旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

国立人類学博物館

2018-11-24 17:17:17 | メキシコ
紀元前1400年~紀元前200年ごろ栄えたオルメカ文明が遺した巨大な頭部↓

これをひと目見るだけで、スペイン人がやってくるはるか以前から高度な文明社会があった事を理解させてくれる。
同様なものが十七個発見されていてそれぞれ顔が違う。
どことなくネグロイド的な雰囲気を感じさせる不思議。
王の顔であるという説もある。
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人類学博物館は1964年にこのチャペルテペック公園に移転・開館した。主にスペイン来航以前のメキシコの歴史を俯瞰できる場所だ。

入口にさっそく雨の神トラロックの像↓

古代の巨石文化を見ていると、圧倒的な大きさというのはそれだけで説得力につながるのだと感じる。
↓この入口を入ると↓

中庭を囲うように展示室が設置されている。
中庭にある大屋根の大迫力↓このぐらいしないと展示物の迫力に負けちゃうんでしょうか(^.^)




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メキシコの原住民はアジアからベーリング海峡を渡ってやってきたとされている↓

マンモスなんかもいた時代ですね

ガイドをしてくれたセザールさんは、通っていた小学校のすぐ近くでマンモスの化石が見つかったそうだ。
リアルで迫力あるマンモスの牙は今でもよく覚えていると言っていた。
↓洞窟に残された壁画も実物大で再現↓

***
各文明ごとに部屋が区切られている。
表層を俯瞰する程度であっても、印象的なモノに出会いたい。
なんといっても本物を自分の目で見ることでしかわからないことがあるから。

午前中に訪れていたテオティワカン
★テオティワカンで見つかった雨の神の像↓

「月の神殿」の上に立っていたのではないかと想像されている。

ケツァルコアトルのピラミッドを実物大で復元してある↓

現場ではよほど想像力のある人でもここまでは感じられない


メキシコ中央高原地帯には五千メートルを超える火山が二つあって、古代から現代に至るまで人々は影響をうけてきた。ピラミッドは火砕流からの避難場所だったという話もある。
だから、「火の神」の表現は多かった。
↓背中の曲がった老人が火鉢を背負ったかたちであらわされている↓手には何を持っていたのだろう?


★オアハカ文明 
交易の要衝で紀元前12世紀ごろから長く栄えていたモンテ・アルバンからの出土品も豊富

「こうもりの神」のマスク↓

クリスタルの骸骨↓これは確かにホンモノだ↓

※2013年に大英博物館で見たクリスタルスカルの写真はこちらの日記に一枚載せています

人骨を使った楽器↓


↓碑文に演奏のシーンも描かれている↓


★パレンケ遺跡のパカル王の墓
今回の日程では訪れなかったが、このピミラッドから王の棺が見つかったのは1952年↓※展示写真

「メキシコのピラミッドは墓ではない」と思われていたのだが、1948年にピラミッドの頂上にある床石が揺らぐのに気付いた考古学者がいた。
床下から瓦礫で埋められた階段が見つかり、四年かけて慎重に取り除く。と、たどり着いた石の蓋↓
博物館に復元しておかれている↓

このかたちではよく見えないのだが、これはミステリー好きには有名な↓

「宇宙船を操縦している」と思った人もいる図柄であります。
本当は右側が下になる。口を開けた冥界の動物が居てそこに落ちてゆく王の姿が描かれている。
こんなかたちで見つかったものだったのか。

そして、巨大な一枚岩の蓋をもちあげると、その下から…

赤い辰砂につつまれた王が翡翠のマスクをつけて眠っていた↓

↓二百以上の研磨された翡翠を組み合わせたリアルなマスク↓


右の手には立方体。左の手には球体をにぎっている↓


この発見をしたのはアルベルト・ルツという人物↓キューバ人の父とフランス人の母のもとに生まれ、ハバナのカレッジに通った↓
墓の蓋の間のポートレートが飾られていた↓

↑石棺の巨大の蓋の下から顔を出すこの写真を見るだけで、彼が何をする人間なのかが伝わる。
この発見の三十年前、1922年にエジプトでツタンカーメン王墓を発見したイギリス人考古学者カーターも石棺内で写真を撮っていたっけ。

アルベルト・ルツはアメリカやスペインに搾取される先住民たちにシンパシーを抱き、三十歳でメキシコに移住して市民権を取得した。
パレンケ遺跡のこの発見は生涯で特筆される功績。
1979年にケベックのモントリオールで没したが、メキシコ政府はパレンケ遺跡の一角に彼の墓を置くことを許可した。






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「太陽のピラミッド」に登ってからメキシコシティへ

2018-11-24 15:15:15 | メキシコ
あそこまで登るのかと思うと…

頂上の人がアリのように見える

「太陽のピラミッド」は高さ65m。
エジプトの大ピラミッドの半分ほどの高さなのだが、あちらは登るためにつくられていない。

テオティワカンの王は輿にのって上がった…
いや、輿に乗って上がるにはちょっと急すぎる階段ではないかな?そうおもワンない?

