旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ゴールウェイ夕方の散策

2019-08-19 20:00:00 | アイルランド
*****
復路もそこそこは揺れた船でロサヴィルへ。そこからゴールウェイまで四十分ほど。
中心部のホテルに荷物を置いてふたたび町歩きへ

一般商店は午後七時にはみんな閉めてしまうのでお買い物はあまりできませんけど

「バトラー」のチョコは買えました(^.^)
午後七時をすぎても、今日はゴールウェイでもっとも古いニコラス教会が開いていた

なぜかというと…

午後八時からリバーダンスのショーがここであるのだそうな↓

我々はダブリンでしっかり見るので今日はパス

古い港にある「スペイン門」の方へ

地図を見るとアイルランドの南西海岸とスペインの北海岸というのは、海路で結ばれるのが自然な距離であるのがわかる。
さらに言えば、両者は共にケルト系の文化が現代まで生き残っている地方である。
修復を待つ残骸が門の横集められている


ゴールウェイ駅は1851年にオープン

ダブリンからの列車がたどりつく西の終点駅である
↓この駅に1966年にÉamonn Ceanntという名がつけられた
↓その人物の肖像画があった

1881年生まれというから画家のピカソと同い年。ダブリン・パイパー協会の創設者。
※スコットランドのバグパイプに似たイルン・パイプという伝統楽器がある
1916年にアイルランド独立を標榜して起こした「ダブリン蜂起」の首謀者の一人となり、同年に処刑されている。

独立の英雄が音楽と直接結びついているというのはアイルランドらしい。
アイルランド人にとって音楽の重要さは日本人には想像つかないレベルにある。

駅前の広場に出る。
駅が出来た当時からの古いホテルがいくつもある。
角の時計塔も往時の雰囲気を継いでいる↓


駅前の広い公園に、アメリカ大統領ケネディの記念碑がある↓

現在までのアメリカ大統領で唯一のカトリックで、曽祖父がアイルランドからの移民であったケネディはアイルランド人にとっての英雄だった。
1963年6月29日の演説の様子を※こちらの動画で見ることができます
この半年後に暗殺されたときいたゴルウェイの市民の驚きはいかに。
広場の名前は通称「エア・スクエア」だが、ケネディ広場に改名されている。


ホテルの一階で軽食とギネス

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アラン諸島に残る教会も見て

2019-08-19 16:00:00 | アイルランド

ドゥーン・エンガス遺跡を出て海岸を走っているとアザラシがごろごろしていた
**

アラン諸島は初期キリスト教時代にたくさんの教会や修道院があった
クロンマクノイズあたりで育った宗教者たちがこちらへ入植したのか、あるいは逃げてきたのか…
わからないけれど、島を走っているといくつも廃墟に出会う

入場料をとるわけでもない。草をかきわけて近づく↓

すぐちかくには今も湧水。

↓ロマネスクと呼ぶのもはばかられるような素朴に石を積んだ壁が美しい

木造だっただろう屋根は落ちているが内部構造はわかる↓

↓入口を塞ぐような石が二枚あるのは、周辺で飼っていた家畜が入ってくるのを防ぐためだったと推察されている↓

↑アーチ構造がゴシック的に変化してきているものがあるのをみると、ここはカトリック教会が入ってからもそこそこ利用され続けていたようだ。
↓はっきりと時代のちがう墓碑もあった

***
島のレストランは夏の時期大忙し。席だけ予約していただいておりました。


****


↓この時お話いただいた「オガム文字」についてはまた別に


ドゥーン・エンガス遺跡で日本からの伝統芸能団がパフォーマンスをしておりました


****
帰路の船が出る港近くでしばらく自由時間。

アランセーターがどっさり売っている

おや?これは何の道具
国技「ハーリング」用のスティックだ!


