翡翠を組み合わせたリアルなマスク↓
右の手には立方体。左の手には球体をにぎっている↓
この発見をしたのはアルベルト・ルツという人物↓キューバ人の父とフランス人の母のもとに生まれ、ハバナのカレッジに通った↓
墓の蓋の間のポートレートが飾られていた↓
↑石棺の巨大の蓋の下から顔を出すこの写真を見るだけで、彼が何をする人間なのかが伝わる。
この発見の三十年前、1922年にエジプトでツタンカーメン王墓を発見したイギリス人考古学者カーターも石棺内で写真を撮っていたっけ。
アルベルト・ルツはアメリカやスペインに搾取される先住民たちにシンパシーを抱き、三十歳でメキシコに移住して市民権を取得した。
パレンケ遺跡のこの発見は生涯で特筆される功績。
1979年にケベックのモントリオールで没したが、メキシコ政府はパレンケ遺跡の一角に彼の墓を置くことを許可した。