旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

《手造の旅》亀岡祭~コスモス園入口、信長供養塔、惣掘り跡

2021-10-24 17:15:49 | 国内
夕暮れの車窓から見えたコスモス園

傾いた陽射が山稜の雲と花を同じ色に染める。予定して見られる景色ではない(^^)。

翌朝、「あのコスモス園をもう一度観たい」というリクエスト。亀岡二泊の旅だからお応えできますとも(^^)

ネットで調べてみると、一ヶ月限定の施設で入場料もかかる。
※公式HPにリンクします

ところが、離れた臨時駐車場から歩いていく道もこんなお花畑で、入口に着く前に満足してしまった(^^)
養蜂もやっている。どんなハチミツなのかしらん(^^)
**
明智光秀が治めた亀岡だが、織田信長の供養塔もある。
●聖隣寺

↑古びた五輪塔のいちばん下の部分に織田信長の戒名が刻まれているのが見つかった


↑解説版を補足:秀吉が近江長浜を支配していた頃長男を亡くし、主君信長の四男を養子にもらった。信長には男女合わせて二十人以上の子があったから可能になったのだろう。本能寺の変の後、亀山城の城主になりこの供養塔を建立したのは十五才の時。三年後亀岡で、十八歳の若さで病没。

寺の門は江戸初期のもので矢間がある。この門のすぐ外に亀岡城下のいちばん外側の堀にあたる「惣掘」があった。

今もその名残の空堀がはっきりと残り↑一段低い道となっている↑
***
すぐ近くの●宗堅寺

古い墓石を集めた塔が、寺がこの場所にずっとあったことを感じさせる。

↑亀山城の「惣掘り」を掘った土を盛り上げた土塁が、この寺の敷地の端に残っている↑
ここに登って寺の外を見下ろすと、確かにさっきの堀跡が続いていた。

土塁の上に江戸初期に亀岡を治めた菅沼氏二代の墓がある↑

前述の織田信長の四男が早世すると、秀吉の甥豊臣秀勝⇒同じく甥の小早川秀秋…などなど、亀岡の領主はころころ替わった。
菅沼家は徳川家光時代に近江膳所(ぜぜ)から入ったが二代目が跡継ぎなく没して断絶した。
土塁の上の二つの大きめの墓が親子のもの。
その背後にある三つは追い腹を切った(殉死した)家臣のもの。

石垣の下にある同じような墓は位置からして同族のもの?
戒名に沼の字が入っている。
年号を見ると天明四年なので百年以上も後。
菅沼家は後に弟が一万石を拝領して存続したと書かれた資料があったから、もしかしたらその末裔が祖先を偲んでこの場所に墓所をおいたのかもしれない。

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《手造の旅》亀岡祭~柿とクリームチーズのベーグル、亀山城、花明山植物園

2021-10-24 08:39:15 | 国内

こんなベーグル、他では食べられない!(^^)

亀岡城下町にある古民家「にのうみ」に連泊

昨夜夕食をつくってくださったKさんに特製朝食をデリバリーしていただいた。

リビングがいちばん広い「応挙」で、温めて盛り付けております(^^)

ビーツが印象的なポテトサラダ↑もおいしいが

冒頭の特製ベーグルはいちばん手がかかっている↑中身あんこじゃありません↑(^^)

なんと、冷蔵庫で「ミイラ化」していた(笑)干し柿を再生させて使われたのだそうだ。

砂糖をたっぷり溶かした水でゆっくりもどすと

↑こんなにふかふかになる(^^)
ベーグルに挟まっていたのはこの柿のペーストだった。
★メニューと材料、お知らせいただきました
◎コーヒー・紅茶
◎トースト(ヨーグルトの山食パン)・バター・ジャム(いちご・りんご・蜂蜜)
ベーグル(干柿・くるみ・アーモンド・クリームチーズ)
◎サラダ:レタス・ポテト・ビーツ・丹波黒・ゆで卵・粒マスタードヨーグルトソース
◎バターナッツかぼちゃのポタージュ・パセリ


ゆっくり朝ごはん
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朝十時、明智光秀が建設したという亀山城へ

↑この石垣は16世紀当時からの姿を留めた部分と言われている↑
※2019年11月の紅葉に訪れた時のブログをごらんください

明治六年の廃城令で↑この城は壊され荒廃していたが、大正八年(1919)出口王仁三郎が購入し、大本教の根拠地とした。

↑繫栄する大本教↑上の写真で城跡を埋め尽くす教団の建物が見える↑
警戒した軍国主義日本は↑昭和十一年に大弾圧をくわえて建物を根こそぎ破壊↑下の写真は右端の「光秀お手植えの大イチョウ」を残してすべての建物が消えている↑


↑大破壊の時に壊された首のない石造

その後↑一から建設しなおした現在の姿↑

↑「天下普請で江戸時代に建設された石垣跡です」
亀岡ガイドの会の井上会長が解説してくださった↑
***

★花明山植物園は城の敷地にある。
「亀山」⇒「花明山」とする当て字にする書き方は百年前大正時代から。
植物が大好きだった大本教第三代教祖直日(なおひ)は「天国のような場所がほしい」と、昭和二十六年にこの植物園を開園した。

↑この写真左手のイチョウは開園当時に植えられたもので周囲3.6mにもなっている↑生育環境によってずいぶん成長するのだ。
この植物園を知り尽くしているSさんに、今回も解説していただいた。
彼の解説あってこそ、この場所の魅力を理解できる。

↑カワラケツメイ茶をつくっているのもSさん↑
※こちらのページに解説がありました

↑「こむらさき」はほんとに鮮やかな紫色

↑「からたち」ってこんな実がなるのか
※ミカン科だったのですね

●ハガキはほんとに葉書だった

※こちらにもう少し詳しく書きました

Sさんわざわざ高いところから葉っぱをとっていただき、よく分かりました。


この赤いトウモロコシみたいなのは何?

マイヅルテンナンショウは地中に芋をつくるそうな。
※マムシグサの類だとわかった


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