16時半のロサヴィル行きの船でイニシュモア島を離れる

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アラン諸島イニシュモア島の古代遺跡~ドゥーン・エンガス

2019-08-19 12:00:00 | アイルランド
断崖の上に築かれたエンガスの「ドゥーン=要塞」(Dún Aonghasa) が見えてきた

「エンガス」は人名と言われたりするが、実のところは不明。

どんな場所にこの「要塞」が築かれたのか、地図を見ないと理解しにくい↓
アラン諸島最大の島であるイニシュモア島(「大きな島」の意)は、周囲四十キロほどの細長い島↓北東海岸線には港もありなだらかな地形だが、南西海岸は一転して断崖絶壁となっている↓

この古代遺跡は南西海岸の中ほど少し北に、その断崖ぎりぎりのところに建てられた「祭壇?」を守るように建てられているのだ↓
↓紀元前一千五百年ごろからと言われる石垣↓


↓海側から断崖を撮影した写真

↑崖ぎりぎりのところに四角い祭壇が確認できる↑
↓下の絵図でも中心にある↓
↓紀元前千五百年ごろが最初の城壁↓(図上)

↑紀元後八世紀ごろに至るまで(バイキングがやってくるころまで?)何回も石垣が造営された、
↓実際の祭壇がこれ↓

測ってみると、真っ直ぐな四辺はほぼ東西南北になっていた
舞台の横から四つの銅製の輪がみつかったのだそうだ。
この上でいったいなにが行われていたのか?



内陣の石壁内で七軒の建物跡と八トンものカサ貝の殻が見つかったと、ビジターセンターの案内に書かれていた。
居住していた時代もあったということだろう。
それにしても海からあまりに遠いこんな断崖に…
この崖はこんな位置にある↓


↑城壁の外に写っている立てられた石は防御用に人がたてたもの。

ここへむかって登ってゆく道

↓周囲には私有地を囲う現代の石垣


遺跡の石壁を抜ける門↓実はオリジナルではない

↓本来の入口は高さ一メートルほどしかないこんなものだった↓

門のちかくから紀元後一千年頃に埋葬された二人が見つかった。
この場所がすでに衰退していた、バイキング侵入の時代。

↓北東のゆるやかな海岸部からこの崖にのぼってくる斜面↓





歴史の謎よりも、今日、青空の下でこの絶景を楽しも↓

こんなふうに









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アラン諸島への道

2019-08-19 10:00:00 | アイルランド
ゴールウェイからアラン諸島最大のイニシュモア島へ日帰り観光の日
↓ゴールウェイの川を渡るとすぐに19世紀の大聖堂がそびえている

↓郊外にある公立病院↓
アイルランドの福祉は充実していて基本は無料でなんでも治療できるのだが…緊急性のないものだと「三年後」とか言われてしまって、その間に悪化することもあるのだとか。万人に平等な良質な医療というのはなかなかむずかしい。

アラン諸島へ行く船はゴールウェイの港からも出ているが三時間もかかるのでより近いロサヴィル港からの船を使うのが一般的。
郊外の村をいくつも抜ける間、空はめまぐるしく表情を変える。
突然激しい雨が降ってきたと思ったら、次の瞬間にはからっと晴れて虹が出た

海岸線が左側に見え隠れする

アラン諸島へは軽飛行機の便も出ている


ロサヴィルからの船は観光客でいっぱい。

10時半の船だったが実際にはいっぱいになったら出航するとかで、10時過ぎに港を離れた。
風の強いアイルランドなら風力発電に適している

放牧地を囲う石積みが土地を区切っている↓
↓ぜんぶ私有地なのである

往路に乗った船は二階がオープンになっていた。
けっこう揺れるので大人も子供もよろよろしながら歩く。

四十五分ほどでアラン諸島のイニシュモア島が見えてきた↓

↑丘の上に城塞の名残が見える

下船して港から見ると、時代の違ういくつかの構造物が同じ高台にそびえているようだ↓

「ナポレオンが大陸を制覇した19世紀はじめ、イギリスへの侵略を警戒して建設したのです」
と、ガイドさん。

船着き場からすぐのところに緑色のツーリスト・インフォメーション

貸自転車も同じ建物にある

この島は自転車で走るのにちょうどよいサイズ
・・・でも、実際に走っている人を見ると風が強くてたいへんそうだった



島のミニバスに乗り換え



島最大の見所、古代遺跡「ドゥーン・エンガス」へ向かいます




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