階段は大きく分けて四つの部分からなる。傾斜はそれぞれ違う。

テオティワカン文明は七百年以上にわたって繁栄した。碁盤の目に区画されたその中心となっていたのがこの「太陽のピラミッド」。
「月のピラミッド」が五回以上も改築・増築されたのにくらべ、この「太陽のピラミッド」はほぼ最初からこのサイズで造成されたのだとか。
21世紀になってから地下に長く曲がりくねった通路がたくさん発見され、今も研究が進められている。
観光客はまだ地下には入れないが、地下より山へ登る方が達成感があるかも。

階段を登りきるごとに眺めが良くなる。
エジプトのピラミッドと違い、石や土砂を盛り上げている。
発見された時には草木が生えていたというのも理解できる。
1878年にスケッチされたこのピラミッドはこんな↓


今日は土曜日だからメキシコシティからも地元の人がたくさんやってきている。
いや、ガイドさんの話によると日曜日はメキシコ人入場無料になるからもっとすごい混雑になるのだそうだ。
手摺に沿って行列になり、時には登頂まで一時間待ちにさえなるのだとか。ああ、起こり得るかも。

幸い今日はそこまで混んでいない。
ようやく、頂上到着。

特別なにがあるというわけではない。が、ここが神との交信場所で、この真下に世界を模した部屋があるのか。


降りてゆくと、メキシコのムーンストーン?を販売中。

「死者の道」はいまや「お土産の道」となっております。
****

メキシコシティまで一時間ほどのドライブ。
世界最大ともいわれる都市圏に近づくと、山の上までカラフルな家がぎっしり↓

これは不法占拠住宅。
貧困や治安悪化から逃れてメキシコシティに流入してきた人々が勝手に住みはじめてできた「街」なのだ。
※ペルーで見た同様の住宅を思い出した。こちらからその日のブログにとびます
※トルコのアンカラ周辺でも同様の不法住宅「ゲジェコンド(「夜の家」夜の間に勝手にたてたのでそう呼ばれるそうな)」を見た。こちらは近年ずいぶん環境改善されているようだ

不法に住んでいるからといって、これだけの人口を無視して国を運営することはできない。公共交通機関として(と説明された)、山から下の中心部まで運行しているゴンドラが道路の上を運航している↓


メキシコシティ周辺は渋滞が日常化している。観光プランもそれを考慮しないととんでもないことになる。毎日の移動は出来るだけ少ない方がよい。


昼食はタコスの専門店へ↓

ぱっと見トルコのドネルケバブのようなものが↓

タコスはアメリカをはじめいろいろなところで食べてきたが、びっくりするほどおいしいものにはあたったことがなかった。ここもそれほど期待はしていなかったのだが…おお、これはいけますね↓

シェルはメキシコでは必ず柔らかい。固いのはアメリカで開発されたようでここではお目にかからない。
飲物は「オルチャータ」↓ライス・プディングの飲物版といえば分かりやすいだろうか↓


★オルチャータをヴァレンシアの火祭の屋台で飲んだのを思い出した。スペインでは違う材料をつかっていた。
※こちらの日記から写真をご覧いただけます

スペイン本国のオリジナル・オルチャータはぜんぜん違った印象の飲物だった

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テオティワカン遺跡~「月のピラミッド」に登る

2018-11-24 11:11:11 | メキシコ
「月のピラミッド」から「死者の道」方向を見たところ↓小山のようにみえるのが「太陽のピラミッド」↓あちらにも後で登ろう↓

1878年にこの場所で描かれたスケッチが残されている↓

百数十年後に観光客でいっぱいになるなどと予想もしなかっただろう。

急な階段にはロープが張ってあり多くの人はそれにつかまって上り下りするが、しっかり足をあげて普通に上り下りも可能。

印象としてはアンコールワット内陣の階段の方が怖かったかな。

「月のピラミッド」は現在途中までしか整備されていないので実質ここまで

↓中段部分まで登れる。かつては頂上に雨の神の像があって、王はそこまで登って神と対話していた?

