旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ダーク・ヘッジスを経由してベルファストに戻る

2019-08-17 20:00:00 | アイルランド
天気がころころ変わるアイルランド島の北岸
雨が止んで地平線に虹が出た、と思ったらすぐに青空に
1608年創業勅許のブッシュミルズウィスキー蒸留所のそばを通り↓
※ウィスキー蒸留所をアイルランドのどこかで見学しておきたいと思っていたが、ここは有名すぎてすごくたくさんグループが訪問し(たしかに何台もバスが止まっていた)、近年メキシコの資本に買収されてサービス面がいまひとつになったという地元情報を得て、明日キルベガン蒸留所へいくことにした
**
「ダーク・ヘッジスへ行きたい?」と
ガイドのデボラさんがきいてくれた。
世界的に大ヒットしているSFドラマ「GAME OF THRONES」にとりあげられて大人気の場所だそうな。日本ではそれほど人気になっていないのですが、行ってみましょ。
たしかに見ごたえのある並木道
ここはもともとお屋敷へのドライブ・ロードで、屋敷へ来る人々を歓待する目的で植えられた並木だったのだそうだ。
幽霊が出るという話もあるこの並木道、実は下の写真の古いマナーハウスへのドライブ・ウェイとして植えられた。 ↓並木道をやってくる馬車をおもいうかべるべし ダーク・ヘッジスの駐車場にベルファストからの観光バスが止まっていた↓ PADDY WAGONという名前のようだ。 ※この意味、数日して現地の英語ガイドさんと話していて理解できました ***ベルファストに戻ってきた ↓下は、ホテルのすぐ横にあった19世紀の劇場 週末でどのパブもいっぱい。 デボラさんに勧めていただいたクラウンズも↓ 立錐の余地なし ↓おもしろい「移動式パブ」がある↓ 以前、ニュースで紹介していたのを思い出した。 動力はカウンターを囲んでいる人のペダルだけ! 飲みながら運動して倒れちゃいそう? 昨夜もおおはしゃぎしながら車道を走っていたっけ 「あの乗り物はアイルランドしか許可されてないんだよ。寛容な国だよね(笑)」 地元ガイドさんがそうおしえてくれた。 ホテルのダイニングでやっと座れる席を確保して、今日もギネス飲みました(^.^)
 
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ジャイアンツ・コーズウェイ(巨人の堤防)

2019-08-17 15:54:48 | アイルランド
北アイルランド屈指の自然景勝地。世界遺産にも認定されている。
日本の「玄武洞」のように玄武岩の柱状節理によってできた六角柱がこれをつくりあげているのだが、とにかく規模が大きい。
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午前中にベルファスト市内を見学してアイルランド島の北岸、スコットランドが見えるあたりを目指した。

バリーキャスルという港の村へ到着。
すぐ近くにラスリン島が見える。写真ではわかりにくいが、ずっと遠くにはスコットランドのキンタイア半島も見えた↓
※ポール・マッカートニーのイギリスでだけ大ヒットした曲に「ムル・オブ・キンタイア」というのがある。この半島に彼が買った牧場の名前。
ラスリン島は鳥の保護区になっていてアイスランドでたくさん見たパフィンなどがいるのだそうだ。そういえば、アイスランドの風景に似ている。
フェリーがちゃんとでております
★バリーキャッスルには18世紀に炭鉱があって、ヒュー・ボイドという人物がいち早くこの港から輸出しはじめた。と、港の歴史案内板に書かれていた。
石炭の行き先は主にリバプールのマージー川口につくられたガラス工場。
地図を見るとわかるのだが、北アイルランドというのは産業革命で発展したグラスゴー、リバプールともとても近いのです。

海を右に見ながらジャイアンツ・コーズウェイを目指す。
趣のある廃城ダンルースが見えてきた↓

アイルランドの城は侵攻したイギリス軍との間でなんども争奪された。

壊れた城は多いがずっと使い続けられている立派な城というのはほとんどなくなってしまっている。

★有名な吊り橋キャリック・ア・リードが見える展望台に停車
はじめはここを渡ろうと思っていたのだが、調べていくうちに駐車場からかなり遠くて、かなり混雑しているのが分かってやめた。
人が住んでいるとも思えない場所に…この橋はなんのためにかけられた?
実は、橋の下をゆくサーモンを捕るために漁師がかけたものだったのだそうだ。
赴きある教会?
1608年に最古の勅許を得たと言われる蒸留所があるブッシュミルズの街をとおって

