旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

緑のアイルランドに到着

2019-08-16 15:47:29 | アイルランド
 雨のロンドンで乗継、午後19時過ぎにアイルランド島が見えてきた↓
北アイルランドのベルファストは深い湾のいちばん奥に位置している。飛行機が入り江の奥にむかっていることを、景色と地図を見比べて理解した。
↓この二つの島が
 
 
入り江の入り口の
地図上に見えるこの二つの島であるのはまちがいない↓
天気予報が雨でも、現実に着いてこのお天気に迎えられればなによりも幸い(^.^)
 
ベルファストには二つ空港があるが、今日到着したのは市の中心から十キロも離れていないベルファスト・シティ ジョージ・ベスト空港である↓
↑ジョージ・ベストとは1960年代70年代にマンチェスター・ユナイテッドで活躍したサッカー選手の名前。世界的にもサッカー選手の名前がつけられた空港は珍しいそうだ。
 
20時半には市庁舎から1ブロックのホテルにチェックイン。まだまだ明るいから街を歩きにいこう。
*** ホテルから1ブロックにある市庁舎はベルファストのシンボル↓
1906年に建設された高さ53mのドーム。
明日朝も来るけれど、夜のライトアップをみられるようにすぐ近いホテルを選んだのです(^.^)
タイタニック号が建造された港の方まで歩いていこう。
↓ラガン川を渡る歩行者用の橋
 
市庁舎から川までは、地図を見て予測していたよりも距離があった。
 
※実際の距離ではなく、「距離感」というのは歩いてみないと感じられない。観光で歩いているときに大事なのは実際の距離よりもこの「距離感」=楽しく歩けたかどうか、にある。

ようやく再開発されたラガン川の港にやってきた。
↓これはここで建造された船の記憶か。

↓1886年の街の様子が掲げてあった↓
産業革命最盛期、画面後方に林立する煙突から黒煙が吐き出され、手前の港に船がひしめいている。
※この時期イギリスの公害はたいへんなものだったようだ。
↓我々が今いるのは手前の港湾地帯
↑画面左に小さく描かれた円い時計の付いた塔=「アルバート塔」は、百三十年後の今もすぐ近くに見られる↓
今日は金曜の夜。
この塔近くの広場で夜空に爆音を響かせてクラブイベントが開催されていた↓
↑いやもう、とんでもない音量で、あそこに入っていく気になどなれません…。

市庁舎近く、街の中心部に戻り、18世紀当時の面影が残る路地をみつけた↓
★JOY’s ENTORY ジョイズ・エントリーと書かれている↓
日本語ガイドブックにはまったく触れられていないが、今晩のみっけもの(^.^) 地元民がビール片手にひしめいている
↓ おもしろくてぎょっとするような装飾もあるし
JOYって、そいうう「楽しみ」ってこと?
,,,いや、それはまったく違ったのです。
↓一角に立っていた金色の像がジョイその人↓
↑ 彼はベルファストの歴史の一面を体現するような人だった。
★ヘンリー・ジョイ・マクラッケンHenry Joy McCrackenは1798年に三十歳の若さで絞首刑に処された愛国者。 カトリックではなく長老派教会(プロテスタントの一派)に属していたが、国教会からのカトリック弾圧にさらされていた一人。暴動の首謀者とされたのであった。学生のころヨーロッパ大陸に留学して躍動するフランス革命を間近に見て、祖国アイルランドにも変革を起こしたいと願った人だった。
ヘンリーがこの路地にうまれたのは、
★祖父のフランシス・ジョイ(1697~1790)が、ここで世界初の英字新聞「ベルファースト・ニューズ・レター」を発行・印刷していたからである。
注意してみていれば、二人共の名前が青色のプラークにて掲げられていたた↓
フランシスにはロバートとヘンリーの二人の息子がおり、それぞれが有力者の娘と結婚した。 孫の姓にマクラッケンとついているのがその証拠。 フランシスは92歳まで長生きしたが、孫の刑死の前に死ねたのは幸いだった。

ヘンリーの死後、1801年にアイルランド議会は停止され、アイルランドは英国に完全併合されたのだった。

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ホテルへの復路、市庁舎の前にベルファストのおもしろい市章がかかげられていたのき気付いた
明日、現地のガイドさんに話にいろいろ質問してみよう
コメント
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