奈良橿原●小谷古墳の天井一枚石は石舞台古墳のものより大きいのだそうだ。
通常非公開の古墳内部、今年二月に●牧野(ばくや)古墳に入ってから※その日のブログにリンクします
古墳石室に入るチャンスを探していた。通常非公開の内部を見学できるツアーを見つけて「やまとびとツアー」に一人参加。案内役の方の知識と情熱はもちろん、参加の方々の古墳愛も相当なもの。いつもは山道を今日の倍は歩き(今日は4.5㎞)「穴に潜る」ことも珍しくないのだそうだ。ついていけるかしらん。
石室の石材は飛鳥石(石英閃緑岩)。
石棺は加古川流域(兵庫県)産の竜山石、遠くから運んできたのだ。
木製の棺がさらに二つあったと想像されている
巨石の間に↑しっくいが白く残っているのが見える↑
↑驚いたのは巨石を積んだ横線が一直線に揃えられていること↑
古墳時代末期に建造されて千三百年も経つのにまったくずれていない↑これだけ地震のある日本なのに、よほど基礎をしっかり造成したのだろう。
※今回ご案内いただいたガイドさんが解説しておられるページにリンクします
被葬者は実質不明。
江戸時代には孝明天皇(天智天皇の母)の墓と考えられていたこともあった。
*
二つめの通常内部非公開は●沼山古墳
こちらは持ち送り式のドーム天井。
この形式の方が積み石よりも古い時代からあるそうな。
花崗岩を六段から八段積み上げた天井は高さ4,25m。
先ほどの小谷古墳が2,7mだったからずいぶん高く感じる。
この古墳の特徴は「右片袖式」。
羨道を抜けて左側だけに「袖」がひろがっているカタチ
※大阪柏原市のホームページにこのあたりのことを解説してありました
↑被葬者から見て右側がふくらんだ石室↑三つの同じ大きさの石を積んである↑
かつて古墳のある山の下あたりはいちめん沼地だったことから●沼山古墳と名付けられた(江戸時代ごろ?)
ここからはミニチュアの炊飯器具が見つかり、朝鮮半島にも同じやりかたがあることから渡来人系の人物が埋葬されたと推察されるそうな。橿原考古学研究所付属博物館に展示されているとのこと。次に行ったら探してみたい。
この日はまだまだ訪れました(^^)
通常非公開の古墳内部、今年二月に●牧野(ばくや)古墳に入ってから※その日のブログにリンクします
古墳石室に入るチャンスを探していた。通常非公開の内部を見学できるツアーを見つけて「やまとびとツアー」に一人参加。案内役の方の知識と情熱はもちろん、参加の方々の古墳愛も相当なもの。いつもは山道を今日の倍は歩き(今日は4.5㎞)「穴に潜る」ことも珍しくないのだそうだ。ついていけるかしらん。
石室の石材は飛鳥石(石英閃緑岩)。
石棺は加古川流域(兵庫県)産の竜山石、遠くから運んできたのだ。
木製の棺がさらに二つあったと想像されている
巨石の間に↑しっくいが白く残っているのが見える↑
↑驚いたのは巨石を積んだ横線が一直線に揃えられていること↑
古墳時代末期に建造されて千三百年も経つのにまったくずれていない↑これだけ地震のある日本なのに、よほど基礎をしっかり造成したのだろう。
※今回ご案内いただいたガイドさんが解説しておられるページにリンクします
被葬者は実質不明。
江戸時代には孝明天皇(天智天皇の母)の墓と考えられていたこともあった。
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二つめの通常内部非公開は●沼山古墳
こちらは持ち送り式のドーム天井。
この形式の方が積み石よりも古い時代からあるそうな。
花崗岩を六段から八段積み上げた天井は高さ4,25m。
先ほどの小谷古墳が2,7mだったからずいぶん高く感じる。
この古墳の特徴は「右片袖式」。
羨道を抜けて左側だけに「袖」がひろがっているカタチ
※大阪柏原市のホームページにこのあたりのことを解説してありました
↑被葬者から見て右側がふくらんだ石室↑三つの同じ大きさの石を積んである↑
かつて古墳のある山の下あたりはいちめん沼地だったことから●沼山古墳と名付けられた(江戸時代ごろ?)
ここからはミニチュアの炊飯器具が見つかり、朝鮮半島にも同じやりかたがあることから渡来人系の人物が埋葬されたと推察されるそうな。橿原考古学研究所付属博物館に展示されているとのこと。次に行ったら探してみたい。
この日はまだまだ訪れました(^^)