****
↓ジャイアンツ・コーズウェイに到着。
予約番号を告げるとすぐに入場券が発行される。
↓インフォメーションセンターで日本語のイヤフォンを各自持っていただき

だいたいのルートをお伝えして一時間ほどの自由時間をとった。
冒頭の景色の場所まで九百メートルほど海岸の歩道をゆく
↓こういうシャトルバスもあるが帰りに利用しよう。料金1UK£


十五分ほどこんな道を歩く
印象的な柱状節理が見えてきた
柵はないので「自己責任で行動してください」と、日本語の案内でもアナウンスしております。
遠くに見えた↓より大きな柱状節理↓
あそこまで行くにはもう三十分は必要か
突然雨が降り出したので、シャトルで戻ることにする↓しかし、あっという間に天候が変わる↓
インフォメーションセンターは広くて充実している↓
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昼食はすぐ近くのコーズウェイホテル。
↓もう晴れてきた!
クラシックな内装
アイルランドらしい「ハープ」というビールもありますが↓
やっぱりこの黒い↓ギネスでしょ(^.^)

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ベルファストはタイタニック号を建造した

2019-08-17 12:40:03 | アイルランド
タイタニック号が建造された場所に、2012年に出現した記念館↓

上空から見ると星のカタチをしているそうだが、その理由はタイタニック号を建造させた会社が「ホワイト・スター・ライン」というから。
※リバプールで2016年に「ホワイト・スター・ライン」本社ビルをみた時のブログはこちらから
ビルはタイタニック号と同じ高さにつくられているのだそうだ

↓近くに立っているポールもまたタイタニック号の大きさをあらわしている↓
 ↓空から見た様子はこんな感じ↓なるほど博物館が星の形になっている↓タイタニック号の巨大さも分かる。

すぐちかくにはタイタニック号を塗装した時に使われた空ドックの跡、そこに水を満たすレンガ色のポンプ室↓

タイタニック号に旅客を送迎していた船


↓こちらは当時の軍船

博物館内部↓




この博物館のあるのは、かつてタイタニック号を実際に建造した「ハーラン&ウルフ社」の社屋があった場所なのだそうだ。この会社は現在も存続していて、社名の書かれた巨大なクレーンが近くに立っていた↓黄色いところをよく見ると「H&W」と書かれております↓
↑ベルファスト市民はこの巨大クレーンを「サムソンとゴリアテ」と呼んでいるのだと、ガイドのデボラさんがおしえてくれた。
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ベルファストは産業革命で発展した

2019-08-17 11:11:11 | アイルランド
1906年に建設されたベルファスト市庁舎は国会議事堂かと思うほど立派

高さ53mのドームは1906年に完成した。
これだけの建物を建造したのは・することができたのは、産業革命で大きく発展していたからである。
市役所前には同じ時代に建てられた商業ビルがいくつもある。
↓これはリネン業者のものだそうな↓


ひときわ大きな商業会館↓

そのファサードに当時のベルファストを代表する四つの産業の図が刻まれている。
●印刷・出版

●リネン

●造船

●ロープ

当時、世界のロープの半分をつくっていたという話もあった
↓港の近くにかつてのロープ工場の門柱が残されている↓

門柱の下部がロープのかたちになっております。

飛行機が登場する前、船は交通の絶対的王者。
あのタイタニック号もこのベルファストで建造された。
※これについては別項目にて書きます
**

19世紀から20世紀初めにかけて建造された建物は今も活用されている↓
↓これは元監獄、現博物館↓
人口は爆発的に増えたから犯罪もそれにあわせて増えたにちがいない。