↓奉納の台があっただろうと思われている四角いエリア↓「死者の道」には小さめな神殿がずらりとならんでいたのだろう。その基壇階段部分だけが残る。


テオティワカン遺跡は紀元前二世紀から紀元後六世紀ごろに繁栄したとされる。
つまり古代ローマと同時代に、同じような都市と建造物を出現させていたのだ。

しかし、14世紀ごろ?アステカ族がここを「発見」した時にはすでに廃墟になっていた。
アステカ族はケツァルコアトルのピラミッド斜面から手足を縛られた生贄をたくさん見つけたので、ピラミッドが面するメインロードを「死者の道」と命名した。
テオティワカンを建設した人々自身がどう呼んでいたのかは今も分かっていない。

遺跡が実際になんという名前で呼ばれていたのか、どのように使われていたのか。
ほとんどの場合仮説にすぎない。

ガイドブックの名前は、そこで見つかったフレスコ画などから考古学者が命名したもの。
○「ジャガーと羽のついた巻貝の宮殿」↓
↓このフレスコ画がみつかったことによりこの名前になっている↓

↑ジャガー、またはそののポーズをした神官がほら貝を吹いているように見える↑

見学しやすいように、元の建物の周りを歩ける↓

外壁には「羽のある巻貝」↓なるほど

隣接する小ピラミッドの基壇部分には、もっと古い時代のピラミッドが埋め込まれていて、詰められていた瓦礫をとりのぞくとオウム?のフレスコ画がみつかった↓

現在もまだ瓦礫が詰め込まれた部屋がある↓

↑これを除けばさらに古い時代のモノが見つかるかもしれないのだが、安全上そう簡単に手が出せないのだとか。

↓この部屋への入口部分

発見された当時の漆喰は下部の赤い部分だけ↓

溶岩性の黒い石をはめ込んである部分はすべて復元↓

↓階段の前にある台形の赤い石はコブラの尻尾をあらわしている↓なるほど


○「ケツァルパパロトルの神殿」には別チケットで入る

2009年から2012年にかけて新たに復元された「柱の中庭」↓

赤い石がオリジナル↓補って補って、ここまで復元してもらわないと我々素人には理解できない↓
↓目のカタチの真ん中に黒い黒曜石がはめこまれている↓

名前のもとになった「ケツァル」はこの地域で最も美しい鳥↓その姿が刻まれている↓

↑様式化されているが左を向いたくちばしが分かる
***
「死者の道」を歩いて、「太陽のピラミッド」に向かう。
振り返ると「月のピラミッド」の後ろに山が重なった↓

セロ・ゴルド山(3060m)のシルエットと同じにつくられたのがよくわかる。
※テオティワカンが標高二千メートルを超えているのでそれほど高く見えない
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テオティワカン~ピラミッドの上を気球で飛ぶ

2018-11-24 08:00:00 | メキシコ

ピラミッドの上を気球で飛ぶなんてエジプトでも体験できない

↑左上が「太陽のピラミッド」、右下が「月のピラミッド」
この写真では同じぐらいのおおきさに見えるが、前者の方がずっと大きい。
「太陽のピラミッド」の一辺は220~230m。※エジプトのギザの大ピラミッドとほぼ同じだが高さはギザが高い
「月のピラミッド」は140~150m。

↑「月のピラミッド」は、通称「死者の道」から見ると背景にある山と同じシルエットにつくられているのだそうだ。午前中に地上から観光する時に確認しよう。

***
昨夜テオティワカン遺跡にあるホテルに泊まる行程にしたのはこの気球フライトを体験するためだった。

朝六時に気球会社の車がホテルに迎えにくる。十分ほどでオフィスに到着。メキシコシティのホテルに泊まっていたらこうはいかない。

そろそろ朝焼けになってきた

手続きをして建物の裏にまわると、なんとすぐに気球の出発地点。
広げられた気球はすでに風を送り込まれ、ふくらみ始めていた

ボンベの炎が音をたてる
我々の乗る気球も立ちあがる
※こちらyoutubeに動画を乗せました




離陸!

空には先に飛び立った気球がいくつも飛んでいる


ピラミッドの近くへ来ると、どの方向の人にも見えるように気球を回転させてくれた
※こちらyoutubeに動画をのせました



高度が下がると民家がよくみえる

ワンちゃんが屋上歩いている


着陸する場所をぴったり決められないのが気球。
え?サボテン畑に着陸↓


↑気球に気付いてももくもくと作業を続ける人
↓畑のすぐ横に我々の車がやってきた↓


まったく風もないので「ランディング・ポジション」の姿勢をとる必要もない。
カートの上に直接カゴが着陸した。こういうケースはあまり多くないのです(^.^)

着陸してもすぐにカゴから降りてはいけない。

いきなり軽くなるとまた飛びあがってしまうから。
ゆっくり空気を抜いて、バルーンがしぼみはじめてから、ひとりひとりカゴを出る。

スタッフは要領よくたたみはじめる


恒例の、無事の帰還を祝うシャンパンをキャプテン自ら注いでくれた

***
08:30少し前、ホテルに帰着。中庭のプールサイドで朝食

出発は10時にした。こういう少しの時間的余裕が一日を快適にする。

すっかり暖かくなった。今日は土曜日なので地元からのお客も多い日。ホテルがアトラクションに繋留気球を用意していた。

料金はこちらの方がずっと安いのだけれど、やっぱり「飛ぶ」のが気球の面白さである。




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