道をへだてた廃墟はもと裁判所だった建物があるが、富豪がホテルにするつもりで買ったのだけれどそのままになっているそうな。

聖アンナ大聖堂も1904年に建てられた。

「アイルランドで最大のケルト十字があるんです」
↓それは大聖堂の横にくっついております↓

ちょっとのぞいてみる↓
地盤が緩いベルファスト。
地盤沈下で床が波うっているのがわかる↓

内部の一角に青いタピスリで飾られたタイタニックの悲劇への慰霊祭壇がある

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ベルファストの壁

2019-08-17 10:10:10 | アイルランド
紛争を抑止するための壁がベルファストに残されている↓

北アイルランドは1948年にアイルランドが共和国として独立した後も英国支配下にある。
およそ百年前1921年に英国側が出したこの分割案を、マイケル・コリンズを代表とするアイルランド側がうけいれたことでこの「国境線」が引かれたのだが、
2019年、EUを離脱しようとしているイギリスにとって最大の障害になっている。

英国側に残された北アイルランド地域では1960年代から70年代にかけてとくにはげしい紛争が起き、ベルファスト西部では同じ町内でさえ親英国派と親アイルランド派の間で暴力や放火といったテロ行為が頻発していた。
この壁はその紛争を抑止するために1969年から建設がはじめられたのだそうだ。


★壁には二種類ある。
きれいなものと、そうでもないもの

現地ガイドのデボラさん曰く「インターナショナル・ウォール」と呼ばれる世界に現在起きている紛争を描いているのがきれいな壁。冒頭のものもそう。
↓下のものもそう↓いちばん左にはカタロニアの独立運動と連帯を表明する図

「きれいな壁」の方は、ベルファスト市が選んだアーティスト三人ほどが市と協議して描くものを決めているのだそうだ。プロの絵描きの仕事だからこれだけきれいだったのだ。
↓パレスティナ側を応援する図


「そうでもない方の壁」の方が今でもホンモノ感がある↓
こちらは「平和の壁」と皮肉な名前で呼ばれている↓

↓ここにやってきてメッセージを発信したダライラマ14世の言葉が刻まれている

クリントン大統領のものもあった

この壁には誰でもメッセージを残すことができる


壁はベルリンの壁のように特定の地域をぐるりと囲っているわけではない。
だが、こういうゲートがもうけられている場所もある。なんだかかつてのゲットーのようではないか。

「あなたたちの安全を守るためです」と言って押し込める。

1998年のベルファスト合意の後流血の紛争は一応収束し、これらの壁は我々観光客も訪れる場所となってきた。

それでも、実際に現地を訪れるとそこここに英国旗が掲げられているのが目につく

北アイルランドは英国なのだ。

ただ国旗を掲げているのではない。ここに住む少数派のアイルランドへの統合を望む人々に対するメッセージなのである。


**
1538年の英国国王ヘンリー八世の離婚をきっかけに設立された英国国教会だが、ローマ・カトリックとの争いが現代にこんなかたちで引き継がれてしまっているのだ。

同じキリスト教であるが、イギリスはカトリックのアイルランド人に対して考えられないような差別法を実行していた。
●カトリック刑罰法=PENEL LOWがそれ
1573年にはじまり、1829年にカトリック解放法が施行されはじめるまでの長きにわたる
・カトリック教徒は医者、教師、警官、軍人、法律家になれない
・カトリック教徒は武器をもっていはいけない
・カトリック教徒は新聞・書籍の出版販売をしてはいけない
・都市の商工業者はカトリックの従業員を雇ってはいけない
・カトリックの商工業者は二人以上の従業員を雇ってはいけない
・カトリック教徒は新たな土地を購入できない
・カトリック教徒は英国国教会に収入の十分の一を納める
・英国国教会信徒はカトリック教徒と結婚できない
もしも結婚した場合は、男は公民権を女は相続権を失う

イモだけ喰って畑で働いていろと言わんばかりではないか。

1840年代に起きた「ジャガイモ飢饉」で百万人を超える餓死者を出した下地には、こういう英国側の弾圧があったのだ。

弾圧を逃れるには改宗すればよい。
それはしかし、我々日本人には考えもつかないほど難しい選択であったにちがいない。
****
↓これはオレンジ会館

名前はオランダのオレンジ公ウィレムに由来する。
1690年、名誉革命でイギリス王位を追われたカトリック擁護のジェームス二世が、イギリス議会によってオランダから招へいされて新王になったウィリアム三世とダブリン近郊で戦い、敗れた。
ここでの勝敗がもしも逆になっていたら。歴史は大きくかわっていただろう。


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